100話 大事件
心臓が止まりそうになった。
シリルさんは、しばらく私の手を包んだまま動かなかった。それからようやく、ゆっくり顔を上げる。
「あぁ……俺、ここで死んでもいいくらい幸せかも」
「え、ぇえ!? だめですシリルさん!」
思わず身を乗り出すと、シリルさんはくすっと笑った。
「ははっ」
「ちゃんと生きてください!」
「はい」
少しだけ目を細める。
「仰せのままに」
その笑顔に、また胸がどきりとした。
だめだ。
今日だけで何回心臓が止まりそうになればいいんだろう。
しばらくして、シリルさんが辺りを見回した。
「遅くなっちゃいましたね。ホテル、戻りますか?」
「えっと、そうですね」
「俺はずっとここでこうしててもいいですけど」
「……」
意味を理解した瞬間、カァッと顔が熱くなった。
またそんなこと言う!
「か、帰ります!」
慌てて立ち上がろうとした、その瞬間。
「……!」
あ。
やば。
この感覚。
「シリルさん」
「はい」
「大事件です……」
一瞬でシリルさんの表情が引き締まった。
「どうしました」
「足が……しびれて立てません……」
数秒。
しん、とした空気が流れる。
シリルさんは私の足元を見て、それから私の顔を見た。
次の瞬間、堪えきれなかったみたいに表情が崩れる。
「……かわい……」
「へ?」
シリルさんが、はっと目を見開いた。
「……」
そのまま片手で口元を覆う。
耳まで真っ赤になっていた。
「ノアさん……俺をいったいどうしたいんですか」
「ぇえ!?」
そんなつもりじゃないのに!
むしろこっちが聞きたい。
シリルさんは小さく咳払いをひとつすると、さっきのことなんてなかったみたいな顔で私へ手を差し出した。
「俺につかまって、ゆっくり足を伸ばしましょうか」
「……はい」
差し出された手を、ぎゅっと握る。
さっきまであんなに恥ずかしかったはずなのに、今はその手に触れることが、少しだけ嬉しかった。




