38話 君の名は
白い紙の上に、最初の一本線を描く。
丸い輪郭に小さな耳、短い手足。石鹸を使っている姿にしたくて描き進めてみたものの、途中で手が止まった。
「うーん……何か違うなぁ」
描きかけの絵を眺めながら首をかしげる。ただ手を洗っているだけでは、お店の顔にするには少し物足りない気がする。
新しい紙を取り出し、今度は耳を大きくして、しっぽも長くしてみた。
「これは……ちょっと強そう」
違う。
シャボンノアに似合うのは、もっと柔らかくて親しみやすい子だ。
次は体を少し細くしてみたけれど、これもしっくりこない。
「うーん、これも違う」
描いては首をかしげ、また新しい紙に描き直す。
気づけば机の上には、少しずつ違う姿をした子たちが並んでいた。耳が大きな子に、しっぽが長い子。手足がすらりとした子もいれば、丸くしすぎてほとんど泡のようになってしまった子までいる。
「難しいなぁ」
私は鉛筆を置き、並んだ絵を見比べた。どれも悪くはないけれど、これだと思える子がいない。
頬杖をつきながら何となく店内へ目を向けると、棚には淡い緑がかった水色の布が敷かれ、その上には同じ色を使った箱や手提げ袋が並んでいる。
制服にも使っている、シャボンノアの色。
見ているだけで穏やかな気持ちになる、やさしい水色だ。
「そうだ。この子も同じ色にしよう」
もう一度鉛筆を手に取り、今度はゆっくりと描き始める。
ころんとした丸い体に小さな耳。頬はふっくらとさせ、つぶらな瞳の下にはちょこんとした鼻。手足は短く、しっぽは柔らかく丸めてみる。
その手には小さな石鹸を持たせ、周りにはふわふわと浮かぶ泡をいくつも描き足していった。
「……あ」
一本ずつ線を重ねるたび、紙の中の子が少しずつ生き生きとしてくる。
たぬきのようにも見えるし、アライグマのようにも見える。でも、そのどちらとも少し違う。
シャボンノアにしかいない、不思議な子。
最後に、制服や手提げ袋と同じ淡い緑がかった水色で体に色をつけていく。お腹と口元は白く残し、手に持った石鹸の周りには、きらきらと弾ける泡を描き足した。
仕上げに口元へ小さな笑みを加える。
「できた……」
紙を両手で持ち上げ、正面からじっと眺める。少し傾けてみたり、机に置いて離れたところから見てみたり。
……うん。
どこから見ても、かわいい。
「困ったなぁ。才能開花が止まらない」
誰もいない店内で得意げに呟き、もう一度紙を持ち上げる。
丸い体に小さな耳。短い手で石鹸を大切そうに抱え、周りには泡がふわふわと浮かんでいる。
「可愛すぎるー」
店の棚に置いてもかわいいし、説明書の端にいてもかわいい。
それに――。
「手提げ袋にも印刷してもらえたら、絶対かわいい」
そう思った途端、使いたい場所が次々と浮かんできた。贈り物の箱にも入れたいし、小さな札にして包装へ付けてもいいかもしれない。
「……使いたいところ多すぎる」
思わず笑ってしまう。
でも、お店のあちこちにこの子がいたら、きっと今よりもっとシャボンノアらしくなる。
「私、絵なんて描いたことあったかな……」
ふと疑問に思い、首をかしげた。
記憶はないのに、こうして絵は描けるし、紙を折れば鳥のようなものだって作れる。
不思議だけど――。
「まあ、いっか」
それより今は、この子に名前をつけなければならない。
「石鹸といえば、泡でしょう」
鉛筆の先で紙の端を軽く叩く。
「泡……しゃぼん……洗う……」
洗う。泡。しゃぼん。
口の中で何度か言葉を転がしていると、ふっとひとつの名前が浮かんだ。
「……アラボン」
声に出した瞬間、ぴたりとはまった。
洗うことを思わせる響きと、しゃぼんのやわらかな音。ころんと丸い、この子にもよく似合っている。
「よし! 君の名はアラボン!」
満足そうにうなずき、絵の下へ名前を書き込む。
――アラボン。
その文字が加わった途端、ただの絵だった水色の子が、本当にシャボンノアの仲間になったような気がした。
「これからよろしくね、アラボン」
完成した絵を、店内で一番よく見える場所へ立てかける。
淡い水色に囲まれた店の中で、アラボンは石鹸を抱えて楽しそうに笑っていた。
「うん。やっぱりかわいい」
こうしてシャボンノアに、新しいお店の顔が誕生した。




