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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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18話 お金は増えた でも時間は増えない

石鹸の販売を始めてから、数週間が経った。


 宿の仕事を終えて自室へ戻ると、私は小さな布袋を机の上へ置いた。紐をほどいて中身を広げると、銀貨と銅貨がカチャリと軽い音を立てる。


「さて……いちまーい、にまーい、さんまーい……」


 一枚ずつ机の上へ並べていくうちに、自然と口元が緩んでいった。


「思ったより売れてるなぁ」


 最初は宿泊客がついでに買ってくれるくらいだったのに、最近では石鹸だけを買いに宿を訪れる人も少しずつ増えている。


 エマから『最近は石鹸目当てのお客さんもいるみたいだよ』と聞いた時は、うれしくて飛び跳ねそうになった。


 自分が欲しくて作り始めたものを、知らない誰かがわざわざ買いに来てくれる。それがこんなにうれしいことだなんて、作り始めた頃には考えてもいなかった。


「よし、全部でこれだけ」


 数え終えた硬貨を布袋へ戻して持ち上げてみると、以前よりずっしりとした重みが手のひらに伝わってきた。


「……重くなってきた」


 もちろん、うれしい。


 材料を買うたびに軽くなっていた財布を思えば、なおさらだ。


 ただ、これだけの硬貨をいつまでも自分の部屋に置いておくのは、少し心配になってきた。


「今度、街の金庫屋へ行ってみようかな」


 最近できたばかりだという魔石カードも気になっている。本人登録をすれば、お金を預けたり引き出したりするのが簡単になるらしい。


「便利な世の中になったもんだ」


 口にしてから、自分で少し笑ってしまった。


 とりあえず布袋を引き出しの奥へしまい、机へ戻る。


 そこで、端に置いてあった一枚の紙が目に入った。


 思いつくたびに書き足している、これから作ってみたいものの一覧だ。


 髪用石鹸、香油、足用石鹸、いい香りの石鹸。


 名前だけならいくつも並んでいるのに、まだ一つも形にはなっていない。


「……作りたい」


 紙を手に取ると、頭の中に次々と考えが浮かんでくる。


 今のシャボンノアでも、以前使っていた石鹸よりずっと使い心地はいい。それでも髪にはまだ少しきしみが残るから、もっとなめらかに洗えるものを作ってみたい。


 香りのある石鹸だっていい。


 洗ったあとにふわっといい香りが残ったら、きっと気分もいいだろう。


 足専用の石鹸なんていうのも、あったら便利かもしれない。


 一つ考えると、そこからまた次のものが浮かんでくる。紙の余白が足りなくなりそうなくらい作りたいものはあるのに、それを試す時間がなかった。


「時間がないんだよねぇ……」


 宿の仕事が終われば、今度は売るための石鹸を作らなければならない。売れる数が増えたのはうれしいけれど、その分だけ仕込みにも時間がかかるようになった。


 今あるものを作るだけで一日が終わってしまい、新しいものを試すところまでなかなか手が回らない。


 私は紙を机へ戻し、椅子の背にもたれた。


「新しいもの、作りたいなぁ」


 石鹸が売れるのはうれしいし、硬貨が増えるのだってもちろんうれしい。


 でも、何度失敗しても配合を変えて、昨日とは違うものができて、その理由を考えていた頃も楽しかった。


 次は何を作ろう。


 どうすればもっとよくなるだろう。


 そんなことを好きなだけ考えられる時間が欲しい。


 ぼんやり天井を眺めているうちに、ふと一つの光景が頭に浮かんだ。


 商品を並べる棚があって、その奥には自分の作業場がある。思いついたらすぐに試すことができて、出来上がったものは自分で包んで棚へ並べる。


 今は一種類しかない棚にも、いつかは香りの違う石鹸や髪用の石鹸が並ぶかもしれない。


「小さくていいんだけどなぁ……」


 ぽつりとつぶやいたところで、ようやく自分が何を想像していたのかに気づいた。


「……お店?」


 その言葉を口にすると、それまでぼんやりしていた景色が少しだけはっきりした。


 自分で作ったものを、自分の店に並べる。


 そこへお客さんが来て、石鹸を手に取ってくれる。


 奥の作業場では次の商品を試していて、出来上がったらまた棚が少し賑やかになる。


 想像しているうちに、どんどん楽しくなってきた。


「……いやいや、まだ早い」


 私は慌てて首を振った。


 石鹸を売り始めて、まだ数週間しか経っていない。お店を持つのにいくら必要なのかも知らないし、今の売上だけでどうにかなるはずもない。


 まずはもっと石鹸を作って、お金を貯める。


 新しい商品だって、まだ一つもできていない。


「まだ早い、まだ早い」


 もう一度自分に言い聞かせたものの、さっき思い浮かべた小さな店は、なかなか頭の中から消えてくれなかった。


 机の上には、作りたいものを書いた紙。


 引き出しの中には、少しずつ増えてきた売上。


 今すぐは無理でも、いつかなら。


 そう思うと、また少しだけ頬が緩む。


「……絶対、作ってやる」


 それが新しい石鹸のことなのか、それとも自分のお店のことなのか。


 今の私にも、まだよく分からなかった。

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