17話 紙屋との出会い
シャボンノアを売り始めてから、数週間が過ぎた。
宿の入口には、トムが作ってくれた木製の棚が置かれている。
そこに並ぶ石鹸は、残り三つ。
毎日少しずつ売れ、町でも「宿で売っている石鹸」の評判が広がり始めていた。
「今日もよく売れたね」
エマがうれしそうに棚を眺める。
「ありがとうございます!」
私も笑顔で答えながら、残った石鹸へ目を向けた。
売れている。
気に入って、また買いに来てくれる人もいる。
うれしいはずなのに、こうして棚に並んでいる石鹸を見ていると、何かが足りない気がした。
「……うーん」
「どうしたんだい?」
「石鹸は気に入ってもらえてるんですけど……」
一つ手に取り、じっと眺める。
「なんだか少し寂しい気がして」
「寂しい?」
「もっと『手に取りたくなる商品』にしたいんです」
石鹸そのものには自信がある。
だからこそ、見た瞬間にも欲しいと思ってもらえるようなものにしたかった。
けれど、どうすればいいのかまでは思いつかない。
石鹸を手にしたまま悩んでいると、ちょうど油を届けに来たおじさんが声をかけてきた。
「おっ、石鹸屋のお嬢ちゃん。何か悩み事か?」
「ちょうどいいところに!」
私は石鹸を見せながら、今考えていたことを話した。
おじさんは腕を組み、棚の石鹸を眺める。
「それなら、紙屋へ行ってみな」
「紙屋ですか?」
「ああ。この町で紙なら何でも扱っとる店だ。店主も話しやすいし、相談に乗ってくれるぞ」
「紙かぁ……」
言われてみれば、石鹸を包むだけでも印象は変わるかもしれない。
おじさんは少し考えたあと、笑った。
「ちょうど紙を頼もうと思っとったんだ。一緒に行くか?」
「ぜひお願いします!」
◇
紙屋へ入った瞬間、思わず足が止まった。
「わぁ……!」
壁一面に、さまざまな紙が並んでいる。
色も厚さも大きさも違い、見ているだけでも楽しい。
思わず一枚ずつ眺めていると、おじさんが店の奥へ向かって声を張った。
「おーい、親父さん! いるかー!」
「おっ、その声は……」
奥から店主が顔を出し、おじさんを見るなりにやりと笑う。
「また来たのか」
「今日は油を売りに来たんじゃないぞ」
おじさんは笑いながら、私を前へ促した。
「石鹸屋のノアちゃんだ。包装のことで相談があるらしくてな」
「ああ、そういうことか」
店主は穏やかにうなずくと、奥へ向かって声をかけた。
「ルシアン! ちょっと来てくれ!」
「はーい」
軽い返事とともに、一人の青年が姿を現した。
整った顔立ちに、すっきりとした着こなし。
服そのものは派手ではないのに、色の合わせ方や小物の使い方がどこかおしゃれだ。
思わず目がいく。
「初めまして。ルシアンです」
「ノアです」
挨拶を交わすと、おじさんが店主の肩を叩いた。
「じゃあ、わしらはちょっと話しとるわ。ゆっくり相談してこい」
「ありがとうございます!」
私はさっそくルシアンのもとへ向かった。
「どう言ったご相談ですか?」
「これを包める紙を探してます」
持ってきたシャボンノアを差し出すと、ルシアンは手のひらに乗せ、興味深そうに眺めた。
「とてもきれいですね」
「ありがとうございます」
そう言ってもらえるだけで、少しうれしくなる。
「あ、そうだ」
肩から提げていた布バッグを開き、小さな木箱を取り出した。
蓋を開けると、中には小さく切り分けた石鹸が並んでいる。
「試供品です」
「試供品?」
「はい。初めて使うものって、買うのに勇気がいりますよね。だから小さく切って持ち歩いてるんです」
一つ取り出し、ルシアンへ差し出す。
「よかったら使ってみてください」
ルシアンは少し驚いたように目を瞬かせたあと、笑った。
「面白い考えですね」
小さな石鹸を受け取り、大切そうに手のひらへ乗せる。
「ありがとうございます」
「使った感想、ぜひ聞かせてください!」
「もちろんです」
そう言って微笑むと、ルシアンは店内を見回し、棚から何種類かの紙を持ってきた。
「石鹸でしたら、こういう紙はいかがでしょう」
「わぁ……!」
「ろうびき紙です。水や油に強いので、石鹸との相性がいいですよ」
ルシアンは実際に石鹸へ紙を合わせながら、手際よく包んでいく。
「このままでもいいですが、上から細い帯を巻くと、ぐっと商品の印象がよくなります」
「かわいい……!」
さっきまで何か物足りなく見えていた石鹸が、紙に包まれただけで急に商品らしく見える。
「季節ごとに帯の色を変えるのも素敵ですね」
「それいいですね!」
「贈り物用なら、こちらの紙も合いそうです」
「その発想はありませんでした!」
気づけば、私はルシアンと並んで次々に紙を広げていた。
「この色もかわいい」
「それなら、こっちを合わせてもいいかもしれません」
「あ、好きです! こういう組み合わせ!」
「ですよね」
話しているうちに、包装だけではなく服の色合わせや季節ごとの流行、商品の見せ方にまで話が広がっていく。
どうやらルシアンも、こういうことを考えるのが好きらしい。
気づけば二人とも、すっかり夢中になっていた。
「気が合うみたいだな」
少し離れたところから店主の声が聞こえる。
「だな」
油屋のおじさんも笑ってうなずいていた。
◇
宿へ戻ると、私はさっそく買ってきたろうびき紙を机いっぱいに広げた。
石鹸を一つ取り、教えてもらったとおりに包んでいく。
「かわいい……!」
さらに細い帯を巻いてみる。
それだけでも、今まで棚に並べていた石鹸とはまるで違って見えた。
「ここに名前があったら、もっといいかも」
帯の上へ、シャボンノアと書いてみる。
「うん、いい!」
満足しかけて、ふと手が止まった。
「……でも、これ毎回書くの大変だなぁ」
一つや二つならいい。
これから数が増えたら、そのたびに同じ文字を書くことになる。
帯を見つめながら腕を組む。
「何か、一回で同じものを……」
その瞬間、頭の中に一つの形が浮かんだ。
「あっ!」
勢いよく顔を上げる。
「ハンコだ!」
さっそく小さな木片を用意し、慎重に文字を彫っていく。
思ったより難しい。
「あっ……違う」
失敗。
「これもだめ」
また失敗。
それでも何度かやり直し、ようやく納得できるものができあがった。
「できた……!」
インクをつけ、帯の上へそっと押す。
ゆっくりと木片を持ち上げる。
そこには――
Savon ✿ Noah
「……いい!」
思わず顔がにやける。
「めっちゃいい!」
新しい帯を石鹸へ巻き、棚へ並べてみた。
一つ。
二つ。
三つ。
ろうびき紙に包まれ、同じ印が押された石鹸が並ぶ。
さっきまでとはまるで違う。
ちゃんと一つの商品に見える。
私は棚の前で腕を組み、満足そうに何度もうなずいた。
「くっ……また才能が爆発してしまった!」
近くにいたトムが、石鹸を一つ手に取った。
包装を眺め、帯の印へ目を落とす。
「……否定できないな」
その一言に、エマが吹き出した。
「そんなこと言ったら、ますます調子に乗るじゃないか」
私はにやりと笑う。
「もっと褒めてくれてもいいんですよ?」
「ほら、もう乗った」
「才能は褒めて伸ばしてください!」
エマが声を上げて笑い、トムも小さく笑う。
私も棚へ並んだシャボンノアを見ながら、つられて笑った。
石鹸そのものは、昨日までと同じ。
けれど、紙に包み、名前をつけ、同じ印を押しただけで、ずっと自分の商品らしくなった気がする。
棚に並んだ小さな包みを見つめていると、胸の奥がくすぐったい。
シャボンノア。
ようやくその名前が、石鹸の顔になった気がした。




