28話 運命の雑貨屋
28話
数日後。
私はイレーナ夫妻に案内され、紹介してもらった雑貨屋へ向かっていた。
「この通りよ」
「あ、この通り、一度来たことあります!」
「そうなの?」
「はい。不動産屋さんに、少し先の店舗を見せてもらったことがあって。でもかなり小さくて、石鹸を売るだけならよかったんですけど、作業場まで考えると難しくて……」
「なるほどねぇ。二か月も探していると、いろんなところを見るのね」
「はい。だいぶ見るところが増えました」
場所は街の中心通りから一本入ったところで、人通りはほどよく、近所の人たちが買い物を楽しむ穏やかな通りだった。職人らしい人の姿もあり、少し先からは子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
「ここなら、ゆっくり買い物できそうですね」
「そうなの。この辺りは昔から商店が多くてね」
「大通りほど騒がしくないが、人が来ない場所でもない。商売するには悪くないと思うぞ」
ご主人も懐かしそうに辺りを見回した。
やがて二人は、一軒の雑貨屋の前で足を止める。
木の扉に大きな窓。窓越しには色とりどりの雑貨が並び、店先には季節の花が飾られていた。
その扉には、一枚の張り紙が貼られている。
『花芽の月 花の日をもちまして閉店いたします』
私はその文字をじっと見つめた。
「あと一か月ほどで店じまいなの」
「そうなんですね……」
長く続いてきた店なんだろう。そう思うと少し寂しい気持ちになりながら、イレーナさんに続いて扉を開けた。
カラン、と澄んだ音が店内に響く。
「いらっしゃいませ」
奥から、優しそうな女性が姿を見せた。
「この子が話していたノアちゃんよ」
「初めまして! ノアと申します!」
「話は聞いているわ。どうぞ、ゆっくり見ていって」
「ありがとうございます!」
頭を下げて店内へ足を踏み入れた瞬間、思わず息をのんだ。
「……わぁ」
木の棚には小さな置物や編みかご、ガラス瓶、可愛らしい布小物が一つひとつ丁寧に並べられている。派手ではないのに、どこを見ても店主さんの好きなものが大切に置かれているのが分かるような、温かな店だった。
「かわいい……」
気づけば自然と棚へ近づいていた。
「この木箱もかわいい……こっちのかごも素敵……」
木箱に石鹸を並べたら絶対かわいい。こっちのかごには季節の商品を入れてもいいかもしれない。小さな瓶を飾りに使うのもよさそうだ。
「ふふっ」
店主さんの笑い声で、はっと我に返った。
「あっ……すみません。可愛すぎて、うっかり普通に見入ってました」
「いいのよ。雑貨好きの人は、だいたいそうなるから」
「危うく何しに来たのか忘れるところでした」
「あら、それは困るわね」
「はい。今日は買い物じゃなかったです」
イレーナ夫妻まで笑っている。
少し恥ずかしい。でも、かわいいものはかわいいんだから仕方ない。
私は小さく息を吐き、もう一度店内を見回した。
よし。
ここからはちゃんと、お店として見る。
まずは売り場の広さ。今ある棚をそのまま使うかは別として、壁際に商品棚を置いても中央には十分な通路が取れそうだ。何人かお客さんが入っても窮屈にはならなさそうだし、入口から店内全体もある程度見渡せる。
会計台を置くなら今と同じ位置が使いやすそうで、奥へ続く扉も近い。売り場と作業場を行き来するにも困らなそうだ。
大きな窓からは明るい光が入っているけれど、石鹸を窓際にそのまま並べなければ問題なさそう。棚の位置を少し考えれば、店の明るさを残しつつ商品への日差しも避けられる。
売り場の端には少し空いた場所もある。
ここに小さな水場を作れたら便利かもしれない。
手を洗うだけじゃなく、石鹸を実際に泡立ててもらえる場所があれば、使い心地も分かってもらいやすい。工事ができるかどうかは分からないけれど、もしこの店を借りることになったら聞いてみたい。
「ノアちゃん、さっきと顔が違うわね」
「え?」
「急に真剣になったから」
「だって、ここで本当に仕事ができるか見ないといけないので」
「ちゃんと考えてるのねぇ」
「この二か月で、見るところがかなり増えました」
最初の頃なら、明るくて可愛ければそれだけで「ここがいい」と思っていたかもしれない。でも今は、売る場所だけでは足りないことを知っている。
「奥も見せていただいていいですか?」
「もちろんよ。こっちへどうぞ」
店主さんに案内され、売り場の奥へ進む。
最初に見せてもらったのは倉庫だった。店頭に出していない商品や空いた箱が棚にきれいに収められていて、思っていたより広い。
「雑貨は細かいものが多いから、どうしても在庫を置く場所が必要でね」
「これだけあれば、材料もかなり置けそうです」
油や灰汁に使うもの、香りをつける材料、包装に使う紙。全部を作業場へ置く必要はないから、倉庫があるのはかなりありがたい。
「裏口もここから出られるわよ」
店主さんが奥の扉を開けると、建物の裏へ続いていた。材料を運び入れるなら、毎回売り場を通らなくて済むのも便利そうだ。
「これは助かります」
さらに奥へ案内されると、売り場や倉庫とは雰囲気の違う部屋があった。
壁際には古い作業台があり、その向こうには小さな竈門が残っている。
「これ……!」
思わず足が速くなった。
「前に話したでしょう? この店、雑貨屋になる前は薬草を扱う薬屋だったの」
「ここで薬草を煮たりしてたんですか?」
「そう聞いているわ。私たちが店を始めた頃にはもう使っていなかったけれど、作業場はそのまま残したの」
竈門へ近づいて状態を見る。長く使われていなかったせいか、煤の跡も残っているし、ところどころ傷んでいるように見えた。
「かなり古いですね」
「ええ。そのまま使うのはやめたほうがいいと思うわ」
「使うなら職人に見てもらわないとな」
「でも、直せるなら十分です」
最初から何もない場所に作るより、ずっといい。
作業台を置く広さもあるし、竈門の近くには水を使える場所もある。手直しは必要そうだけれど、石鹸作りにはかなり使いやすそうだった。
壁際には棚を置けそうな空間もあり、型へ流した石鹸や、切ったあと状態を落ち着かせる石鹸を並べる場所も確保できそうだ。
私は部屋の中を見回してから、ふともう一つ大事なことを思い出した。
「あの……お手洗いってありますか?」
「あるわよ。裏口の手前に一つ」
「よかった……」
「そこも少し古いから、気になるなら手入れしたほうがいいかもしれないけどね」
「毎日ここで働くなら大事なので」
店主さんがくすっと笑った。
「そこまでちゃんと見てるなら安心ね」
「二か月探して、だいぶ現実的になりました」
売り場がある。倉庫がある。裏口もある。作業場があって、古いけれど竈門もある。水場もあって、材料や作った石鹸を置く場所も確保できそうだ。お手洗いもある。
今まで見てきた物件では、どこか一つが足りなかった。
でも、ここはかなり条件に近い。
「……すごくいいです」
ぽつりと漏らすと、店主さんが微笑んだ。
「気に入ってもらえた?」
「はい。でも、まだちゃんと全部見ます」
自分で言ってから、少し笑ってしまう。
二か月前なら、もう「ここにします」と言っていたかもしれない。
でも今は、好きだけでは決められないことも知っている。
もう一度売り場へ戻り、入口までの動線や棚を置ける場所を確認する。店の外へ出て通りの様子も見た。大通りほど人は多くないけれど、途切れるほどでもない。近所の人が普段使いする店なら、むしろ入りやすそうな場所だった。
そして何より、ここはリーヴェにある。
私がずっと石鹸を売ってきた、この街に。
胸の奥で膨らみ始めた期待を抑えながら、私はもう一度店を見上げた。
まだ決めるには早い。
家賃も聞いていないし、竈門や水回りの修理にどれくらいかかるかも分からない。売り場に水場を増やせるかどうかも、まだ分からない。
それでも。
今まで見た中では、一番理想に近い。
そう思っただけで、胸が少しだけ熱くなった。




