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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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86話 王都へ

 ガタゴト、ガタゴト――。


 馬車は王都へ向かって、街道をゆっくり進んでいた。


 窓の外には見慣れた景色が流れている。いつもの街を離れてまだそれほど経っていないのに、今日は朝からずっと落ち着かない。


「よく眠れましたか?」


 向かいに座るシリルさんに聞かれて、私は苦笑した。


「実はあんまり。わくわくと、どきどきで」

「やっぱりですか。朝からずっと楽しそうでしたもんね」

「だって初めての王都ですよ! ずっと行ってみたかったんです」


 言っているだけで、また楽しみになってくる。


「王都って、お城があるんですよね? やっぱりすごく大きいんですか?」

「大きいですよ。白い石で造られていて、王都の門に着く前から見えてきます」

「えぇー! 白いお城!」


 思わず窓の外へ顔を向ける。


 もちろん、まだ見えるわけがない。


「リーヴェの領主様のお館あるじゃないですか。あれより大きいんですよね?」

「比べものにならないですね」

「そんなに!?」


 思わず振り返ると、シリルさんが笑った。


「かなり期待してます?」

「してます! めちゃくちゃしてます!」


 お城だけじゃない。


 王都なんて聞いたら、広い通りがあって、大きなお店が並んでいて、人もいっぱい歩いていて――。


 考え始めたら止まらない。


「シリルさん」

「はい?」

「お願いがあります!」

「なんでしょう」

「ちょーっとだけ、観光してもいいですか?」


 一瞬きょとんとしたあと、シリルさんがふっと笑った。


「もちろんです。せっかく初めて王都へ行くんですから、仕事だけで帰るのはもったいないでしょう」

「やった!」


 思わず両手を握る。


「着いたら、まず昼食にしましょう。そのあと商会へ行って、用事が終わったら少し歩きませんか?」

「行きます! どこ行きます?」

「そうですね……ノアさんなら市場は好きそうですし、大きな広場もありますよ。噴水もありますし、劇場の辺りも賑やかです」

「市場!」


 そこに一番反応してしまった。


「やっぱりそこなんですね」

「いやいや、お城も見たいですよ? でも王都の市場ですよ。リーヴェにない物とか絶対いっぱいあるじゃないですか」

「たぶん、ノアさんは市場に入ったらしばらく出てこないでしょうね」

「そんなこと……あるかもしれません」


 シリルさんが声を出して笑う。


 そこからは、王都の話が止まらなくなった。


 市場にはどんな物が並ぶのか。広場はどれくらい広いのか。食べ物は何が有名なのか。


 私が次々聞くたび、シリルさんは知っていることを教えてくれる。


「そういえば、旅行するのも初めてですか?」


 その言葉に、少しだけ考えた。


「うーん……どうなんでしょう。私、あまり記憶がなくて」


 シリルさんの表情が変わる。


「あまり記憶がない?」

「はい。エマさんに拾ってもらう前のこと、ほとんど覚えてないんです」


 そういえば、ちゃんと話したことなかったかもしれない。


「倒れてるところをエマさんが見つけてくれて。それから宿でお世話になって、気づいたら石鹸作って、お店まで作ってました」


 へらっと笑う。


「改めて考えると、私もなかなか忙しいですね」


 冗談っぽく言ったけれど、シリルさんはすぐには笑わなかった。


「……そうだったんですね」


 少しだけ視線を落とす。


 何か考えているようにも見えたけど、それ以上は聞かれなかった。


「でも、今は毎日楽しいですよ。お店もありますし、周りの人にも恵まれてますし」


 そう言うと、ようやくシリルさんも少し笑った。


「それならよかったです」

「はい」


 馬車が大きく揺れる。


 昨夜ほとんど眠れなかったせいか、さっきまであれだけ騒いでいたのに、急に眠気がやってきた。


 揺れも思っていたより心地いい。


 シリルさんの声を聞きながら窓の外を眺めているうちに、だんだん瞼が重くなってきた。


 ……ちょっとだけなら、寝てもいいかな。

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