74話 壊れてる
「ただいま」
「おかえりなさいませ、ライネル様」
家令が近付き、ライネルのコートをさっと受け取る。
その時だった。
「ライにぃさま〜!」
エシェルが勢いよく駆け寄ってきて、そのままぎゅっと抱きついてきた。
「どうした?」
見下ろすと、エシェルは今にも泣きそうな顔をしている。
「シリルお兄様が……シリルお兄様が壊れちゃった!」
「……は?」
意味が分からない。
そこへ母がやって来た。
「ライネル」
「母上」
「分からないのよ。あんなシリルを見るの初めてで。何を聞いてもぶつぶつ言ってるし……気持ち悪いのよ」
……実の息子に『気持ち悪い』はないだろ。
母はエシェルの手を取る。
「お兄ちゃん、ちょっと様子を見てきてくれないかしら。ほら、エシェル。こっちへいらっしゃい」
入れ替わるように父が現れ、俺と目が合った。
……なんだ、その『あとは頼んだ』みたいな顔は。頼むから一緒に来い。
心の中でぼやきながら、小さくため息をつく。
シリルが壊れた。
そんな姿、まったく想像がつかない。
いや……ちょっとだけ想像したら笑える。
……いやいや、家族は本気で心配してるんだ。
俺は一人、シリルの部屋へ向かった。
◇
コンコン
「シリル」
返事はない。
「開けるぞ」
そっと扉を開けた瞬間、思わず顔をしかめる。
「……うっ」
なんだこれ。
カビだらけの洞窟か?
部屋中がどんよりしていて、空気が重い。なんか……空間まで歪んで見えるんだが。
そうだった。
忘れてたわけじゃない。
こいつ、規格外の冒険者だった。
なんか体から出る圧みたいなのが、空間を澱ませてる気がする。
知らんけど。
一歩踏み込んだだけで、きつい。
この空気、吸いたくねぇ。
でも息を止めたら俺が死ぬ。
頑張れ。
俺は長男だ。
部屋の奥には、ベッドに腰掛けて俯いている人影がある。たぶん……いや、間違いなく我が弟だ。
恐る恐る近付いてみる。
ほんとだ。
壊れてる。
何かぶつぶつ言ってる。
きもちわりぃ……。
いや、触りたくねぇ。
絶対触りたくねぇ。
俺は胸ポケットに差していたペンを抜いた。
これならいける。
つん
つんつん
「シリル。おい、シリル。どうしたんだ? なんか呪いでもくらったのか? 大丈夫か?」
つん
つんつん
すると、俯いたままだったシリルの首が、ゆっくりこちらを向いた。




