6話:崩壊寸前
夜は深まり、教会の空気は淀んでいた。
血と泥の匂い、そして限界を超えて絞り出された魔力の残滓が、重く肺にまとわりつく。
リュミエラは、冷たい石畳の上で横たわっていた。
その顔は蒼白で、唇は血の気を失い、わずかに開かれた瞳には焦点がない。魔力枯渇。魔術師にとって、それは単なるエネルギー切れではない。魂を構成する回路が焼き切れ、自己の境界が崩壊していく、死よりも深い暗闇だ。
(……温かい……光……)
彼女の意識の奥底で、かつて自分が救った誰かの笑顔が揺れる。
だが、その光は急速に遠のいていく。
代わって押し寄せるのは、底なしの静寂と、凍りつくような冷気。
「無茶をしたな」
その声が、暗闇を切り裂いて届いた。
硬く、感情の起伏を排した、あの「合理の男」の声だ。
アルト・フェルディスは、膝をついてリュミエラを見下ろしていた。
彼は村の防衛ラインを再構築し、村人たちに「絶望する暇」を与えないほど精密な指示を飛ばし終えたばかりだ。本来なら、このまま前線の指揮に戻るのが最も効率的である。
だが、アルトの演算は、別の結論を弾き出していた。
(リュミエラ。個体識別番号01。この村における唯一の『広域治癒リソース』。彼女の完全な機能停止は、長期的な生存確率を40パーセント低下させる。……ここで使い捨てるには、コストパフォーマンスが悪すぎる)
アルトの右手が、ゆっくりと持ち上がる。
指先が集約するのは、破壊のための魔力ではない。かといって、リュミエラが使っていたような、祈りを伴う慈悲の光でもない。
(術式展開。構成要素の組み換え。……対象の魔力回路を物理的に『叩き起こす』。……ヒールバレット、一点集中、出力300パーセント)
それは、医療という名の暴力だった。
通常のヒールバレットが外傷を癒やすための弾丸であるなら、今アルトが構築しているのは、心臓が止まった者に電気ショックを与えるような、荒療治のための「起爆弾」だ。
「……っ!」
アルトの指先から、鋭い白光が放たれた。
それは吸い込まれるようにリュミエラの胸元――魔力回路の中枢へと着弾する。
ドクン、と。
リュミエラの身体が大きく跳ねた。
「あ……が、はぁっ!?」
肺に無理やり空気が流し込まれ、停止しかけていた魔力の循環が、強引な外部圧力によって回転を始める。
それは「癒やし」というにはあまりに激しい衝撃だった。焼き切れた回路に無理やり魔力を流し込み、半ば強引にバイパスを形成する。
リュミエラの瞳に、一気に色が戻った。
焦点が合い、目の前にいるアルトの姿を捉える。
「……アルト……さん……? 私……」
「喋るな。酸素消費を抑えろ」
アルトは彼女の肩を掴み、無理やりその場に座らせた。
彼の瞳は、依然として彼女の状態を数値としてスキャンし続けている。
「ヒールバレットによる強制起動だ。一時間の稼働を担保したが、その後は三日の反動が来る。……文句があるなら後で聞く」
リュミエラは、自分の内側から湧き上がる「異質な熱」に戸惑っていた。
それは、自分が神に祈って得ていた柔らかな光ではない。もっと鋭く、冷たく、それでいて揺るぎない「力」だ。
「……乱暴、ですね。本当に……」
「効率の結果だ」
アルトは立ち上がり、彼女から視線を外した。
教会の外では、魔物の咆哮が一段と大きくなっている。
第二ラインでの迎撃は続いているが、敵の物量は依然として計算上の上限に近い。
「リュミエラ。お前の理想が『誰も見捨てない』ことなら、その『弾丸』で証明してみせろ」
アルトは出口へ向かいながら、背中で告げた。
「俺が外で道を拓く。お前は中で、その拓いた道を繋ぎ止めろ。……一分だ。一分後、俺が敵の先鋒を誘導する。そこに合わせて、お前の最大出力を叩き込め」
リュミエラは、震える手で杖を握り直した。
全身を突き抜ける痛みを、アルトから与えられた「強制的な熱」が上書きしていく。
(……冷たい。この人の手は、驚くほど冷たい。……でも)
その冷たさが、今の彼女には何よりも頼もしかった。
感情を捨てた合理の果てに、この男は「自分を見捨てる」という選択肢を、計算式から排除してくれたのだ。
「……はい、ミスター・ロジック」
リュミエラは立ち上がった。
足元はまだおぼつかない。だが、その瞳には昨日までの「迷い」は消えていた。
「『最適化』された結果がどうなるか……見せてあげます」
教会の外。
アルト・フェルディスは、闇の向こうから押し寄せる魔物の波を、ただ一つの「障害」として見据える。
(リュミエラの復帰、完了。戦線維持能力、150パーセントに上方修正。……さあ、チェックメイトだ)
アルトの手に、三種のバレットが同時に装填される。
崩壊寸前の村に、今、逆転の号砲が響き渡ろうとしていた。




