61話 決まったこと
「ノアさん。お受けなさい」
ヴィンスさんが、静かにはっきりと言った。
「え?」
「シリル殿がそばにいるほど、安全なことはないでしょう。そうでしょう?」
「はい」
シリルさんは迷うことなく答えると、少しだけ身を乗り出した。
「ノアさん……」
どこか期待するような目で、こちらを見ている。
(な、なんだろう)
大型犬が、くぅーんと鳴きながら返事を待っている姿と重なって見える。
(気のせいよね)
相手は、街で知らない者はいないほど有名な冒険者だ。大型犬ではない。当然だ。
でも、そう思って見直してみても、やっぱり少しだけそんなふうに見える。いつもは落ち着いていて、何をしていても余裕があるように見える人なのに、今は私の返事を待つ顔が妙に分かりやすい。
私は思わず、シリルさんの顔をじっと見た。
「……?」
見すぎたのか、シリルさんが少し首を傾げる。
「あ、いえ。なんでもないです」
慌てて視線をそらす。
何を観察してるんだ、私は。
私は一度目を閉じ、ふーっと長く息を吐いた。
まさか護衛が必要になるほどの事態になるなんて、思ってもみなかった。けれど、ヴィンスさんの言う通り、偽物を作っている者が一人とは限らないし、露店の男がどんな相手から商品を仕入れているのかも分かっていない。そう考えると、私一人で店に立ち続けるのは危険なのかもしれない。
それに、シリルさんなら安心できる。
これは、かなり大きい。
「分かりました。では、シリルさん。お願いできますか?」
「喜んで」
ぱっと、シリルさんの顔に笑みが広がる。
私はまた、その顔を見てしまった。
今までにも笑っている姿を見たことはある。穏やかに口元を緩めたり、困ったように笑ったり。でも、こんなに分かりやすく嬉しそうに笑うのは初めて見た。
(うわ……この人、こんなに笑うんだ)
しかも、護衛を頼まれただけで。
いや、頼まれたからこそ?
なんでそんなに嬉しそうなの。
じっと見ていたら、今度はシリルさんと目が合った。
「……何か?」
「いえ。なんでもないです」
また視線をそらす。
私を守る仕事を任されたことが、そんなに嬉しいのだろうか。
そこまで考えたところで、また顔が熱くなりそうになった。
(違う違う)
事業提携を結んでいるから。リーベル商会に損失が出るから。本人がそう言っていた。
それ以上でも、それ以下でもない。
そういうことにしておこう。
「話がまとまったようですね」
ヴィンスさんが淡々と言った。
けれど、その視線が一瞬だけシリルさんの笑顔へ向いた気がした。
やっぱりヴィンスさんも、ちょっと思ってる?
そんなに嬉しそうにする? って。
「では、護衛については正式に冒険者ギルドを通して依頼を出してください。詳しい条件も、そちらで確認なさってください。口約束より、正式な依頼にしておいた方がノアさんも安心でしょう」
「そうですね」
それなら私も納得できる。
「それに、ライネル殿が本当に支払うのかどうかも、そこで確認できます」
「兄なら払いますよ」
「シリル殿の判断だけでは決められません」
ヴィンスさんは無表情のまま言い切った。
シリルさんが、少しだけ不満そうに黙る。
さっきまであんなに嬉しそうだったのに、今度は本当に大型犬の耳がしゅんと下がったように見えた。
(だから気のせいだって)
でも、どうしてもそう見える。
私は笑いそうになるのをこらえて、そっとお茶へ口をつけた。
「では、商業ギルドでのお話はここまでにしましょう」
ヴィンスさんはそう言って、机の上の書類をまとめた。
私は隣にいるシリルさんを、もう一度だけちらっと見る。
さっきよりはいつもの落ち着いた顔に戻っていた。でも、護衛を頼んだ瞬間のあの笑顔は、妙に頭に残っていた。




