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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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68話:論破(実務)

場は、逃げ場のない静寂の中にあった。


先ほどまでの思想的な対立、あの高潔な「誇り」を巡る問答は、すでに終わった。だが、それは前哨戦に過ぎなかったことを、その場にいる全員が理解し始めていた。


「……次に、実務面における詳細な比較データを提示する」


司会役の老貴族が、重々しく告げる。

今度は、耳に心地よい理想論など一分子も入り込む余地はない。

そこに並ぶのは、血と汗と、そして冷徹な演算によって導き出された「数字」という名の真理だ。


「……」


長机の上に、魔導投影による光の板が浮かび上がる。

薄暗い集会所の中で、その青白い光は残酷なほど鮮明に、二つの戦いの差異を浮き彫りにした。


「中央戦線、第一次戦闘(アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイア指揮)」


数字が刻まれる。


「投入兵力:一〇〇」

「実質稼働率:五七%」

「負傷率:三一%(うち重傷一二%)」

「戦闘継続可能時間:極めて短」


ざわめきが、通夜のような空気の中に広がる。

誰もが記憶に新しい。あの時、戦線は確かに崩壊の瀬戸際にあった。


「……」


次いで、その隣に新たな数字が並ぶ。


「中央戦線、第二次戦闘(アルト・フェルディス指揮/検証)」


同じ地形。同じ敵。同じ、疲弊したはずの兵たち。


「投入兵力:一〇〇」

「実質稼働率:八九%」

「負傷率:九%(すべて軽傷)」

「戦闘継続可能時間:長」


沈黙。

それは、いかなる雄弁な弁明をも圧殺する、圧倒的な事実の重みだった。


「……」


司会が淡々と、しかし容赦なく詳細データをめくっていく。


「兵站消費量――第一次:過剰。配置の硬直により、予備物資の浪費が散見される。第二次:最適化。一分子の無駄もなき、ジャストインタイムの補給を確認」


「医療配分――第一次:偏重。特定箇所への負傷集中により、救護所が機能不全に陥る。第二次:均等化。戦線の流動的運用により、負傷の分散と迅速な処置が成立」


光の板を見つめる諸侯の目が、次第に変わっていく。

それはもはや、思想への賛同ではない。アルト・フェルディスという「システム」に対する、抗いようのない畏怖だった。


「……同条件で、この差だね。あはは、僕の計算機はちょっと正直すぎたかな?」


アルト・フェルディスが、口を開いた。

声はいつも通り明るく、気さくだ。だが、その言葉には一分子の装飾も、虚飾もない。ただそこに「ある」結果を、陽気に突きつけているだけだ。


「……」


アンジェリカは、光の板を見つめたまま、微動だにしなかった。

視線が、数字から離れない。離せない。


理解は、していた。

彼女ほどの才媛であれば、この数字が何を意味しているか、どれほどの絶望的な実力の乖離を示しているか、瞬時に理解できてしまう。


兵站。配置。医療。

すべて。

自分が心血を注ぎ、誇りを持って積み上げた采配のすべてが、アルトの「振り分け」の前では、稚拙な児戯に等しかったことが証明されている。


「無駄が多いな」


エルディアが、横から短く、そして冷酷に切り捨てた。

「美しさに拘り、現場の摩擦を無視した結果がこれだ。貴様の理想は、兵を疲れさせ、物資を腐らせた」


「……私は……」


アンジェリカの喉が、かすかに震える。

「……最善を、尽くした。ヴァルクレイアの名に懸けて、一分子の妥協もなく、騎士としての正解を……!」


「最善だったか、正解だったかは、僕が決めることじゃないんだよ、アンジェリカ様」


アルトの声が、彼女の言葉を真っ向から、陽気に遮った。

「結果がそれを決めるんだ。そして結果は、君の采配を『非効率』だと断じた。それだけのことだよ」


「……っ」


「兵站が遅れてるね。君が『形』に拘りすぎて、輸送路の流動性を奪ったからだ。……医療が偏ってる。君が『勇猛さ』を求めたせいで、特定の部隊に過度な負担がかかった。……前線の距離が詰まりすぎだ。誇り高く密集した結果、敵の範囲攻撃をまともに食らっている。……後衛の視界が狭い。美しく並ぶことに固執して、不測の事態への予備動作を忘れている」


一つずつ。

逃げ場を、一分子の隙もなく潰していく。

アルトの指摘は、もはや批判ではない。ただの「デバッグ」だった。


「だから崩れたんだ。あはは、とてもシンプルな因果関係だと思わないかい?」


「……」


反論の余地など、どこにもなかった。

実際に、彼女の指揮下で戦線は崩れ、アルトの指揮下で戦線は笑いながら維持された。

その事実の前に、いかなる騎士道の精神も、一分子の価値も持たなかった。


「兵站は遅れないように組めばいい。医療は偏らないように配置すればいい。距離は適切に保ち、視界は常に確保する。……それを『手順』通りにやれば、この数字になる。ただそれだけのパズルだよ」


アルトは光の板を気さくに指し示し、席を立った。

「さて、検証は終わりだ。この数字の差を埋められない限り、君の『誇り』は、ただ兵を死なせるための言い訳に過ぎない。……違うかな?」


静寂。

誰も、否定できなかった。


リュミエラは、資料を見つめながら、その手を胸元で握りしめていた。

神官として、命を預かる者として、彼女には分かってしまった。

アルトのやり方は、冷たく、機械的だ。

だが――それによって救われた命の数が、アンジェリカのそれよりも圧倒的に多いという事実。


アンジェリカは、動けなかった。

頭の中で、何度も、何度もシミュレーションを繰り返す。

もし、あの時。こうしていれば。こう配置していれば。

だが、その思考さえも、すでにアルトが通った「最適解」の後塵を拝していることに気づき、彼女は絶望した。


「……そんな……」


小さく漏れた、かすかな声。

これまで彼女を支えてきた誇り、信念、教育。

そのすべてを込めた指揮が、ただの「非効率なデータ」として廃棄された。


「戦場は、君の想像ほど綺麗には動かないんだよ」


エルディアが、通りすがりに吐き捨てる。

「だから、アルトのように最初から『汚れ』や『誤差』を計算に入れた余白を作る必要がある。貴様には、それが一分子もなかった」


アンジェリカは、ゆっくりと顔を上げた。

視線の先には、すでに次の会議の準備を、陽気に兵たちと進めるアルトの背中があった。


そこに、迷いはなかった。

「分かってやっている」者の、絶対的な余裕。

自分は、違った。

「信じてやっていた」だけだった。


その差が、この絶望的な数字の差となって現れたのだ。


司会役の老貴族が、重苦しく口を開く。

「……以上をもって、実務比較の報告を終了する。……各々、この結果を深く胸に刻むように」


形式的な、しかし死刑宣告のような言葉。


アンジェリカは、座り続けていた。

誰もいなくなった集会所の中で、青白く光る投影資料だけが、彼女を冷たく照らし続けている。


思想で負け、そして実務において、完膚なきまでに敗北した。

公爵家令嬢としての、指揮官としての、そして一人の人間としての「正しさ」が、アルト・フェルディスという合理の怪物によって、一分子の残滓もなく解体された。


それが、彼女が直面した、逃げ場のない現実だった。


第68話、論破(実務)。

数字という名の残酷な真実の前に、気高き令嬢の魂は、深い沈黙の中に沈んでいった。

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