85話 新人
コンコン
「失礼します」
その声を聞いた瞬間、何かが引っかかった。
聞き覚えのある声だった。まさかと思いながら扉へ視線を向けると、ゆっくり開いた扉の向こうから、見慣れた銀髪の青年が入ってくる。
その姿を見た瞬間、頭の中が一度止まった。
「え……? シリルさん!?」
思わず声が裏返る。
だって、ついこの前まで冒険者だった人だ。しかもあれだけ有名で、普通に考えたら「新人」と呼ばれる側ではない。
なのに今、目の前にいるシリルさんは、どう見てもリーベル商会の一員みたいな顔をして立っていた。
さすがに驚いて固まっていると、向かいに座っていたライネルさんが満足そうに口元を緩めた。
……絶対これ、私の反応見たかっただけだ。
「お茶をお願いします」
「かしこまりました」
控えていた従業員が一礼し、部屋を出ていく。
その間にシリルさんは私の前まで歩いてくると、背筋を伸ばしてきれいに一礼した。
「はじめまして。新人のシリルです。よろしくお願いいたします」
「……新人?」
思わず聞き返す。
いや、待って。
何がどうなったらそうなるの。
シリルさんを見る。ライネルさんを見る。もう一度シリルさんを見る。
どこからどう見ても本人だ。
「えぇぇ……? どゆこと?」
考えるより先に、完全に素の声が出た。
ライネルさんは吹き出しそうになるのをこらえながら、わざとらしく咳払いをする。
「元々、家族はシリルが冒険者になることには反対していたんです。危険と隣り合わせの仕事ですからね。ただ、何の覚醒遺伝なのか、こいつは昔から妙に身体能力が高くてですね。冒険者という仕事に向いていたものですから、最終的には本人の意思を尊重して続けてもらっていました」
「それじゃあ、どうして急に……?」
私が聞くと、ライネルさんは一度シリルへ視線を向け、それからまた私を見る。
「まあ、その辺はいろいろありまして」
「いろいろ?」
「ええ。いろいろです」
意味ありげに笑う。
絶対なんか隠してる。
そう思ってシリルさんを見ると、本人は少し困ったように笑うだけで、説明してくれる気配がない。
……私だけ分かってない。
なんか悔しい。
「とりあえず、冒険者を完全に辞めたというより、今はこちらの仕事を手伝ってもらっていると思ってください。商会の仕事も昔から時々やっていましたし、全くの新人というわけではないんですが」
「いやでも、今『新人のシリルです』って……」
「そこは本人が言いたかったんでしょう」
「兄さん」
シリルさんが少しだけ眉を寄せる。
その反応を見て、ライネルさんがますます楽しそうに笑った。
なんなんだ、この兄弟。
さっきまで王都販売の話をしていたはずなのに、急に話の情報量が増えすぎて頭が追いつかない。
「それでですね」
ライネルさんはようやく本題へ戻るように姿勢を正した。
「王都までは馬車で五時間ほどかかります。ノアさん一人で行ってもらうより、案内できる人間が一緒の方が安心でしょう。そこで、シリルに王都までの護衛兼案内役をお願いしようと思っています」
「シリルさんが?」
「はい。王都にも何度も行っていますし、道も分かっています。護衛としての腕については、今さら説明するまでもないでしょう」
それは確かにそうだ。
むしろ護衛だけで考えたら、これ以上ないくらい安心できる。
ただ。
私はもう一度シリルさんを見る。
冒険者の時とは違って、今日は商会の人らしいきちんとした服装をしている。見慣れているはずなのに、なんだか少しだけ違って見えた。
そういえば、この人が護衛として毎日店に来ていた時も、気づけば普通に店員みたいになっていたっけ。
……いや。
馴染むの早すぎるんだよな、この人。
「ノアさんが嫌でなければ、ですが」
シリルさんが少しだけ遠慮がちに言う。
その言い方に、逆にこっちが戸惑った。
「嫌なわけないじゃないですか。むしろシリルさんなら安心です」
「本当ですか?」
「はい。よろしくお願いします」
そう答えると、シリルさんの表情がぱっと明るくなった。
さっきまで少し緊張していたのかもしれない。
そんなふうに見えるくらい、分かりやすく嬉しそうな顔をする。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
照れくさそうに笑って、小さく頭を下げる。
その横でライネルさんが、何かを知っている人の顔でこちらを見ていた。
……なんなんだろう。
やっぱり私だけ、何か知らない気がする。




