40話 信用のかたち
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね」
シリルさんの隣にいた男性が、今さら気づいたように笑った。
「ライネルと申します。シリルの兄で、リーベル商会に勤めています」
「リーベル商会……」
聞き覚えのある名前に、私は目を瞬かせた。
店を開くために商業ギルドへ登録した時、何度か耳にした大きな商会だ。食料品から衣服、日用品まで幅広く扱い、この街だけでなく、ほかの街とも取引しているらしい。
「もしかして、あのリーベル商会ですか?」
「どのリーベル商会を想像されているかは分かりませんが、おそらくそのリーベル商会です」
ライネルさんは冗談めかして答えた。
驚きながら隣に立つシリルさんを見る。
「シリルさんも、リーベル商会の方だったんですね。てっきり冒険者の方だと思っていました」
「僕の本業はそちらです。商会の仕事を手伝うことはありますが、普段は冒険者として活動しています」
「そうだったんですね」
ようやく、私の中でシリルさんの姿が少しだけ繋がった。店へ来た時の身軽な服装も、剣を持っていたことも、冒険者なら納得できる。
「シリルは昔から、家の仕事より外へ出る方が好きでしてね」
「兄さん」
「失礼。弟の話はこのくらいにしておきましょう」
シリルさんが少しだけ咎めるように呼ぶと、ライネルさんは楽しそうに笑った。
「シャボンノアの石鹸は、我が家でも評判なんですよ。母も妹も気に入っています」
「本当ですか?」
「ええ。最近では使用人たちまで使い始めています」
思わず顔が明るくなる。
自分の知らないところでも、石鹸を使ってくれている人がいる。そう思うだけで、胸の奥がじんわり温かくなった。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらです。まさか、あの石鹸を作っている方がシリルの知り合いだったとは」
ライネルさんはシリルさんへと目を向ける。
「どうして今まで教えてくれなかったんだい?」
「隠していたわけではありません」
「水臭いなぁ」
「兄さんに話せば、こうなると思ったんです」
「こうなるとは?」
「商人の顔になっています」
つられてライネルさんを見ると、穏やかだった瞳が、確かに少しだけ鋭くなっている。
ただ、嫌な感じではない。新しいものを前にして、純粋に興味を引かれているようにも見えた。
「申し訳ありません。新しい物を見られるかと思うと、つい夢中になってしまうんです」
そう言いながら、ライネルさんの視線が私の持っているかごへ向く。中には、液体石鹸の試作品を入れた瓶が入っていた。
「その液体石鹸も、ぜひ完成したところを見てみたい」
「私も完成させたいんですけど、入れ物がなくて」
「それなら、善は急げです」
ライネルさんは迷いなく言った。
「心当たりのある陶器職人がいます。少し変わった注文を好む人物でしてね。今からご案内しましょうか?」
「今からですか?」
「ええ。工房はここから遠くありません」
願ってもない申し出だった。
何軒回っても欲しい容器は見つからなかったのだ。話を聞いてくれる職人がいるなら、すぐにでも会いたい。
けれど、返事をしようとして口が止まる。
シリルさんとは何度か会っているし、石鹸を買ってくれたこともある。それでも、きちんと名前を知ったのはついさっきだ。
ライネルさんに至っては、今日初めて会ったばかり。
このまま二人について行って、まだ誰にも見せていない容器の話までしてしまっていいのだろうか。
かごの持ち手を握る手に、少しだけ力が入った。
その様子に気づいたのか、シリルさんが静かに口を開く。
「兄さん、少し急ぎすぎです」
「そうかな?」
「ノアさんは、僕たちのことをほとんど知りません。先に商業ギルドで、リーベル商会について確認してもらった方がいいと思います。その方が安心でしょう」
言い当てられて、思わずシリルさんを見る。
彼は私の代わりに決めるのではなく、ただ選べる道を示してくれていた。
「なるほど。確かに、その通りですね」
ライネルさんは素直にうなずき、私へ向き直る。
「配慮が足りませんでした。申し訳ありません」
「いえ、紹介していただけるのは本当にありがたいんです。ただ……」
「慎重になるのは当然です。商業ギルドへ行けば、我々の身元も商会の登録も確認できます」
「では、商業ギルドへ行きたいです」
「もちろんです」
三人で職人街を離れ、商業ギルドへ向かった。
大通りに面した石造りの建物は、相変わらず多くの人で賑わっている。店を開くために訪れた時のことを思い出し、私は少しだけ背筋を伸ばした。
受付で事情を説明すると、以前シャボンノアの店舗登録を担当してくれた職員が対応してくれた。
「シャボンノアのノアさんですね」
「はい。お久しぶりです」
職員は帳面を確認し、まずシャボンノアが正式に登録された店舗であり、私がその店主であることを確かめる。続いてリーベル商会についても調べ、長く商業ギルドに登録されている商会であること、そしてライネルさんが正式に商会の仕事を任されている人物であることを説明してくれた。
一つずつ確認していくうちに、胸の中にあった警戒が少しずつ薄れていく。
「今回は職人の紹介のみで、商品の権利や金銭に関する契約はまだ行わない、ということでよろしいですね?」
「はい。まずは職人に相談し、作れるかどうかを確認します」
ライネルさんが答えると、職員は今回の紹介について簡単な書面を用意してくれた。
内容は、ライネルさんが私へ陶器職人を紹介すること。相談した内容を、私の許可なく外部へ漏らさないこと。そして現時点では、商品の権利や利益についての取り決めは行わないこと。
「こちらで問題ありませんか?」
「はい」
「では、僕も署名します」
ライネルさんが迷いなく名前を書き、その横へ私も自分の名を記す。最後に職員がギルドの印を押した。
たった一枚の書面だけれど、それがあるだけで胸の中の不安はずいぶん軽くなった。
商業ギルドを出ると、夕方の風が頬を撫でる。
「お手数をおかけしました」
「いいえ。これから仕事の話をするなら、最初を曖昧にしない方がいいですから」
「兄さんがそれを言いますか」
「最初に急いだことは反省していますよ」
シリルさんがぼそりと返し、ライネルさんが苦笑する。その兄弟らしいやり取りに、思わず笑ってしまった。
先ほどより、二人のことを少し知ることができた。
何もかも信用したわけではない。それでも、信用していい相手なのかを自分で確かめられるように、シリルさんが道を作ってくれた。
「では、改めて職人のところへ行きましょうか」
「お願いします」
ライネルさんの言葉にしっかりとうなずき、私は二人と一緒に再び職人街へ向かった。




