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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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22話 背中を押す人

買い物を終えたノアは、両手いっぱいの荷物を抱えて宿へ戻ってきた。


「ただいま戻りました」

「おかえり」


 食堂では、エマがちょうど片付けを終えたところだった。ノアは買ってきた油や材料を机の上へ次々と並べていく。


「ずいぶん買ってきたねぇ」

「この前より少し多めです。最近すぐなくなっちゃうので」

「いいじゃないか」


 厨房から顔を出したトムが、積まれた材料を見て笑う。


「作れる時に作っとけ」

「はい」


 ノアも笑顔で返事をした。


「あ、そうそう」


 何かを思い出したように、エマがぽんと手を叩く。


「あんたに伝言があるんだった」

「私にですか?」

「さっき銀髪のかっこいい兄ちゃんが来てたよ」


 ノアは少し首をかしげた。


「銀髪……」

「石鹸を作ってる子はいるかって聞かれてね。感想を伝えに来たんだって」


 思い浮かんだ顔は、一人だけだった。


「……あの人かな」

「知ってるのかい?」

「少しだけ、お話ししたことがあります」

「そうかい。泡立ちが良くて、使い心地も良かったって。それに、また使いたいからって一つ買って帰ったよ」


 ノアは思わず目を見開いた。


「買ってくださったんですか?」

「そうさ。わざわざ感想を伝えに来るなんて、よっぽど気に入ったんだろうね」


 胸の奥がじんわりと温かくなる。自分が作った石鹸を、もう一度使いたいと思ってくれた。それだけで十分嬉しかった。


「……嬉しい」


 思わずこぼれた一言に、エマも優しく笑った。


「喜ぶと思ったよ」

「試作品を渡した時は、本当に使ってもらえるか不安だったので……」

「これで少し自信になっただろ?」


 トムの言葉に、ノアは大きくうなずく。


「はい」


 すると、エマが石鹸の棚へ目を向けた。


「あとは、こっちだねぇ」


 ノアもつられて棚を見る。


「あっ……」


 残っている石鹸は、たった一つだった。


「また作らなきゃ」

「無理しすぎるんじゃないよ」


 エマの言葉に、ノアが振り返る。


「実はね、トムとも話してたんだけど、宿の従業員を一人増やすことにしたんだよ」

「えっ?」

「宿も前より忙しくなってきたし、あんたも宿の仕事が終わったら石鹸、休みの日も石鹸だろ? このままじゃそのうち本当に倒れちまうよ」


 ノアは慌てて首を振った。


「でも、私のために人を増やしてもらうなんて……」

「あんたのためだけじゃないさ。宿の仕事だって増えてるんだから、ちょうどいい頃合いだったんだよ」


 トムも静かにうなずく。


「今なら人を増やす余裕もある。気にするな」


 二人の言葉を聞いて、ノアの表情が少しずつ和らいでいった。



 数日後。


 宿には新しい従業員が入った。


 掃除や配膳を任せられるようになると、宿の中には目に見えて余裕が生まれた。以前ならノアが忙しく走り回っていた時間も、新しい従業員が手際よく仕事をこなしている。


「助かるねぇ」

「本当ですね」


 ノアもほっと息をついた。


 その日の仕事を終えたあと、三人は食堂で温かいお茶を飲んでいた。窓の外は茜色に染まり、一日の終わりを静かに知らせている。


 しばらくして、エマが湯飲みを置いた。


「ノア」

「はい?」

「あんたがここへ来て、もう半年以上になるねぇ」


 ノアは少し驚いた。


「そんなになりますか」

「あっという間だったよ。最初は宿の仕事もおぼつかなかったのに、今じゃ石鹸まで作ってる」


 そう言って、エマは優しく笑う。


「あんたは私らの娘みたいなもんさ」


 ノアの肩が小さく震えた。


「だからね、あんたがこの先どうしたいのかは、まだ全部聞いてない。でも、応援したいって気持ちは変わらないよ」


 胸の奥が熱くなり、すぐには言葉が出てこなかった。


 そんなノアを見ながら、トムも静かに湯飲みを置く。


「宿のことは心配するな。人も入った。石鹸を作る時間も前より取れるだろ」


 ノアは二人を見つめた。


 この宿で目を覚ました日。名前も分からず、不安でいっぱいだった自分を受け入れてくれた二人。いつの間にか、ここは自分の帰る場所になっていた。


「……ありがとうございます」


 ようやく出たその一言に、いろいろな想いが詰まっていた。


 エマは照れ隠しをするように立ち上がる。


「しんみりするのは柄じゃないね。ほら、石鹸屋さん。明日も仕込みがあるんだろ?」

「はい」


 ノアは思わず笑い、返事も自然と弾んだ。


 まだ先のことは分からない。それでも、やりたいことは少しずつ見えてきている。


 応援してくれる人がいて、帰る場所がある。


 その温もりを胸に、ノアは明日もまた石鹸を作る。

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