89話 小さなリーヴェルで
ガレットのお店を出て、王都の通りを少し歩く。
さっきまで食事をしていた通りも十分賑やかだったけれど、少し進むだけでまた雰囲気が変わる。食べ物を扱う店の間に衣料品や雑貨、工芸品の店が混ざり、人の流れも途切れない。
あっちも見たい。こっちも気になる。
でも今日は観光じゃなくて仕事だ。
何度か横道へ吸い込まれそうになるのをこらえながらシリルさんについていくと、少し先で足が止まった。
「着きました」
「ここですか?」
シリルさんの視線を追って見上げると、大きな木製の看板が目に入った。
――小さなリーヴェ。
「素敵……」
思わずそのまま見入ってしまう。
小さなリーヴェ。
名前を聞いただけで、何を扱っているお店なのかなんとなく分かる。それに、リーヴェの街をそのままぎゅっと小さくして王都へ持ってきたみたいで、なんだかかわいい。
「いい名前ですね」
「僕も好きですよ。王都にいながらリーヴェを知ってもらえる店にしたかったそうです」
「なるほど……ますます気になってきました」
シリルさんが扉を開けてくれる。
「行きましょう」
「はい!」
店内へ入った途端、いろんな香りが混ざって鼻へ届いた。焼き菓子の甘い匂いに、乾燥させた茶葉や香油、それから木や革の匂い。
想像していたより、ずっと広い。
店の奥にいた男性がこちらへ気付き、ぱっと表情を明るくした。
「あっ、シリル坊ちゃん! ようこそお越しくださいました」
坊ちゃん。
思わずシリルさんを見る。
呼ばれた本人は少し照れくさそうに笑っていた。
「もう坊ちゃんはやめてください。今日はよろしくお願いします」
「これは失礼しました。つい昔の癖で」
店主らしき男性は笑いながら頭をかく。その隣には、柔らかな雰囲気の女性が立っていた。
「お待ちしておりました。そちらの女性が……?」
「はい。こちらがシャボンノアのノアさんです」
紹介され、一歩前へ出る。
「初めまして。シャボンノアのノアと申します。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします。私は店主のエドガーです。こちらは妻のミリアになります」
「ミリアです。お会いできるのを楽しみにしていました」
「えっ、私もです! よろしくお願いします」
二人揃って頭を下げられて、こちらも慌ててもう一度頭を下げる。
なんだかすごく感じのいい人たちだ。
初めて来た場所で少し緊張していたけれど、二人の柔らかな笑顔を見ているうちに肩の力が抜けていく。
シリルさんが私へ向き直った。
「お二人とも、以前はリーベル商会で働いていたんです。今はこの『小さなリーヴェ』を任せています」
「そうだったんですか!」
「ええ。おかげさまで毎日忙しくさせてもらっています。特にリーヴェ出身のお客様が懐かしがって来てくださることも多いんですよ」
エドガーさんはそう言って、少し嬉しそうに店内を見回した。
リーヴェを離れて王都に暮らしている人にとっては、故郷の商品が並ぶこの店は特別なのかもしれない。
「まずは店内をご案内しますね」
「お願いします!」
エドガーさんについて歩きながら、店の中を見て回る。
棚にはリーヴェで見覚えのある商品がずらりと並んでいた。
「あっ、これ知ってる! これもあります!」
思わず足が止まる。
よく見かける焼き菓子に、街で売られている茶葉。以前、宿のお客さんがお土産に買っていたものまで置かれている。
一方で、私が知らないものもたくさんあった。
「へぇ……こんなものまであるんだ」
「リーヴェ周辺の村で作られている物も扱っています。王都では珍しいものも多いんですよ」
そう言われて見れば、工芸品や小瓶に入った香油、布製品まである。
同じリーヴェに住んでいても、知らないものって結構あるんだな。
商品を見るのも楽しいけれど、いつの間にか私の目は店員さんたちの動きを追っていた。
お客様へ声をかけるタイミング。商品の説明の仕方。手に取った人が迷っていれば近づき、必要がなければ無理には話しかけない。
包装も店によって全然違う。
紙の折り方ひとつでも見せ方が変わるし、贈り物だと分かれば自然におすすめの商品を添えている。
なるほど……。
こういう説明の仕方もあるんだ。
自分のお店では当たり前になっていたことも、場所が変わると全然違って見える。
店員さん一人ひとりの接客を、ついじっくり見てしまう。
「気になりますか?」
隣から声をかけられて振り向くと、シリルさんが少し笑っていた。
「はい。商品もですけど、接客の仕方がシャボンノアと全然違うので。見てるだけでも勉強になります」
「ノアさん、さっきからずっと店員の動き見てましたからね」
「バレてました?」
「かなり」
恥ずかしくなって笑う。
でも、こういう場所で売ってもらうなら、ここに合う売り方も考えた方がいい。
シャボンノアそのままを持ってくるだけじゃなくて、このお店のお客様にもちゃんと伝わる形にしないと。
そんなことを考えながら店内を一周すると、エドガーさんがある場所で足を止めた。
「ノアさん。私たちは、この辺りにシャボンノアをと考えているんですが、いかがでしょう?」
「ここですか?」
入口からもよく見える場所だった。
広さも十分あるし、人が店へ入ってきた時に自然と目に入る。
「わぁ……!」
思わず声が出る。
ここなら棚も置けるし、商品もきれいに並べられそう。
かなりいい。
……ん?
窓を見る。
日差しが、その場所へしっかり差し込んでいた。
「あの……エドガーさん」
「はい?」
「ごめんなさい。場所自体はすごくいいんですけど、石けんは日当たりのいい場所だと品質が落ちやすいんです。特に長く置くことを考えると、できれば直射日光は避けたいです」
「あっ、そうでしたか。そこまでは考えていませんでした」
エドガーさんはすぐに店内を見回した。
「でしたら……こちらはどうでしょう?」
少し奥へ移動する。
最初の場所ほど日差しは入らない。でも入口から死角になるわけでもなく、お客様が店内を歩けば自然と目に入る位置だった。
しかも、壁際だから棚も作りやすそう。
「ここなら!」
思わず笑顔になる。
「ここ、すごくいいです!」
「よかった。それでは、ひとまずこの辺りを候補にしましょう」
私はその一角の前に立ったまま、じっと壁と床を見る。
棚はこのくらいの高さかな。
石けんはここ。
定番のシャボンノアを一番見やすいところに置いて、フィオラは隣。足用石けんは少し説明がいるから、分かりやすい場所に説明も置きたい。
アラボンは……絶対いる。
むしろアラボンがいないとシャボンノアじゃない。
ポップはこっち。
商品説明は……王都の人にもすぐ分かるように、少し作り直した方がいいかも。
気付けば、頭の中ではもう売り場が出来上がり始めていた。
この小さなリーヴェの中に、小さなシャボンノアを作る。
それを想像しただけで、どんどん楽しくなってくる。
「ノアさん?」
「あ、すみません。もう頭の中で棚作ってました」
「もうですか?」
エドガーさんが目を丸くする。
「はい。たぶん、もう半分くらいできてます」
「それは頼もしいですね」
ミリアさんまで笑っている。
シリルさんだけは、なぜか納得したような顔だった。
「ノアさんならそうなると思ってました」
「なんですかそれ」
「褒めてますよ」
絶対ちょっと面白がってる。
「売上や配送などのお話は、リーベル商会から聞かれていますか?」
「いえ、まだそこまでは。でも、置いていただけるならぜひお願いしたいと思っています」
「分かりました。その辺りは商会とも相談しながら決めていきましょう。こちらとしても、シャボンノアの商品を置けるのは楽しみです」
エドガーさんが穏やかに頷く。
その時、少し離れた棚を見ていたミリアさんがエドガーさんへ声をかけた。
「あなた、この商品少なくなってるから補充しておきますね」
「ああ、頼むよ。下の箱にまだ入ってるはずだ」
「分かりました」
それだけの短いやり取りだったけれど、妙に自然だった。
わざわざ確認しなくても、お互いが何をしているのか分かっているような感じ。
「お二人、とても仲がいいんですね」
思ったまま口にすると、エドガーさんは少し照れたように笑った。
「そう見えますか?」
「はい。なんか、息ぴったりって感じです」
「長いですからね。それに、妻と一緒にこの店を持てたことは、本当にリーベル商会のおかげなんです。感謝してもしきれません」
ミリアさんも少し恥ずかしそうに微笑む。
「私も、この人と一緒に働けるのが一番楽しいですから」
「もう、ミリア」
エドガーさんが困ったように笑う。
……いいなぁ。
なんだろう。
いいな、と思ったのに、同時に胸のどこかがほんの少しだけ引っかかった。
羨ましい……のかな。
でも何が羨ましいのか、自分でもよく分からない。
夫婦でお店をしてること?
一緒に働いてること?
それとも、ああやって当たり前みたいに隣にいること?
考えてみても答えは出なかった。
私は誤魔化すように、もう一度シャボンノアを置く予定の場所へ視線を戻す。
すると、さっきまでぼんやりしていた売り場がまた頭の中に浮かんできた。
棚の高さ。
飾り方。
商品の並べ方。
アラボンを置く場所。
ポップの位置まで。
全部。
「シリルさん!」
思わず振り返る。
目を輝かせたままシリルさんを見上げた。
「私、ここに商品を置きたいです!」
自分でも分かるくらい声が弾んでいた。
シリルさんはそんな私を見て、一瞬だけ目を細めたあと自然と笑顔になる。
「はい。ぜひ、一緒に作っていきましょう」
「はい!」
エドガーさんとミリアさんも、嬉しそうに頷いている。
王都での販売。
ここへ来るまでは、まだどこか現実味がなかった。
でも今は違う。
この場所に棚が置かれて、自分の作った石けんが並ぶ姿がちゃんと想像できる。
「あっ、そうだ!」
そこで大事なことを思い出した。
「危なかった。忘れて帰るところでした」
慌てて持ってきた荷物をごそごそと探り、用意していた箱を取り出す。
「こちら、お渡しするのを忘れていました」
近くの机へ箱を置き、蓋を開ける。
「シャボンノアの商品がすべて入ったサンプルになります。ぜひ皆さんで使ってみてください」
「全部ですか?」
エドガーさんが箱の中を覗き込み、目を丸くした。
「こんなに……よろしいんですか?」
「もちろんです! 実際に使っていただくのが一番ですから」
売る人が使ったこともない商品を説明するのは難しい。
香りも、泡立ちも、洗ったあとの感じも、説明を読んだだけでは分からないことがある。
「販売していただくことになったら、お客様から質問されることもあると思うんです。なので、まずは皆さんに使ってみてほしくて。気になったことや、使ってみて感じたことがあれば、いいことでも悪いことでも何でも教えてください」
「分かりました。店の者にも使ってもらいます」
ミリアさんは箱の中から石けんを一つ手に取ると、包みを眺めながら嬉しそうに笑った。
「これがシャボンノアの石けんなんですね。王都でも名前を聞くことが増えていたので、私も使ってみたかったんです」
「本当ですか!?」
「はい。実はちょっと楽しみにしてました」
それを聞いた瞬間、思わず顔が緩む。
「ぜひぜひ使ってください!」
「ありがとうございます。販売する日が、ますます楽しみになりました」
王都で、私の知らない人がシャボンノアの名前を知っている。
それだけでも不思議なのに、使ってみたいと思ってくれている人までいる。
リーヴェの小さなお店で始めた石けんが、ここまで来たんだ。
私はもう一度、商品を置く予定の一角を見る。
ここにシャボンノアが並んで、お客様が足を止める。
手に取って、香りを確かめて、その中の一つを選んで持って帰ってくれる。
そんな光景を想像すると、早く本当に見てみたくなった。
シャボンノアが、この王都でも誰かの日常に入っていく。
その日が、思っていたより近くまで来ている気がした。




