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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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32話 少しずつ、らしく

32話


 雑貨屋の片付けから二週間。


 店では、予定していた修繕や工事も順調に進んでいた。


 昔の薬屋で使われていた竈は、傷んだ部分を補強してもらい、石鹸作りに使える状態になった。奥の水回りも手入れを終え、売り場には念願だった小さな水場も新しく作ってもらっている。


 建物のすぐ外を水道管が通っていたおかげで、こちらは思っていたほど大がかりな工事にはならなかった。


 作業場の竈で使う炭も、街の炭屋さんに頼んで定期的に届けてもらえることになった。薪より少し値は張るけれど、石鹸作りでは火加減を見ながら長く使うことも多いので、今のところは炭のほうが扱いやすい。


 もちろん、魔石を使った魔道コンロなんて便利なものもある。


 火加減もしやすくて、炭を運んだり火を起こしたりする必要もないらしい。


 いつか欲しいなぁ……とは思う。


 でも、小さな家が一軒買えるくらいすると聞いて、その夢はいったん心の奥へしまっておいた。


 今は炭で十分です。


 工事が終わったところから掃除を進め、譲り受けた棚や木箱、編みかごもほとんど配置が決まっている。


 開店準備の合間にも石鹸を作り続け、在庫は順調に増えていた。


「うーん……」


 木箱に石鹸を並べ、少し離れたところから眺める。


「やっぱり、こっちかな」


 ほんの少し位置を変えて、また離れて見る。


「まだ悩んでるの?」

「あとちょっとなんだけどね」


 一緒に店へ来ていたリラが、売り場を見回しながら棚の横を指さした。


「このかご、そっちに置いてみたら?」

「おっ、それいいかも!」


 二人で編みかごを移動させてみると、空いていた場所がちょうど埋まり、店全体のまとまりが少しよくなった気がする。


「いい感じ!」

「でしょ!」

「さすがリラ!」

「もっと褒めていいよ」

「調子乗った」


 二人で笑い合った、その時だった。


 カラン、と扉が開く。


「ノアちゃーん!」

「ルシアン!」


 大きな紙袋を抱えたルシアンが店へ入ってきた。


「頼まれてた持ち帰り用の袋、持ってきたわよ。サイズも確認してきたから見てちょうだい」

「ありがとう!」


 受け取った袋をさっそく広げてみる。石鹸をいくつか入れても窮屈にならず、大きすぎもしない。


「うん、ちょうどいい!」

「よかった。せっかく作り直したのに入らなかったら泣くところだったわ」

「それは私も泣く」

「じゃあ二人で泣くところだったわね」

「危なかったね」


 横で聞いていたリラが吹き出した。


「何その会話」


 ルシアンは気にした様子もなく店内を見回す。


「でも、ずいぶんお店らしくなったわね」

「あともう少し! 工事も終わったし、今はひたすら置く場所を悩んでるところ」

「さっきからずっと動かしてるよ」

「ちょっとずつ違うの!」

「本人にしか分からないやつね」


 二人に言われて、私はむっとしながらも反論できなかった。


 確かに、さっきから木箱を少し右へ動かしては戻し、編みかごの向きを変えては眺めている。


「そうだ、見て!」


 私は売り場の端にできたばかりの小さな水場を指さした。


「ここで石鹸を試してもらえるようにしたの」

「あら、いいじゃない!」

「でしょ? 泡立ちとか香りとか、実際に使ってもらったほうが分かりやすいと思って」

「ノア、あれできてから何回見に行った?」

「……そんなに行ってないよ」

「昨日だけで五回くらい見てた」

「完成したら嬉しいでしょ!」


 せっかく思いついたものが、本当に形になったんだから仕方ない。


「あ、そうそう。伝言もあるのよ」


 ルシアンの言葉に顔を上げる。


「仕立て屋さんに寄ったらね、制服、もう八割くらい完成してるそうよ」

「ほんと!?」


 開店準備を始めてすぐ、仕立て屋さんにはお店で着る制服をお願いしていた。形や色を何度か相談して、ようやく決まったものだ。


 その横で、リラが首をかしげる。


「制服? 何の話?」

「言ってなかった? お店の制服だよ! シャボンノアらしい制服を作ってもらってるの!」

「えっ、石鹸屋で制服?」

「だって制服って素敵でしょ! お店の雰囲気も伝わるし、見ただけでシャボンノアって分かるもん!」


 ルシアンは待ってましたと言わんばかりにうなずく。


「ノアちゃんからその話を聞いた時、ときめいちゃったのよ。帰って父と話してたの。うちも制服作っちゃおうかしらって」

「ほほう……」


 思わず口元が緩んだ。


「その顔! 絶対なんか嬉しいこと考えてる!」

「街のお店ごとに制服があったら素敵でしょ! 歩いてるだけで、どこのお店の人か分かるの!」

「それはちょっと楽しそう」

「でしょ!」

「また余計なこと広めそうねぇ」


 ルシアンも楽しそうに笑う。


 私は改めて店の中をゆっくり見渡した。


 補強してもらった竈は、もう石鹸作りに使える。奥の水場も整った。炭も定期的に届けてもらえるし、売り場には新しい小さな水場ができた。


 棚も木箱も、ほとんど場所が決まった。


 石鹸の在庫も少しずつ増えている。


 持ち帰り用の袋も届いた。


 制服ももうすぐ完成する。


 まだ細かく決めたいことは山ほどあるけれど、少し前まで空っぽだった店が、本当にシャボンノアへ変わり始めていた。


 開店まで、あと十日。


 もうすぐ。


 本当に、もうすぐ始まる。

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