30話 頼もしい仲間
雑貨屋から戻ると、ひだまり亭の受付にはエマさんがいた。
「おかえり」
「ただいまです!」
私の顔を見るなり、エマさんがくすっと笑う。
「その顔だと、よかったみたいだね」
「はい! すっごく素敵なお店でした!」
聞いてほしかったことが一気にあふれてくる。
「街の中心通りから一本入ったところで、売り場もちゃんと広くて、奥には倉庫も作業場もあるんです。それに昔は薬屋だったみたいで、竈まで残ってて!」
「へぇ、そりゃずいぶん条件に合ってるじゃないか」
奥から顔を出したトムに、私は何度もうなずいた。
「そうなんです! 古いところは直さないといけないんですけど、今まで見た中では一番よくて。それにお店もすっごく可愛くて……もう一目で気に入っちゃいました」
「最後のが一番大きそうだね」
「ち、違いますよ! ちゃんと仕事場としても見ました!」
エマさんに笑われて、慌てて付け足す。
「倉庫も見たし、作業場も見たし、水場もお手洗いも確認しました!」
「はいはい、分かったよ」
「ほんとですって!」
可愛さに見入って、一瞬何をしに来たのか忘れかけたことは黙っておこう。
「でも、まだ借りるって決めたわけじゃないんです」
「そんなに気に入ったのにかい?」
「竈がかなり古かったんです。それと、売り場にも小さな水場を作りたくて。修理とか工事にどれくらいかかるのか分からないまま決めるのは怖いので」
「なるほどな」
トムが腕を組んでうなずいた。
「だったら、一度詳しいやつに見てもらったほうがいいな」
「ですよね……」
誰かいないかな、と考えてすぐに浮かんだのがフィンだった。
フィンは建築関係の仕事をしている。竈や水回りそのものが専門じゃなくても、相談できる人くらいは知っているかもしれない。
「あ、フィン!」
思わず声が出る。
「リラに聞いてみます!」
「そうしな。知り合いを紹介してもらえるだけでも助かるだろうからね」
「はい!」
翌日、私はさっそくリラのところへ行き、店のことを話した。
古い竈を使えるようにしたいこと。奥の水回りも一度確認したいこと。そして、売り場に石鹸を試してもらうための小さな水場を増やしたいこと。
リラはすぐにフィンへ話を通してくれた。
それから数日もしないうちに、フィンが時間を作って店を見に来てくれることになった。店主さんにも事情を話して立ち会ってもらい、フィンだけでは判断できないところは、建築現場で知り合った職人にも声をかけてもらった。
結果が出るまでは、正直かなり落ち着かなかった。
せっかく二か月も探して、ようやくここまで条件の合う店を見つけたのに、竈を全部作り直さないといけないとか、水回りを直すだけでとんでもない金額になるとか言われたらどうしよう。
そうなったら、どれだけ気に入っていても諦めるしかない。
そんなことばかり考えていたけれど、心配していたほど大ごとにはならなかった。
昔の薬屋で使われていた竈は確かに古く、ひびや傷んでいるところはあったものの、土台そのものはまだしっかりしていた。大がかりに作り直す必要はなく、傷んだ部分を補強して手入れをすれば使えるらしい。
奥の水場も、古くなったところを整えれば問題なく使えるとのことだった。
それだけでもかなりほっとしたのに、さらに嬉しいことが分かった。
売り場に作りたいと思っていた小さな水場も、建物のすぐ外を水道管が通っているらしい。そこから水を引けるため、思っていたほど大がかりな工事にはならず、費用も想像していたより抑えられるという。
その話を聞いた時は、本気で胸を撫で下ろした。
これなら、いけるかもしれない。
家賃。
竈の補強。
奥の水回りの手入れ。
売り場への新しい水場。
石鹸を作るための材料費。
これから店を整えていくためのお金。
一つずつ頭の中で計算していく。
貯めてきたお金だけで全部を払えないわけではなかった。
でも、それをやったら手元にほとんど残らない。
お店を作るために全部使ってしまって、肝心の石鹸を作る材料が買えなくなったら意味がない。開店してすぐ売り上げが安定するとも限らないし、何かあった時のためのお金だって残しておきたい。
そこで思い出したのが、開業するなら必要になる商業ギルドへの登録だった。
どうせ手続きが必要なら、一度相談してみよう。
そう考えて、私は商業ギルドを訪れた。
これまで石鹸を販売するために必要な手続きはいくつかしてきたけれど、自分の店舗を構えて商売を始めるとなると、改めて届け出が必要になるらしい。
窓口でこれから開く予定の店について説明し、必要な書類や今後の流れを教えてもらう。その中で、開業する人を対象にした小規模な融資制度があることも教えてもらった。
話を聞きながら、私はすぐに頭の中で計算を始めた。
全部借りる必要はない。
家賃も工事費も、自分で払える分はちゃんと払う。ただ、開店したあとも余裕を持って石鹸を作り続けられるように、手元のお金を少し残しておきたい。
そのために、必要な分だけ借りる。
それなら無理なく返していけそうだった。
借りる金額を決めるまでには少し悩んだけれど、毎月の売り上げや材料代、これから必要になる家賃まで書き出して、何度も計算した。
大丈夫。
これなら返せる。
そう判断して、私は開業のための融資を一部利用することにした。
もちろん、借りたお金は返さないといけない。
今までなら「借金」というだけで少し怖くなっていたかもしれないけれど、今回は違った。
お店を始めるために全部使い切るのではなく、商売を続けるためのお金を残す。
そう考えると、これは無理をするためのお金ではなく、無理をしないためのお金なんだと思えた。
必要な手続きと資金の見通しがついたところで、私は改めて店主さんへ連絡した。
そして不動産屋さんを通し、正式な契約を進めてもらうことになった。
家賃や契約期間を確認して、修繕する場所や、売り場へ水場を追加することについても店主さんと改めて話をする。
一つずつ確認していくたびに、今まで頭の中にしかなかった「自分のお店」が少しずつ現実になっていく。
最後に何枚かの書類を確認して、説明を聞き、自分の名前を書く。
たったそれだけのことなのに、書き終えた瞬間、しばらく紙から目を離せなかった。
借りた。
本当に。
自分のお店を。
「……すごい」
思わず小さく呟く。
少し前まで、宿の一角で石鹸を並べていただけだった。
お店が欲しいなと思って、不動産屋へ行って、何軒も見て、隣町の話まで聞いて、それでもなかなか条件に合う場所は見つからなくて。
二か月探した。
その間に、売る場所だけじゃなく、作る場所も必要だと分かった。材料を置く場所も、作った石鹸を置く場所も、水場も必要だった。
そうして、やっと見つけた。
店主さんの雑貨屋が閉店する花の日までは、あと少し。それが終われば片付けを手伝って、譲ってもらう棚や木箱を残しながら、少しずつ私のお店へ変えていくことになる。
竈を直して。
売り場には小さな水場を作って。
棚には石鹸を並べて。
あの小さな部屋は、いつか誰かと一緒に働くことになった時のために、休憩したり着替えたりできる場所にしたい。
考え始めると、やりたいことが次々と浮かんでくる。
看板だって必要だ。
商品の並べ方も考えたい。
包装も、今までのままでいいのかな。
帰り道、頭の中はすっかり新しいお店のことでいっぱいになっていた。
「……あー!」
たまらず空を見上げる。
「あー、ウズウズしてきた!」
早くお店を作りたい。
その日が待ち遠しくてたまらなかった。




