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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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82/105

82話 あの時の一言

 店を出ると、手には紙袋がひとつ。中には、ノアさんから渡された石鹸が入っている。


『お店の商品です。よかったら全部使ってみてください。感想も聞かせてもらえると嬉しいです』


 そう言って、いくつも詰めてくれた。


「こんなにもらっちゃっていいんすか?」


『お店で働くなら、まずは知っておいてほしいので』


 にこっと笑って渡してくれた顔を思い出す。


「いい人だったなぁ」


 紙袋を抱え直したところで、お腹がぐぅっと鳴った。そういえば依頼から戻って、そのまま面接に来たから何も食べてない。


「……腹減った。なんか買って帰ろ」


 大通りの屋台を目指して歩き出す。


 お腹は減っているのに、頭の中に浮かぶのはさっきの面接のことばかりだった。


 綺麗なお姉さんだったし、思っていたよりずっと話しやすかった。仕事内容もちゃんと説明してくれたし、服まで用意してくれるらしい。


 しかも明日から働くことまで決まった。


 ……


 改めて考えると、展開早すぎない?


 そもそも。


 なんでこんなことになったんだっけ。


◇


 少し前。


 依頼を終えて街へ戻ったところで、見慣れた銀髪を見つけた。


「師匠ー! 見てくださいよ、この防具!」


 走り寄って胸当てを叩くと、師匠がちらりと視線を向けた。


「新しくしたんすけど、ぜんぜん可愛くないんすよ。性能はいいんすよ? でも全然気分上がんないっす」

「命を守るためのものだからな」

「それは分かってるんすけど、見た目って大事じゃないっすか。もうちょっと可愛かったら頑張れる気がするんすよ」


 動きやすいし、防御力も悪くない。冒険者として使うなら何も問題はないんだけど、色も形もとにかく地味だ。


 師匠なら少しくらい分かってくれるかと思ったのに、案の定そこには全然興味がなさそうだった。


 しばらく黙ったまま歩いていた師匠が、不意に口を開く。


「……ノエル」

「はい?」

「護衛の仕事がある」

「……え?」


 さっきまで防具の話してたよね?


 急すぎる。


「なんすか、それ。またどっかのお偉いさんにでもついていくんすか?」

「詳しいことはまだ話せない。俺から依頼されたことも、相手には言わないでほしい」

「えぇ? 余計気になるんすけど。危ない仕事なんすか?」

「今は危険ではない。守ってほしい人がいる」

「どんな人なんすか?」


 師匠は答えない。


「いやいや、そこ黙るんすか? めっちゃ気になるじゃないっすか」


 それでも何事もなかったみたいに歩き続ける。


 師匠ってたまにこういうとこあるんだよな。


「受けてくれるか」


 先にそこ聞くんだ。


 うちは思わず苦笑した。


「師匠にはいっぱい助けてもらいましたし、お願いされたら断れないっすよ。でも、うちにもできる仕事なんすか?」

「店頭に立つ仕事だ」

「店頭?」


 護衛なのに店頭?


 頭の中に冒険者ギルドでも武器屋でもない、よく分からない店の姿が浮かぶ。


「制服もある」

「……制服?」

「可愛いと思う」

「マジっすか!」


 思わず食いついてしまった。


 さっきまで護衛の内容を聞いていたはずなのに、一気にそっちが気になる。


「どんな制服なんすか? スカートですか? 色は?」

「面接があるかもしれない。決まったら連絡する。その前に話しておくこともある」

「そこは教えてくれないんすか!」

「決まってからだな」

「えぇー」


 でも、可愛い制服。


 それだけでちょっと楽しみになってきた。


「分かりました! とりあえず受けます!」


 勢いよく返事をすると、師匠は小さく頷いた。


 この時はまだ、護衛の仕事を頼まれただけのつもりだった。


 まさか本当に店員として面接を受けて、そのまま働くことになるとは思ってなかった。


◇


 気が付けば、いつもの屋台の前まで来ていた。


「これ一本ください!」


 焼きたての串を受け取り、熱いうちに一口かじる。


「うまっ」


 香ばしい匂いと肉汁が口いっぱいに広がる。依頼終わりに食べる肉は、やっぱり最高だ。


 串を食べながら、反対の手に持った紙袋へ目を落とす。


 石鹸屋。


 接客。


 包装。


 それから、あの制服。


 ノアさんが着ていた淡い水色の制服を思い出す。


 あれ、すごく可愛かったな。


 うちもそのうち、あれ着るんだよな。


 冒険者の時は動きやすさ優先で、短パンに丈夫な服ばっかり。可愛い服なんてほとんど着る機会がなかった。


 店で働くなんて考えたこともなかったけど、もしかしたら意外と悪くないのかもしれない。


 ……いや。


 まだ初日どころか、明日からなんだけど。


 それでも、さっきまで「なんでこうなったんだ」と思っていたのが、少しずつ変わってきた。


 明日、どんな一日になるんだろ。


 残りの肉を頬張りながら、うちはちょっとだけ笑った。


 なんだかんだで。


 明日が楽しみだ。

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