88話 王都での仕事
馬車はゆっくりと王都の門をくぐった。
「うわ……すっごぃ……」
思わず窓の外へ顔を向ける。
広い石畳に、どこまでも続く建物。その間を埋めるように人、人、人。
リーヴェとは比べものにならないくらい賑わっていて、右を見ても左を見ても知らないものばかりだった。
馬車が止まると、先に降りたシリルさんがこちらへ手を差し伸べる。
「どうぞ」
これは!
噂の紳士のやつーー!
ぅわー! 初めて生で見たー!
ここは御相伴に預かっておこう。
さらっとその手を握り、シリルさんに支えられながら馬車を降りる。
ふっ。これで私も立派な淑女……
――あれ?
地面に降りたのに、そのまま手が離れない。
思わずシリルさんを見上げると、何事もないように穏やかに微笑んだ。
「王都は人が多いですから。はぐれないように」
「あ、ありがとうございます」
思っていたよりしっかり握られていて、さらっと外す雰囲気でもない。
……まあ、確かに人は多いし。
さっきから目の前を何人も横切っていく。ここではぐれたら、方向も分からない私は一瞬で迷子になる自信がある。
そのまま二人で歩き出す前に、シリルさんが御者へ声をかけた。
「積んでる荷物は宿までお願いします。必要なものは持っていますので」
「承知しました」
御者は一礼すると、そのまま宿へ向かって馬車を走らせていった。
「じゃあ、まずは昼食にしましょう」
「はい!」
案内されたのは、ガレットが評判のお店だった。
店に入った瞬間から焼きたての香ばしい匂いがして、さっきまで街並みに夢中だったお腹が急に空腹を思い出した。
運ばれてきたガレットは端がぱりっと焼けていて、中には具材がたっぷり入っている。夢中で食べて、食後には甘いデザートまでいただいた。
大満足。
温かいお茶を飲みながら、ようやく一息つく。
「あっ」
ふと思い出した。
「馬車で聞こうと思ってたんですけど、寝ちゃったんでした」
シリルさんがくすっと笑う。
「なんですか?」
「これから行くお店って、どんなお店なんですか?」
そういえば、王都へ行くことばかり楽しみにしていて、肝心のお店については詳しく聞けていなかった。
「そうですね。リーベル商会は王都にもいくつか店があります。今日行くのは、その中の一つです」
「そうなんですね」
「リーヴェの特産品を扱っている店なんです。食べ物やお菓子、工芸品、香油なんかも置いています」
「あ、じゃあリーヴェのいいものを集めたお店なんですね」
「そんな感じです」
なるほど。
それならシャボンノアを置きたいと言ってくれた理由も分かる。
「店の中はいくつかのコーナーに分かれています。その一角に、小さなシャボンノアを作っていただきたいと思っています」
「シャボンノアのお店……」
王都に、自分のお店。
正確には一角を借りるだけだし、まだ販売が決まったわけでもない。
それでも、その言葉だけでちょっとにやけそうになる。
「もちろん僕たちも商品について勉強します。でも、実際に作っているノアさんだからこそ伝えられることもあると思うんです」
私はにやりと笑った。
「でも、シリルさんはうちの商品のこと、完璧に把握してますよね?」
「しばらく販売員として働いていましたから」
「様になりすぎてましたよ」
二人で笑う。
護衛として来ていたはずなのに、最後の方なんて普通に商品説明もするし、包装まで手伝っていた。
あの時の姿を思い出すと、今でもちょっとおかしい。
「でも、実際に店頭へ立つのは王都の販売員です。その人たちにも商品のことをしっかり知ってもらいたいので、一度リーヴェへ来てもらおうと思っています」
「実習みたいな感じですね」
「そうですね。実際にシャボンノアの商品を見て、ノアさんから説明や接客の仕方も教えてもらえたら助かります」
「もちろんです!」
それなら私にもできる。
商品そのものだけじゃなくて、どう説明しているのか。どんなふうに包んでいるのか。お客さんが迷っていた時に、どこまで声をかけるのか。
そういうところまで知ってもらえたら安心だ。
「まだ何も決まっていませんが、もしこちらで販売することになったら、私も何度かこちらの店頭に立ちたいんです。そういうことは可能なんでしょうか?」
シリルさんは少し驚いたように目を丸くした。
「ノアさんもですか?」
「はい。せっかく王都で売るなら、どんな人が買ってくれるのか見てみたいですし、直接お客様の声も聞いてみたいんです」
そう言うと、シリルさんはすぐに嬉しそうに笑った。
「もちろんです。作り手本人が店頭に立ってくれるなら、お客様にも販売員にも心強いと思います」
「じゃあ、店主ノア頑張ります!」
思わず胸を張る。
「あ、まだこれからの話でした」
「ふふっ、そうですね」
二人で笑い合う。
まだ王都のお店すら見ていない。
販売が決まったわけでもない。
でも、もし本当にここでシャボンノアの商品が並ぶことになったら。
その時は私もここに立って、直接お客様の声を聞いてみたい。
そんな気持ちが、少しずつ大きくなっていた。




