表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/70

タイトル未定2026/05/05 11:13

55話:正しさの重さ


数は、揃っていた。


仮設の指揮所に広げられた羊皮紙。そこに並べられた無機質な数字の羅列は、誰の目にも疑いようのない「勝利」を証明していた。中央街道――主戦場における生存率。戦線維持の総時間。敵主力の撃破数。そして、防衛側の損耗率。


「――おーい、みんな! 見てくれよ、この素晴らしいスコア! 僕の計算機が弾き出した通りの、最高にハッピーな結果だね!」


アルト・フェルディスの声は、依然として明るく、気さくだった。彼はいつものように朗らかな手つきで報告書をトントンと叩き、周囲の兵士たちに眩しい笑顔を向ける。


「中央戦線の生存率、驚異の八割超え! あはは、僕の『振り分け』に従ってくれたおかげだね。みんな、本当によくやってくれた。最高のパフォーマンスだよ!」


エルディアが腕を組み、冷徹な視線でその数字をなぞる。

「……確定だな。中央は守られた。戦線の再編も即座に可能だ」

感情を排した、純粋な戦力評価。


アンジェリカもその横で、一枚の紙をじっと見つめていた。その瞳には、かつてのような傲慢さはなく、ただ圧倒的な「正解」を突きつけられた者の困惑と納得が混在している。

「……完璧ね。否定する余地が一分子も見当たらないわ」

絞り出すような言葉。それは、アルトの導き出した構造が、この状況下における「唯一の正義」であったことへの、完全な敗北宣言でもあった。


アルトの判断は、正しかった。

客観的に。

物理的に。

論理的に。


「さて、次のページも確認しておこうか。こっちは……うん、予測通り。他戦線は『壊滅』だね。生存率ゼロパーセント。うん、効率的な資源集中リソース・カットの結果だ。大成功だよ!」


アルトは屈託なく笑い、ページをめくる。

そこには、彼が切り捨てた場所の記録があった。北東、南西、外縁。

かつて村があり、人が住み、生活があった場所。

それが今は、ただの「ゼロ」という数字に置き換えられている。


「……全体で見れば、大幅なプラスだ。最小の犠牲で最大の成果を得た。あはは、これ以上の『正解』なんて、神様でも書けないんじゃないかな!」


アルトの声が指揮所に響く。

誰も、何も言わない。

言えるはずがなかった。

「プラス」という言葉の裏側に、どれだけの「マイナス」が埋められているのか。それを最も理解しているのは、この数字を書き上げたアルト自身なのだから。


リュミエラは、少し離れた影の中に立っていた。

彼女の手元には、報告書も数字もない。

だが、アルトの明るい声が、残酷なまでの「正しさ」を彼女の脳裏に刻み込んでいた。


「……」


理解はできている。

頭の中では、アルトの言う通りだと分かっている。

彼が中央を守らなければ、もっと多くの命が消えていた。

彼が冷酷に切り捨てたからこそ、今、自分の目の前で安堵の息を漏らしている兵士たちがいる。


「……どうして」


小さく、掠れた声が漏れた。

誰に届くでもない、独り言。


「……どうして……こんなに、息ができないの……」


勝った。

村は残った。

大勢が救われた。

それは、ハッピーエンドのはずだった。


だが、彼女の胸の奥を支配しているのは、救われた喜びではなく、泥のように重く冷たい「正義」への嫌悪だった。


アルトは、すでに地図を広げ、次の配置を検討し始めている。

「さて! 勝利の余韻に浸るのもいいけど、再編作業を始めようか。次は土属性の君たちをここに振り分けて、新しい防壁を――」

彼の思考は、一分子の停滞もなく「未来」へと向かっている。

過去を悔やむ時間は、彼にとっては不合理な損失でしかない。


「……正しい」


リュミエラが、震える唇で呟いた。


「……アルトさんは、正しいんですよね……。誰も、間違っていない。……そうでしょう?」


その問いに、エルディアが視線だけを向けた。

「そうだ。結果が出ている。アルトの判断がなければ、今ここには死体しかない。……それが現実だ」


「……分かってます」


リュミエラは、ゆっくりと頷いた。

理解している。

完全に。

頭では、もう受け入れているのだ。

アルト・フェルディスという男が、誰よりも「正しかった」ことを。


「……でも。……もう、無理です」


その言葉が、空気に落ちた。

アルトは、地図を見つめたまま動かない。

背中は、揺れない。


リュミエラは、一歩。

ゆっくりと、後ろへ下がった。


「……どこへ行く、聖女」

エルディアの声が、彼女の足を止めようとする。


リュミエラは、答えない。

また一歩、距離を置く。

アルトは、振り返らない。

彼女が「リソース」として機能しなくなったのであれば、今の彼にとって、彼女を追いかけることは合理的ではない。


リュミエラは、最後にもう一度だけ、その背中を見た。

明るく、陽気に、兵士たちを鼓舞し、次の勝利を組み立てる、合理の支配者。

その背中は、あまりにも高潔で、あまりにも残酷だった。


「……ごめんなさい」


誰に、何に対しての謝罪なのか。

自分でも分からないまま、彼女はその言葉を残した。


アルトは、反応しない。

指示を飛ばす声が、止まることはない。


リュミエラは、背を向けた。

歩き出す。

ゆっくりと。

戦場から。

勝利の歓喜から。

そして、アルトが作り上げた「正しい世界」から。


誰も、止めなかった。

止める理由が、どこにもなかったからだ。


アンジェリカは、わずかに唇を噛み、彼女の背中を見送った。

その瞳には、哀れみと、そして同じ「正しさ」に縛られた者としての羨望が混じっていた。


アルトは、淡々と次の座標を指し示した。

「中央の瓦礫撤去を優先して。一分子の無駄も出さないようにね。ハイッ、移動!」


陽気な声。

気さくな采配。

徹底した振り分け。


リュミエラの姿は、次第に小さくなっていく。

彼女は、正しさという名の重圧に耐えきれず、その場所を去った。

後に残されたのは、完璧に守られた中央街道と、そこにある冷徹な勝利の事実だけ。


風が吹く。

戦場の匂いを連れ、遠ざかる少女の髪を揺らす。


正しさは、証明された。

だが、その重さを受け止めきれるほど、彼女の心は機械にはなれなかった。


アルト・フェルディスは、一度も振り返ることなく、次なる「最高の結果」を求めて計算を続けていた。


第55話、正しさの重さ。

勝利の光が差す荒野で、少女はただ一人、その光の冷たさから逃れるように、闇の向こうへと消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ