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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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56話 つないだ手

 シリルさんは、人通りの少ない道を選んで商業ギルドへ向かってくれた。


 大通りの方が近いけれど、今は人の多い場所を歩く気になれない。市場から離れるにつれて周りの声も少なくなり、聞こえるのは石畳を踏む二人分の足音くらいだった。


 シリルさんは私の歩く速さに合わせてくれている。さっきまでふらついていた足も、しばらく歩くうちにだいぶ戻ってきた。


 呼吸も楽になってきたし、これならギルドに着く頃には普通に話せそう。


 そう思って、ふと右手を見た。


「……あ」


 そこでやっと気づいた。


 私、まだシリルさんと手つないでる。


 さっきまではそれどころじゃなかったのに、一度気づくと急に手のひらが気になる。


「シ、シリルさん」

「はい?」

「あの……もう大丈夫です。一人で歩けますから」


 つないだ手を少し動かすと、シリルさんがこちらを見た。


「もう大丈夫ですか?」

「はい。本当に大丈夫です」


 心配そうな顔をされて、また何か言われる前に手を離す。


「ありがとうございました。なんか、ずっと甘えてしまって」

「いえ」


 買い物かごを両手で持ち直す。


 顔が熱い。


 シリルさんは一度だけ自分の手を見ていたけれど、すぐに何事もなかったように歩き出した。


「では、行きましょうか」

「はい」


 私も隣を歩く。


 さっきまでは全然気にならなかったのに、今度は距離まで気になってきた。


 近い?


 いや、たぶんいつも通り。


 何を気にしてるの、私は。


 買い物かごの持ち手をぎゅっと握る。


 シリルさんもしばらく何も話さなかった。


 なんとなく気まずい。


 いや、気まずいと思ってるの私だけかもしれないけど。


 そのまま歩いていると、商業ギルドの建物が見えてきた。


 建物の前には荷車が何台も止まり、帳簿や荷物を抱えた商人が出入りしている。


 さすがにここからは人も多い。


 私は一度足を止めた。


「大丈夫ですか?」

「はい。もう大丈夫です」

「無理はしないでくださいね」

「分かってます」


 また言われた。


 ちょっとだけおかしくなって笑うと、シリルさんも小さく笑った。


「行きましょう」

「はい」


 二人で商業ギルドへ入る。


 中では帳簿をめくる音や硬貨を数える音、あちこちで話す声が混ざっていた。


 空いている受付へ向かうと、髪をきっちりまとめた女性が顔を上げた。


「こんにちは。本日はどういったご用件でしょうか?」


 最初にシリルさんを見たので、私が少し前へ出る。


「あ、私です。石鹸店シャボンノアのノアと申します。先日の件で相談に来ました」

「承知しました。担当者のお名前はお分かりになりますか?」

「ヴィンスさんです」

「少々お待ちください」


 女性はそれ以上聞かず、そのまま奥へ向かった。


 たぶん、私の目が赤いことにも気づいていると思う。


 でも何も聞かれなかった。


 ありがたい。


「座って待ちますか?」

「大丈夫です。もう普通に立てます」

「そうですか」

「本当ですからね」

「分かりました」


 シリルさんが少し笑う。


 疑われてる気がする。


 しばらく待っていると、さっきの女性が戻ってきた。その後ろから、見覚えのある男性が歩いてくる。


「お待たせいたしました」

「ノアさん」


 ヴィンスさんは私を見ると、少し眉を上げた。


「先日の件ですか?」

「はい。見つけました」


 それだけで、ヴィンスさんの表情が変わった。


「……分かりました」


 詳しいことは聞かず、今度は隣のシリルさんを見る。


「シリル殿もご一緒ですか?」

「あ」


 そういえば、私が勝手に連れてきた形になる。


 シリルさんが私を見る。


「一緒に話を聞いても構いませんか?」

「もちろんです。お願いします」


 すぐに答えると、ヴィンスさんもうなずいた。


「では、お二人ともこちらへ。中で詳しく伺います」


 受付では何も聞かず、奥の相談室へ案内してくれる。


 私は買い物かごを持ち直し、シリルさんと一緒にヴィンスさんのあとをついていった。

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