90話 王都名物
小さなリーヴェルをあとにすると、シリルさんが隣を歩きながら口を開いた。
「細かいお話は、リーヴェルへ戻ってからにしましょうか」
「はい!」
返事はしたものの、頭の中はもうシャボンノアのことでいっぱいだった。
棚はどうしよう。
今ある棚をそのまま使うのか、それとも売り場に合わせて新しく作ってもらうのか。ポップも王都用に少し変えたいし、石けんの並べ方だって考えたい。
アラボンは絶対いる。
販売員さんたちが研修に来た時に伝えることも、ちゃんとまとめておいた方がいいかもしれない。
あれもこれもと考え始めると、本当に止まらない。
「ノアさん」
「はい?」
「もう売り場のこと考えてます?」
「……バレました?」
「顔に出てました」
シリルさんが少し笑う。
どうやら相当分かりやすかったらしい。
「その前に、少し王都を案内しますね」
そう言うと、シリルさんは当たり前のように私の手を取った。
まただ。
王都へ着いてから、すっかり過保護モードに入っている。
確かに人は多い。
小さなリーヴェルを出た今も、通りにはたくさんの人が行き交っているし、少しよそ見をしたら本当に見失いそうではある。
……まあ。
ここは大人しく従っておこう。
「シリルさん?」
「はい?」
「私のこと、子どもだと思ってません?」
少し口を尖らせて見上げると、シリルさんは一瞬きょとんとして、それから小さく吹き出した。
「ははっ。それはないですよ」
「じゃあ、いいですけどぉ……」
ほんとかな。
少しだけ頬を膨らませたまま歩き出す。
そんな私とは反対に、隣のシリルさんはなんだかご機嫌だった。
手も離さない。
……まあ、いいか。
せっかく王都まで来たんだから、今はそれより観光だ。
「お城を見てみたいです!」
馬車の中から見えた、あの大きな白いお城。
近くで見たらどれくらい大きいんだろう。
期待してシリルさんを見ると、少し困ったように笑った。
「お城はここからだと少し離れてるんです。明日の朝、馬車で行きませんか? その方がゆっくり見られますよ」
「あ、そうなんですね」
ちょっと残念。
でも、せっかくならゆっくり見たい。
「その代わり、この近くに王都名物がありますよ」
「名物ですか?」
「あそこに見える大からくり時計です」
シリルさんが少し先を指差す。
人の頭越しに視線を向けると、建物の間から大きな時計塔の上部分が見えた。
「からくり時計!」
「三時間ごとに鐘が鳴って、人形たちが動くんです」
「見たすぎます!」
からくり時計なんて、この世界に来てから初めて聞いた。
しかも王都名物。
それは絶対見たい。
私が一気に食いつくと、シリルさんはポケットから懐中時計を取り出して時間を確かめた。
「……あと七分ですね」
「えっ!?」
もう一度、時計塔を見る。
……結構遠い。
人も多い。
普通に歩いてたら間に合わないんじゃ……。
「急げば間に合いますか?」
「たぶん。少し急ぎましょう」
「はい!」
そのまま時計塔へ向かって走り出す。
けれど、王都の石畳は思っていたより広いうえに、人を避けながら進まないといけない。
「す、すみませーん!」
人の間を縫うように進みながら、必死についていく。
最初はまだ余裕があった。
でも。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
ちょっと待って。
思ったよりしんどい。
普段お店の中では動き回ってるけど、全力で走る機会なんてほとんどない。
しかもシリルさん、速い。
私に合わせてかなり速度を落としてくれているはずなのに、それでも普通に速い。
ちらっと隣を見る。
……
呼吸ひとつ乱れてない。
なんで?
こっちはもう結構必死なんですけど。
シリルさんは時計塔を見上げると、少しだけ眉を寄せた。
「……少し間に合わないかもしれません」
「えぇっ! ここまで走ったのに!」
それは嫌だ。
あとちょっとなのに。
そう思った瞬間、シリルさんがこちらを見た。
「ノアさん、失礼」
「え?」
何が?
そう聞き返すより早かった。
ふわり、と体が浮く。
「うぇえええっっ!?」
視界が一気に高くなり、次の瞬間にはシリルさんの腕の中にいた。
え。
ちょっと待って。
これ。
抱っこされてる!?
「シ、シリルさんっ!?」
「しっかり掴まっててください」
言うが早いか、シリルさんは私を軽々と抱えたまま一気に駆け出した。
「うぇっ、速っ!」
さっきまで自分で走っていた時とは比べものにならない。
景色がどんどん後ろへ流れていく。
道行く人が一瞬こちらを見ている気もするけど、それを気にする余裕なんてない。
「ちょ、ちょっと待っ……シリルさん! 速い速い速い!」
私の悲鳴なんて気にも留めず、シリルさんは真っすぐ時計塔を目指して走っていく。
いや、これ走ってる?
飛んでない?
以前、石を潰せるって聞いた時も思ったけど、この人の身体能力やっぱりおかしい。
というか今それどころじゃない。
近い。
顔も近い。
いや違う、落ちる。
どこ掴めばいいの!?
結局シリルさんの服をぎゅっと掴んだまま、ほとんど運ばれるようにして広場へ飛び込んだ。
その瞬間――。
ゴォォォーン……
大きな鐘の音が、王都の街いっぱいに響き渡った。
びくっと肩が跳ねる。
「間に合いました」
シリルさんは本当に何事もなかったみたいな顔でそう言うと、私をそっと地面へ下ろした。
「はぁ……っ、はぁ……」
ちょっと待って。
私は今、自分で走ってた時より疲れてる気がする。
体力じゃない。
いろいろと。
まだ顔が熱い。
でも、そのことを考える暇もなく、目の前の時計塔から煌びやかな音楽が流れ始めた。
「ッ!……」
時計塔の扉がゆっくり開いていく。
中から小さな人形たちが次々と姿を現し、音楽に合わせてくるくると動き始めた。
兵士みたいな人形に、きれいなドレスを着た人形。小さな馬車まで出てきて、鐘の音に合わせるようにゆっくり時計塔を巡っていく。
「うわぁ……」
さっきまで抱き上げられていた恥ずかしさは、まだしっかり残っている。
心臓もまだちょっと速い。
でも。
目の前で動き出した人形たちを見た瞬間、それどころじゃなくなった。
すごい。
こんなの、この世界にもあるんだ。
私は息をのみ、気付けば隣にいるシリルさんのことも忘れて、その光景に夢中で見入っていた。




