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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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69話:論破(覚悟)

それは、あまりに唐突に、そして無慈悲に訪れた。


「――南東ライン、崩壊寸前です!」


伝令の絶叫が、集会所の張り詰めた空気を物理的に切り裂いた。

報告の声に、一分子の余裕もない。息は激しく乱れ、走り込んできたその体は、どす黒い血と泥にまみれ、死線の焦燥をそのまま持ち込んでいた。


「魔物群、想定外の再集結を確認! 突破されます――このままでは、中央の背後を突かれる!」


ざわめき。

先ほどまで「検証」という名の静かな解体が行われていた場が、一瞬にして、剥き出しの戦場へと引き戻される。


「……!」


アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイアが、弾かれたように立ち上がった。

反射。それは公爵家令嬢として、そして騎士としての、魂に刻まれた防衛本能だった。


「詳細を言いなさい。どの程度の規模? 予備兵力は!」


声は、まだ崩れていない。

だが――。

一瞬。わずか一瞬、彼女の思考は「理想的な防衛」を探して、逡巡した。


その一瞬で、アルト・フェルディスはすでに動いていた。


「地図出せ。最新の魔力密度を投影して。ハイッ、急いで!」


短く、しかし場違いなほど明るい声。

魔導板が展開され、南東ラインが赤く、激しく点滅を始める。


「……」


アルトの視線が、光の板の上を走る。

速い。異常なほどの速度で、彼は数千の命が絡み合う状況を、ただの「構造」として読み解いていく。


崩れているのは、一箇所ではない。

右翼の支点、補給路の分岐、そして防壁の脆弱点。連鎖的な崩壊。


「あはは、なるほどね。誘導されてるな、これ。向こうにも、僕みたいな『整理好き』がいるみたいだ」


気さくに放たれた一言。だが、その意味を理解した瞬間に、居並ぶ士官たちの顔から血の気が引いた。

魔物が、統制されている。意志を持って、こちらの「綻び」を突いている。


「……」


エルディアが、低く、しかし断定的に吐き捨てた。

「切るしかないな」


それだけ。冷徹な戦士の判断。


「……っ、救援を出すわ!」


アンジェリカが叫んだ。即座の決断。

「まだ南東には、第三部隊が残っているはずよ。彼らを見捨てることはできない。今すぐ、中央の予備兵力を――」


「間に合わないよ」


アルトが、その言葉を遮った。

一分子の容赦もない、明るい拒絶。


「……まだ、持っているはずよ! ヴァルクレイアの兵が、そんなに脆いわけがないわ。持たせるのよ、私が行って――」


「無理だね」


即答。


「距離が遠すぎる。敵の密度は、すでに通常の防衛網で捌ける限界を超えてる。迂回ルートも埋まってる。……間に合わない。行けば、救うはずの予備兵力までセットで失うことになる。あはは、それは最高にバカげた計算ミスだよ」


「……!」


アンジェリカの言葉が、喉の奥でつかえる。

アルトの指摘は、地図上の数字が示す「真理」だった。


「それでも――」

「間に合わないんだ」


再び、切る。

アルトの瞳は陽気に輝いたままだが、その奥にある「冷徹な光」がアンジェリカの誇りを射抜いた。


「……!」


リュミエラが一歩、前に出た。

「行きましょう……! 私の回復魔法があれば、まだ、助けられる人がいるかもしれない。……お願いです、アルトさん!」


声は震えている。だが、必死の願い。


「『かもしれない』でリソースを動かさない。……それが、僕のルールだ」


アルトの声は、低い。

気さくな仮面はそのままに、しかし言葉の重みだけが、一分子の妥協も許さぬ「王」のそれへと変わっていた。


「……」


沈黙。

集会所を、死の静寂が支配する。


アンジェリカの拳が、爪が食い込むほどに強く握り締められた。

「……切るのね。……あそこにいる、数百の命を」


「切るよ」


アルトは、迷わない。


「……」


その瞬間、南東ラインの運命が、神の裁定を待たずして確定した。


アルトはすでに、次を見ている。

「北西に再配置。南東は遮断壁を放棄して、物理的に封鎖。……退路も潰して。あそこにいる敵を、一分子もこっちに流し込ませないようにね。ハイッ、移動開始!」


指示が飛ぶ。

陽気な采配。

徹底した切り捨て。

部隊が、アルトの言葉に吸い込まれるように動き出す。


「……」


地図の上で、南東の光が弱まっていく。

点滅が一つ、消える。

また一つ、消える。

それは、そこにいた人間が「戦力」としての機能を失い、消滅していったことを示していた。


「……やめて……お願い……」


リュミエラが、その場に膝を突いた。

崩れ落ち、祈るように両手で顔を覆う。


アンジェリカは、動けなかった。

見ていることしかできない。

救える「可能性」は、確かにそこにあったのだ。

もし、自分が誇り高く、全戦力を持って駆けつけていれば――。

その万が一の奇跡に、彼女は賭けたかった。


「……」


「……どうして。どうして、そんなに平然としていられるの」


アンジェリカの声が漏れた。

震える唇。崩れかけた誇り。


アルトは、地図から視線を外さなかった。

彼の手は、次なる防衛線の構築のために、正確に、そして気さくに動き続けている。


「……アンジェリカ様」


アルトが、静かに言った。

その声は、かつてないほどに凪いでいた。


「その『誇り』という名の夢を見るために、あと何人死なせるつもりだい?」


「……っ」


アンジェリカの呼吸が、物理的に止まった。


「救援を出して、間に合わずに予備兵力が全滅すれば、この中央街道は一時間以内に陥落する。そうなれば、今ここにいる生存者数千人が、一分子も残らず肉の塊に変わる。……君の言う『救えるかもしれない』という感傷の代償は、数千人の命だ。……その覚悟、君にあるのかい?」


「……」


言葉の意味は、残酷なまでに単純だった。

だが、その重さは。

「誇り」という言葉で装飾された彼女の理想を、一瞬で磨り潰すのに十分だった。


救援を出したい。

だが、その「優しさ」が、より多くの人を殺す。

それが、戦場という名の演算が導き出す、逃れようのない現実。


アンジェリカの中で、何かが音を立てずに崩れ去った。

高潔な騎士として、一人も見捨てないと誓った彼女の「信念」。

それが、今この瞬間、無慈悲な「殺人者」の論理へと変貌させられた。


「……」


否定したかった。

だが、できない。

アルトの示した数字が、実務が、そして今まさに消えゆく南東の光が、彼女の「未熟な覚悟」を嘲笑っていた。


切る覚悟。

捨てる覚悟。

悪鬼となって、少数を殺し、多数を生かす覚悟。


アルトには、それがある。

一分子の迷いもなく、笑いながら地獄を振り分ける、本物の覚悟が。


アンジェリカには、それがなかった。

だから、彼女は動けなかった。


「……」


南東ラインの光が、完全に消失した。

地図の上には、ただの暗い空白だけが残された。


終わったのだ。


「……」


重い、重い、静寂。


リュミエラは、嗚咽さえ漏らさずに座り込んでいた。

アンジェリカは、立ったまま、自分の手が石のように冷たくなっているのを感じていた。


アルトは、一度も振り返らなかった。

「戦線維持。再配置完了まであと三分。……さあ、次の工程へ移ろうか。死人を数えるのは、すべてが終わった後でいい」


陽気な指示。

終わったことは、過去のデータ。

大切なのは、今、生きているリソースをどう守り抜くか。

それだけ。


アンジェリカは、アルトの背中を見つめた。

そこには「誇り」などという不確かなものではなく、鋼のように硬く、冷たい「覚悟」だけが背負われていた。


「……」


自分には、それが一分子もなかった。

その自覚が、彼女の魂に、二度と埋まらぬ深い敗北の楔を打ち込んだ。


膝が、わずかに震える。

誰にも気づかれぬように。


誇りでもなく、思想でもなく。

「覚悟」という名の戦場において、彼女は完膚なきまでに敗北した。


第69話、論破(覚悟)。

合理の支配者が示した「正解」は、気高い令嬢から、最期の拠り所さえも奪い去っていた。

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