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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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14話 涙の石鹸

朝。


「……っ!」


ノアは勢いよく目を覚ました。


一瞬ぼんやりと天井を見つめたものの、すぐに昨日のことを思い出す。


「石鹸!」


布団を飛び出し、顔だけさっと洗うと、そのまま宿の裏へ駆け出した。


まだ朝の冷たい空気が残る中、物置の前まで来たところで足が止まる。


昨日、何度も開けそうになって我慢した扉。


その向こうには、八回目の石鹸がある。


「……お願い」


胸の前で手を組み、小さく息を吸った。


そっと扉を開けて中へ入り、棚の上に置いたバットの前へ向かう。かぶせていた布の端をつまむと、一度だけ深呼吸をしてからゆっくりとめくった。


見た目だけでは、まだ分からない。


ノアは恐る恐る指先を伸ばし、表面へ触れた。


ぷにっとしない。


もう一度押してみる。


少し力を入れても、昨日までのように指が沈むことはなかった。


「……固い」


信じられなくて、場所を変えてもう一度触る。


固い。


端の方も、真ん中も、ちゃんと形を保っている。


「固まってる……」


その言葉を口にした瞬間、全身から一気に力が抜けた。


ノアはその場へぺたんと座り込み、目の前の石鹸を見つめる。


「できた……」


ぽろりと、一粒の涙が頬を伝った。


七回失敗した。


柔らかすぎたり、表面だけ固まったり、ようやく形になったと思えば、今度はぼろぼろと崩れた。


そのたびに配合を書き直して、材料を量り直して、何度も混ぜて、何度も考えた。


うまくいかなかった理由を一つずつ探して、ようやくここまで来た。


「できたよ……」


次から次へと涙があふれてくる。


うれしい。


ただ、それだけだった。


「よかったぁ……」


涙を拭うことも忘れ、そのまま石鹸を見つめていると、背後で物置の扉が開いた。


「ノア?」


エマだった。


しゃがみ込んで泣いているノアを見るなり、慌てて駆け寄ってくる。


「どうしたんだい!」


ノアは涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、バットを指さした。


「エマさん……できました……」

「え?」

「固まったんです……!」


エマは一瞬目を見開き、それから石鹸へ手を伸ばした。


表面をそっと押し、しっかり固まっていることを確かめると、にっと笑う。


「やったじゃないか!」


バンッ!


「いたっ!」


勢いよく背中を叩かれ、ノアは涙を流したまま思わず笑ってしまった。


「えへへ……」

「あんた、本当によく頑張ったね」


その一言が胸に刺さり、止まりかけていた涙がまた一気にあふれた。


「うぅ……」

「ほらほら、まだ泣くのは早いよ」


エマは困ったように笑いながら、もう一度石鹸を眺める。


「ちゃんと固まったなら、次は使い心地を確かめないとね」

「はい!」


勢いよく返事をした、その時だった。


「朝から賑やかだな」


声のした方を見ると、厨房からトムが顔をのぞかせていた。


「トムさん!」


ノアは立ち上がると、うれしそうに石鹸を見せた。


「固まりました!」


トムは近づいて石鹸を受け取り、表面や角をじっくりと確かめる。


しばらく眺めたあと、静かにうなずいた。


「……きれいにできてるな」

「ほんとですか?」

「ああ」


そう答えると、トムはノアの前まで歩いてきた。


大きな手が伸びてきて、ぽん、と優しく頭を撫でる。


「よく頑張ったな」


その温かい手に、せっかく落ち着きかけていた涙腺が完全に決壊した。


「うぅぅ……」

「また泣いてるじゃないか」


エマが声を立てて笑う。


「だってぇ……」


トムは少し照れくさそうに手を離すと、ひとつ咳払いをした。


「今日は祝いだ」

「え?」

「昼のまかないは、お前の好きなものを作ってやる」


ノアはぱっと顔を上げた。


「本当ですか!?」

「ああ」

「やったー!」


さっきまで泣いていたのが嘘のように笑顔になる。


エマが呆れたように肩をすくめた。


「現金な子だねぇ」

「だって、トムさんのご飯おいしいんですもん!」


その言葉に、トムもほんの少しだけ口元を緩めた。


「じゃあ仕事だ」


エマも頷く。


「朝食の時間は待ってくれないからね」


「はい!」


ノアは名残惜しそうに石鹸へ目を向けた。


ようやく固まったばかりで、まだすぐには使えない。ここまで待ったのだから、最後まで焦らずに仕上がりを確かめよう。


大切なものを扱うように布をかけ直し、棚の奥へそっと戻す。


「もう少しだけ待っててね」


小さく声をかけてから、ノアはエマたちのあとを追って物置を飛び出した。


何度失敗しても諦めずに作り続けた八回目。


ようやく形になった石鹸を思うだけで、足取りは昨日までよりずっと軽かった。

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