29話 受け継がれるもの
一通り店内を確認したあと、店主さんが「そういえば」と、もう一つ奥の小部屋を見せてくれた。
「ここは今、倉庫として使っているの」
「倉庫……ですか」
中へ入ってみると、壁際には箱や予備の商品が積まれている。広くはないけれど、小さな窓があって思っていたより明るい。
私は部屋の中をゆっくり見回した。
倉庫なら、さっき見せてもらった大きなほうで十分そうだ。だったら、ここは別の使い方ができるかもしれない。
「ここ、休憩する場所にしてもよさそうですね」
「休憩?」
「はい。机と椅子を置いて、お昼を食べたり、お茶を飲んだり。もし将来、お店で働いてくれる人が増えたら、着替えたり荷物を置いたりする場所にもできそうです」
「あら、それいいわね。私たちはずっと物置にしてたけど、窓もあるし、そのほうが使いやすそう」
「ですよね」
今はまだ一人で始めるつもりだけど、ずっと一人とは限らない。働く場所だけじゃなく、ちゃんと休める場所もあったほうがいいし、もし制服なんかを作ることがあれば、ここで着替えることだってできる。
そう考えると、また一つ、この店で働く姿が具体的になった気がした。
売り場へ戻る途中、私はもう一度店内を見回す。
今のままでも十分使えそうだけれど、少し手を加えたいところもある。
特に売り場。
ここに小さな水場を作れたら、石鹸を実際に泡立てて試してもらえる。手を洗って、香りや使い心地をその場で確かめてもらえたら、きっと商品の良さも伝わりやすい。
今はもちろん、そんな設備はない。もしここを借りることになったら、追加で工事できるか確認してみよう。
「それで、家賃なんだけど……このくらいを考えているの」
店主さんから金額を聞き、私は頭の中で静かに計算した。
今のシャボンノアの売り上げから材料代を引いて、毎月払う宿代や、これから必要になる経費も考える。家賃そのものは、無理をしすぎなければなんとか払えそうだった。
ただ、竈や奥の水回りは一度きちんと見てもらったほうがいい。それに、売り場へ水場を増やすなら、その工事費も必要になる。
「家賃だけなら、なんとか払えそうです。ただ、竈とか水回りの修理にどれくらいかかるか、一度見てもらいたくて」
「ええ、そのほうがいいわ。古いものだから、ちゃんと確認してから決めたほうが安心ね」
「あと、売り場にも小さな水場を作れたらと思ってるんです」
「売り場に?」
「はい。石鹸を実際に試してもらえるようにしたくて」
「なるほどねぇ。石鹸屋さんなら、それも面白そうだわ」
店主さんは少し考えるように店内を見回した。
「工事そのものは、できるかどうか一度見てもらわないと分からないわね。もしここを借りたいと思ったら、正式な契約は不動産屋さんを通して進めましょう」
「はい。その前に、修理や工事にどれくらいかかるか確認してみます」
「それがいいわ。無理だけはしないでね」
「はい!」
そう答えると、店主さんは安心したように笑った。
「もうすっかり、自分のお店にした時のことを考えてるのね」
「あっ……」
言われて、少し恥ずかしくなる。
「まだ決めてないのに」
「でも、かなり気に入ってるんでしょう?」
「……はい。かなり」
そこは否定できなかった。
売り場へ戻ると、店主さんは長年使ってきた棚へ目を向けた。
「この店も、あと少しね」
その言葉につられるように、私も店内を見渡す。
さっき思わず見入ってしまった木箱や編みかご、壁際の棚。どれもきれいに使われていて、この店と一緒に長い時間を過ごしてきたんだろう。
「閉店したら、この辺りの備品も処分する予定なの」
「えっ……もったいないですね」
「そう思うんだけどね。気に入っているものは家に持って帰るつもりだけど、全部となると置き場所もないでしょう? 処分するのもなかなか大変でね……」
すると、イレーナさんがふと私を見て笑った。
「もしノアちゃんがここを借りることになったら、使ってもらったらいいんじゃない?」
「えっ、でも……」
戸惑う私に、店主さんも首を横に振る。
「私もそのほうが嬉しいわ。使えるものがあれば、好きに使ってちょうだい」
「本当にいいんですか?」
「ええ。このまま捨ててしまうより、次のお店で使ってもらえたほうが、この子たちも喜ぶでしょう?」
私はもう一度、店内を見渡した。
この棚なら石鹸を並べられる。あの木箱も使えそうだし、編みかごだって商品の見せ方を変えるのに使えそう。
ありがたい。
でも、ただもらうだけなのは少し落ち着かない。
「じゃあ……いただくものに見合うかは分かりませんけど、お店の片付け、私にも手伝わせてください」
「あら」
「閉店したあと、荷物を運んだり片付けたりしますよね? その時は呼んでください」
店主さんは目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「ふふっ。それは助かるわ」
「力仕事なら俺も少しくらい手伝えるぞ」
ご主人までそう言って、イレーナさんが楽しそうに笑う。
「まだノアちゃんのお店になるって決まったわけじゃないのに、もうみんなその気ね」
「ほんとですね」
私もつられて笑った。
まだ契約したわけじゃない。竈や水回りの修理費も分からないし、売り場の水場を増設できるかどうかも確認しないといけない。正式な条件だって、不動産屋さんを通してきちんと確認する必要がある。
それでも、ここで石鹸を作って、棚に並べて、お客さんを迎える姿はもう簡単に想像できてしまう。
店を出る前、私はもう一度だけ振り返った。
あと少しで、この雑貨屋は役目を終える。
でも、もしここで私のお店を始めることができたら、この場所で長く大切に使われてきたものも一緒に引き継いでいけるかもしれない。
そうなったら、きっと素敵だ。
そんなことを考えながら、私は店主さんへもう一度頭を下げた。




