25話 現実という壁
数日後。
フィンに紹介してもらい、私は店舗物件を扱っている男性のもとを訪ねていた。
「フィンから話は聞いてますよ。石鹸のお店を始めたいとか?」
「はい。まだ何も分からない状態なんですが、まずはお話だけでも聞きたくて」
「ええ、それで十分ですよ。最初はみんなそこからですから」
男性はにこやかにそう言うと、街の地図を机いっぱいに広げた。
「まず大事なのは場所ですね。人通りが多い場所ほど家賃は高くなりますが、その分、お客さんも来やすいです」
地図を指でなぞりながら、空いている店舗を一軒ずつ説明してくれる。商店街の中心にある店や、住宅街に近い小さな店、市場のそばにある店。場所も広さもそれぞれ違っていて、見ているだけで想像が膨らんだ。
「こちらは人気の場所なので、家賃は少し高めですね。こっちは広いんですが、一人で始めるには少し大きいかもしれません」
説明を聞くたびに、ここに石鹸を並べたらどうだろう、棚はどこに置こう、と理想のお店が頭に浮かぶ。
「もしお時間があるなら、近くの二軒くらい実際に見てみますか?」
「いいんですか?」
「もちろんです。地図だけより、実際に見たほうが分かりやすいですからね」
「ぜひお願いします!」
地図だけでも楽しかったのに、実際のお店を見られるとなると急にわくわくしてきた。
一軒目は商店街の中にある、小さめの店舗だった。通りに面した窓が大きく、店内も明るい。人通りも多くて、石鹸を並べたらきっと目に留まりやすそうだ。
「ここ、いいですね」
「販売だけなら、かなり使いやすいと思いますよ」
「販売だけなら……」
中へ入った瞬間、頭の中にはもう棚の配置が浮かんでいた。こっちに定番の石鹸を並べて、窓際には香り付きの商品。会計台は奥のほうがいいかな、と考えていたけれど、その言葉に店の奥へ目を向ける。
小さな物置はある。でも、石鹸を作るための作業台を置いて、材料を保管して、型に流した石鹸を並べておくには狭すぎる。
「あ……そっか。私、売る場所だけじゃなくて、作る場所もいるんだった」
「石鹸もこちらで作る予定なんですね」
「はい。できれば、お店の奥で作れるようにしたくて」
「それなら、ここは少し厳しいかもしれませんね。もう一軒のほうが条件には合いそうです」
今までは宿で作っていたから、店を探すとなると売り場のことばかり考えていた。でも、自分の店を持つなら、石鹸を作る場所も必要になる。材料を置く場所も、作った石鹸をしばらく並べておく場所もいる。
そう考えると、ただ人通りが多くて店内がきれいならいい、というわけでもなさそうだ。
二軒目は商店街から少し外れた場所にあった。一軒目ほど人通りは多くないものの、店内は少し広く、奥にはもう一部屋ある。
「ここなら、奥を作業場にできそうですね」
「ええ。さっきの店よりは、だいぶ使いやすいと思います」
奥の部屋へ入ってみる。作業台を置いても余裕がありそうだし、材料を置く場所も確保できる。壁際には棚も置けそうで、型に流して固めている途中の石鹸や、切ったあと状態を落ち着かせている石鹸を並べることもできそうだった。
表の売り場も十分な広さがある。
ここなら、石鹸を作って、そのまま自分のお店で売れる。
そう思った途端、一気に現実味が増した。
「いいなぁ……」
思わず声が漏れる。
「どうです? 気に入りましたか?」
「はい。ここなら作る場所もあるし、売り場もちゃんとありますし……」
もう一度店内を見回す。棚を置いたところまで簡単に想像できてしまって、さっきよりずっとこの場所が魅力的に見えた。
「ただ、こちらはさっきの店より少し高くなりますね」
「……ですよね」
思わず苦笑いが出る。場所も悪くない。売り場もある。石鹸を作る場所もある。条件が良くなれば、その分お金もかかるらしい。
男性のもとへ戻り、改めて必要なお金について教えてもらう。
「お店を借りるだけでなく、最初に保証金も必要になります。それに棚や会計台、作業台なんかも揃えるなら、もう少し余裕を見ておいたほうがいいでしょうね」
「……そんなにですか」
思っていた以上に、お金が必要だった。
「でも、焦る必要はありませんよ。しっかり資金を貯めてから始める方も多いですから」
「そうですよね……」
私は静かにうなずいた。
今なら無理をすれば借りられるかもしれない。でも、それでは長く続けられない気がする。せっかく自分のお店を持つなら、借りた瞬間からお金の心配ばかりするのも嫌だった。
「今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ。どういうお店が必要なのか、少し見えてきたんじゃないですか?」
「はい。売る場所だけ考えてました」
「石鹸を作るなら、そこも大事ですからね。また条件に合う物件が出たら声をかけますよ」
「よろしくお願いします」
店を出ると、私は大きく息を吐いた。思っていたより、お店を持つのはずっと大変そうだ。
「……そんな甘くないかぁ」
思わず苦笑いが漏れる。
でも、実際にお店を見たせいだろうか。諦めたいどころか、前よりもっと欲しくなってしまった。
今は石鹸を作って、一つずつ売って、お金を貯めていこう。いつか自分のお店を持つ、その日のために。
私は小さくうなずき、宿への道を歩き始めた。




