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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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67:論破(思想)

場は、あまりにも静謐に整えられていた。


戦場の泥臭い余韻を引きずる仮設の集会所。布で囲われただけの急造の空間ではあったが、内部の空気は冷徹なまでの秩序に支配されている。中央に置かれた無骨な長机。それを取り囲むように並ぶ、重苦しい表情の貴族、士官、そして最前線を生き延びた兵たち。


誰もが、この場の持つ「意味」を理解していた。

これは単なる作戦会議ではない。

二つの相容れない「正しさ」に、明確な審判を下すための儀式。


「――では、此度の掃討任務、および検証戦闘についての総括を執り行う」


司会役を務める老貴族が、枯れた声を響かせる。

落ち着いた響き。だが、その背後には張り詰めた緊張の糸が、一分子の弛みもなく張り巡らされていた。


「中央戦線、損耗軽微。負傷者三名、いずれも軽傷。死者なし」


報告書が淡々と読み上げられる。

「特筆すべきは、前回の戦闘と同一条件、同一戦力による再検証の結果である。……被害は、前回の五割以下にまで抑制された」


ざわめき。

それは小さく、しかし確実に、さざ波のように広がっていく。

誰もが知っている。指揮官がアンジェリカからアルトへと変わった、ただ一点の違いが、この絶望的なまでの「差」を生み出したことを。


「……」


アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイアは、正面の席に座していた。

公爵家令嬢としての矜持をよろいとし、背筋を一点の曇りもなく伸ばしている。顔色ひとつ変えず、泰然とした構えを崩さない。

だが――その内側では、かつて信じて疑わなかった世界が、音を立てて軋んでいた。


「……」


アルト・フェルディスは、卓の端にいた。

姿勢は相変わらず気さくで、どことなく陽気な風情さえ漂わせている。視線は特定の誰かを射抜くこともなく、ただそこに「ある」事実を眺めるかのように、静かに凪いでいた。


「差異は明白である。……この結果について、諸官の意見を求める」


沈黙。

誰もが、最初の一撃を繰り出すことを躊躇った。

これは単なる戦術の巧拙こうせつではない。人間の、そして王国の根幹を成す「価値観」への挑戦になるからだ。


「……」


沈黙を破ったのは、アンジェリカだった。

絞り出すような、しかし凛とした、透き通った声。


「……誇りなき指揮は、成立しません。私は、今もそう確信していますわ」


静かに、しかし断固とした拒絶を込めて、彼女はアルトを見据えた。

「兵は、単なる数字でも駒でもありません。……一人ひとりが意思を持ち、名誉を重んじる人間です。誇りがあるからこそ、彼らは死を恐れずに前に出る。誇りがあるからこそ、崩れかけた土壇場で踏みとどまることができるのです」


視線が集まる。

伝統的な騎士道を重んじる古参の貴族たちが、深く頷く。それは彼らが数百年にわたって積み上げてきた、絶対的な真理。


「誇りがなければ、統率はただの強制へと堕ちます。……一分子の魂も持たぬ軍勢が、真の脅威を退けられるはずがありません!」


断言。

それが、彼女が守り抜こうとした最後の砦。


「……」


一拍の沈黙。

アルトが、ゆっくりと口を開いた。

いつものように明るく、どこか陽気な、だが残酷なほどに純粋な響き。


「誇りで人は守れないよ、アンジェリカ様」


装飾を削ぎ落とした、事実の宣告。

「一分子の感傷も挟まずに言わせてもらえば、守るのは『手段』だ。それ以外にない」


「……どういう意味?」

アンジェリカの声が、鋭く尖る。


「意味通りだよ! あはは、そんなに難しい話じゃない。配置、距離、連携、そして補給。これらが正しい数式として組み合わさった時、初めて『生存』という結果が導き出される」


アルトは気さくに、しかし冷徹に並べ立てる。

「兵が前に出るのは、前に出るための条件が整っているからだ。踏みとどまるのは、踏みとどまるだけの構造が維持されているからだ。そこに誇りという名の味付け(スパイス)があってもいい。……でもね、メインディッシュはあくまで『合理』なんだよ」


「……それでも!」

アンジェリカが食い下がる。

「誇りがなければ、人は極限状態で動きません! 恐怖に打ち勝つのは、己の矜持だけですわ!」


「動くよ」


即答。

明るい否定。


「条件を揃えれば、人は必ず動く。動かないとしたら、それは彼らの誇りが足りないんじゃない。指揮官が提示した『生存の確率』が足りていないだけだ」


「……っ!」


「あはは、そんなに怖い顔をしないで。……君の言う誇りは、いわばエンジンを回すための燃料かもしれない。でもね、燃料がどれだけあっても、設計図(構造)が壊れていれば車は走らない。……逆もまた然りだ。正しい構造があれば、人は機能として動き始める」


ざわめきが、より深く、重くなっていく。

否定できない。

現にアルトの指揮下で、兵士たちは昨日までとは別人のように、効率的に、そして安全に戦果を上げた。


「……人は、そんなに単純な生き物ではありませんわ」

反論。だが、アンジェリカ自身の耳にも、その言葉は弱々しく響いた。


「単純じゃないからこそ、個々の意思なんて不確かなものに頼っちゃいけないんだよ。僕は彼らを一分子の迷いもない『変数』として扱う。……その方が、彼らにとってもハッピーだと思わないかい?」


アルトの目が、陽気に輝く。


「統率は“機能”によって構築されるべきだ。……感情は、すべてが終わった後の『結果』として享受すればいい。死人に誇りは語れない。……違うかな?」


それが、核心。

アルト・フェルディスという男の、揺るぎない思想。


「……」


アンジェリカの呼吸が、完全に止まった。

理解してしまった。

アルトは、誇りを否定しているのではない。

「勝利」という目的を達成するための序列において、誇りを最後尾へと、一分子の容赦もなく「振り分けた」のだ。


「……」


意味は分かる。

完全に、論理として完成されている。


だが。

受け入れられない。

これを受け入れてしまえば、自分がこれまで学んできた高潔さが、ヴァルクレイアの歴史が、ただの非効率な「ノイズ」に成り下がってしまう。


「……」


沈黙。

長い、長い沈黙。


「……結果が出ているわな」


エルディアが、静かに断じた。

その一言が、逃げ道をすべて塞ぐための最後の楔となった。


数字。

現場。

兵士たちの安堵の表情。

すべてが、アルトの言葉を裏付けている。


「……」


アンジェリカの指先が、机の下で、誰にも気づかれぬほど微かに震えた。

反論を、言葉を、自尊心を。

必死に拾い集めようとするが、理屈という名の激流に、すべて押し流されていく。


完全に、負けていた。

剣を交えるまでもなく、言葉を尽くすほどに、彼女の拠り所としていた思想が解体されていく。


「……」


アルトは、すでに彼女を見ていなかった。

議論は終わった。答えは出た。

彼の思考はすでに、次なるリソースの最適化へと、陽気に加速している。


周囲の視線が、痛い。

何かを言い返すことを、あるいは潔く敗北を認めることを、観衆は求めていた。

だが――アンジェリカの喉は、物理的に凍りついたように動かなかった。


「……」


彼女は、ただ座っていた。

背筋はまだ、公爵家令嬢としての美しさを保ったまま。

だが――。

その内側は、修復不能なほどに崩壊していた。


思想における、完膚なきまでの敗北。

正しさという名の絶対の盾が、合理という名の光に透かされ、その脆さを露呈した。


もう、逃げられない。

アルト・フェルディスという男が導き出した「生存の答え」から。


第67話、論破(思想)。

仮設の集会所に、新しい時代の、そして残酷なまでに明るい「真実」が、一分子の陰りもなく刻み込まれていた。

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