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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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87話 白い城

 ガタン、ゴトン――。

 ガタン、ゴトン――。


 規則正しい揺れに身を任せる。


 窓の外には、見知らぬ景色が流れていく。どこまでも続く線路。車輪の音が心地よく耳に響く。


 その向こうでは、街並みが飛ぶように過ぎていった。


 建物。看板。人影。


 どれもはっきりとは見えないのに、なぜか知っている気がする。


 ――なんだか、懐かしい。


「……ん」


 ゆっくり目を開ける。


「……っ! す、すいません!」


 反射的に体を起こした。


 隣の人の肩にもたれかかって寝てしまった。


 そう思って慌てて謝ったところで、目の前の景色に違和感を覚える。


「あ……」


 電車じゃない。


 馬車だ。


 窓の外に線路はないし、さっきまで聞こえていた車輪の音も違う。


 夢……だったのかな。


 でも妙にリアルだった。


 恐る恐る隣を見る。


「シリルさん……」


 すぐ近くにいたシリルさんと目が合った瞬間、ぶわっと顔が熱くなる。


「目が覚めましたか?」

「す、すみません……!」

「よく眠っていましたね」

「よ、よだれとか出てませんでしたかね……?」

「大丈夫です」

「よかったぁ……」


 そこだけは本当によかった。


 肩にもたれた上によだれまで垂らしてたら、しばらく顔を見られないところだった。


 胸をなで下ろしたところで、ふと気付く。


 ……あれ?


「シリルさん、寝る前って向かいに座ってませんでした?」

「座ってました」

「ですよね? じゃあ、なんで今……」


 私が首をかしげると、シリルさんは少し笑って理由を教えてくれた。


「ノアさんが眠ってから何度か馬車が大きく揺れたんです。窓に頭をぶつけそうになっていたので、こちらへ移りました」

「えっ」

「というか、実際に二度ほどぶつけています」

「えぇっ!?」


 思わず窓を見る。


「全然覚えてないです……」

「かなりよく寝てましたからね」

「私、そんなに爆睡してたんですか……」


 頭をぶつけても起きないって、どういうことなんだろう。


「危ないと思って、支えさせてもらいました」


 さらっと言われて、意味を理解するまで少しかかった。


 ……つまり。


 窓に頭をぶつけないように隣へ移ってくれて、そのままずっと肩を貸してくれていたってこと?


「うわぁぁ……本当にすみません!」


 恥ずかしすぎる。


 両手で顔を覆いたくなる私とは反対に、シリルさんは全然気にしていないようだった。


「役得です」


 その一言に、ぴたりと動きが止まる。


「……え?」


 聞き間違い?


 顔を上げると、シリルさんは少しだけ楽しそうに笑っている。


 ……聞き間違いじゃないっぽい。


「いや……ハハ。やっちゃいました」


 なんて返せばいいのか分からなくて、結局そのまま両手で顔を覆った。


 恥ずかしい。


 そして少し落ち着いたところで、別のことに気付く。


「あ……それに寝すぎました」

「昨日あまり寝てないって言ってましたもんね」

「それもあるんですけど……せっかく初めて見る景色だったのに」


 王都までの道なんて、私にとっては全部初めてだ。


 どんな村があるのかも、どんな景色が広がっているのかも、本当なら全部見ておきたかった。


「変わった景色とかありました?」

「村をいくつか通りましたよ。それと、大きな川もありました」

「やっぱり!」


 思わず肩を落とす。


「絶対なんかあったと思ったんですよ。もったいないことしちゃったなぁ」

「帰りにも通りますよ」

「でも、初めて見るのは行きの一回だけじゃないですか」

「そこまで違います?」

「違います!」


 即答すると、シリルさんが少し笑った。


「ノアさんらしいですね」

「どういう意味ですか、それ」


 ちょっと不満そうに言ってみたけど、自分でもなんとなく分かる気がする。


 知らないものは見たい。


 初めて見るものなら、なおさらだ。


「帰りは絶対寝ません!」

「昨日みたいに寝不足なら、無理しない方がいいですよ」

「寝ません!」

「分かりました」


 全然信じてない顔だ。


「ちなみに王都まで、あとどれくらいですか?」

「四十分ほどですね」

「そんなに寝てたんですね……」


 思っていたよりずっと長かった。


 そこでまた一つ気付く。


 私が起きたんだから、シリルさんは向かいの席へ戻るのかな。


 そう思って少し待ってみたけれど、シリルさんはそのまま隣に座って窓の外を眺めている。


 ……戻らないんだ。


 じゃあ、このままでいいのかな。


 別に嫌ではない。


 むしろ向かいにいた時より距離が近いだけで、なんとなく落ち着かない。


 でも私から「向かいに戻ってください」って言うのも、それはそれで変だ。さっきまで普通に肩を借りて寝てたのに、起きた途端に離れてくださいっていうのもおかしい気がする。


 どうするのが正解なんだろう。


 少しだけそわそわしながら、結局私も窓の外へ目を向けた。


 馬車の中には、またガタゴトと車輪の音だけが響く。


 その音を聞いていると、さっきの夢がまた少しだけ頭に浮かんだ。


 電車。


 そうだ。


 あれは、たぶん電車だった。


 窓の外を、街並みが飛ぶように過ぎていく景色。規則正しい音と、揺れる車内。


 そこまでは分かる。


 でも、自分がどこへ向かっていたのか、誰と一緒だったのか、その先は何も出てこない。


 前なら「電車」という言葉すら、こんなふうにはっきり出てこなかった気がする。


 少しずつ。


 本当に少しずつだけど、前より思い出せることが増えてきているのかもしれない。


 そんなことを考えていると、隣から声がした。


「ノアさん、もうすぐ見えてきますよ」

「え?」


 言われた方へ顔を向ける。


 遠く、青空の下。


 最初は白い何かにしか見えなかったものが、馬車が進むにつれて少しずつ形を持ちはじめる。


「あっ……!」


 思わず窓へ身を寄せた。


 白い石で造られた大きな城。


 王都へ着く前から見えると聞いていたけれど、本当にこんな遠くから見えるとは思わなかった。


 リーヴェの領主様のお館なんて比べものにならない。


 いくつもの塔が空へ伸び、その周りにも大きな建物が連なっている。遠くにあるせいで細かいところまでは見えないのに、それでも十分すぎるくらい大きさが分かる。


「うわぁ……」


 さっきまでの眠気も、恥ずかしさも、一気にどこかへ飛んでいった。


「あれが王都のお城ですか?」

「そうです。もう少し近づくと、もっとよく見えますよ」


 その言葉を聞きながらも、目が離せない。


(ファンタジーだ……)


 思わず頬が緩む。


 異世界に来て石鹸を作って、お店まで持って、今度は王都のお城を見ている。


 なんだか今さら、とんでもないところにいるんだなと思った。


 目を輝かせたまま、私はその景色からしばらく目を離すことができなかった。

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