35話 閉店間際のお客様
夕日が街をやさしく染めていた。
開店初日。試供品を受け取ってくれた人がお店へ足を運んでくれたり、ひだまり亭の常連客が顔を見せてくれたり、目が回るほど忙しい一日ではなかったけれど、初日にしては十分すぎるほどの手応えを感じていた。
「ありがとうございました」
最後のお客様を見送り、私は店内を見渡す。きれいに並べていた石鹸も朝より少し減っていて、その景色を見るだけで自然と頬が緩んだ。
「そろそろ閉店しようかな」
入口へ向かった、その時だった。
カラン、カラン。
扉のベルが鳴る。
「いらっしゃいませ、シャボンノアへよ――」
顔を上げた私は、思わず目を丸くした。
「イケメンさん!」
「……イケメンさん?」
銀髪の青年が少し首をかしげる。
「あっ」
しまった。思ったことが、そのまま口から出てしまった。
「その……私の故郷の言葉で、かっこいい人って意味なんです。褒め言葉です。決して悪い意味じゃないです」
「そうなんですね」
「はい……あはは」
慌てて説明すると、彼は小さくうなずいた。恥ずかしさをごまかすように笑うと、彼もわずかに口元を緩める。
「あの、この前は宿へ来てくださったのに、お会いできなくてすみませんでした。石鹸の感想も伝えてくださったって聞きました。ずっとお礼を言いたかったんです。ありがとうございました」
「いえ、気にしないでください」
柔らかく返されて、少しだけ肩の力が抜けた。
彼は店内を見回してから、入口のほうへちらりと視線を向ける。
「……もしかして、もう閉店ですか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「よかった。こちらで石鹸を買おうと思って来たんです」
「ありがとうございます!」
嬉しくなって、さっそく棚の前へ案内する。
「今あるのは、定番のシャボンノアと、香り付きのフィオラ、それから足用石鹸の三種類です」
「フィオラと足用は、まだ使ったことがないですね」
「そうなんですね。フィオラ、少し香ってみます?」
棚からフィオラをひとつ手に取り、彼のほうへ少し近づける。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
彼が少し顔を寄せて、石鹸の香りを確かめた。
「……いい香りですね」
「ですよね。強すぎないようにしてるんです。使った時に、ふわっと香るくらいがいいかなって」
「なるほど」
彼はもう一度軽く香りを確かめてから、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、さっき宿にも寄ったんですが……あの香りも、これだったのかな」
「え? 宿のほうに寄ってから、こちらにも来てくださったんですか?」
「はい。今日開店したと聞いたので」
そう言って、彼はにこっと笑う。
「開店、おめでとうございます」
「……ありがとうございます!」
思わず私も笑顔になった。
なんだろう、この人。
見た目はものすごく目立つのに、話してみるとすごく穏やかというか、空気までやわらかくなるというか。
……なんか、ほわほわする人だな。
彼はフィオラを棚へ戻しながら、店内をゆっくり見渡した。
「素敵なお店ですね」
「本当ですか?」
「はい」
「嬉しいです。たくさんの人に助けてもらったお店なんです」
そう答えると、彼はまたやわらかく笑った。その視線がふと私の制服へ落ちる。
「その格好も、かわいらしいですね」
「えっ」
思わず自分の服へ目を落とした。
「ありがとうございます。実は一昨日届いたばかりで、とても気に入ってるんです」
「とても似合っています」
「ありがとうございます」
何度も改めて褒められると、さすがに少し照れくさい。
「えっと……よかったら、実際に試してみますか?」
「試せるんですか?」
「はい。こっちです」
私は売り場の端に作った小さな水場へ案内した。
「ここで泡立ちや香りを試していただけます。実際に使ってもらったほうが分かりやすいかなと思って、作ってもらったんです」
「なるほど。面白いですね」
「でしょ?」
少し得意になりながら石鹸へ手を伸ばしかけて、ふと気づく。
「……あ、でも足用は直接足では試せません」
「ははっ。分かってますよ」
「ですよね……」
言ってから、自分でも何を説明しているんだろうと思ってしまう。
恥ずかしくなって笑うと、彼もまた楽しそうに笑った。
夕暮れの小さな店の中に、二人の笑い声がやさしく響いた。




