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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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50話:沈黙

中央街道を舞台にした「死の演目」は、いよいよその佳境を迎えようとしていた。


地平線を埋め尽くす黒い津波。魔物たちの咆哮はもはや個々の声ではなく、世界を震わせる単一の重低音となって鼓膜を揺さぶり続けている。だが、その圧倒的な暴力の前にあっても、アルト・フェルディスが敷いた防衛線は、薄い氷の一枚すら張っていないかのように静かに、そして強固に維持されていた。


「やあ、みんな! 良い動きだね。身体が温まってきたかい? さあ、ここからが一番の踏ん張りどころだ。リズムを乱さず、軽やかにいこう!」


アルトの声は、この世のものとは思えないほど朗らかだ。指揮台の上に立つ彼は、血と泥にまみれた戦場を、まるで晴天の広場で行われる収穫祭か何かのように扱い、一分子の淀みもなく指示を飛ばし続ける。


「左の君たち、圧が強くなってるよ! 踏ん張らなくていい、半歩下げて『逃がして』あげて! 押し返そうとすると疲れちゃうからね。そう、その調子。完璧だ!」


アルトの快活な指示が飛ぶたび、兵士たちの動きから「迷い」という名の余分な摩擦が消えていく。彼らはもはや自分で考えることをやめ、アルトという名の巨大な演算回路に身を委ね、ただ「機能」として動き続けている。


「中央二列目、おっと、足元が崩れそうだ! 土属性の君、盛り土一丁お願い! はい、ナイス。重心がズレたところに……槍のプレゼントだ! 景気よくいこう!」


アルトが指先を鳴らすと、物理法則をなぞるように土が盛り上がり、魔物の突進を空転させる。そこに、機械的な正確さで槍が一斉に突き入れられる。


崩れない。

崩させない。

アルト・フェルディスが笑っている限り、この戦場に「死」という名のエラーが入り込む余地はない。


上空では、黒い影が執拗に旋回を繰り返している。


「あはは、上のお客さんも諦めが悪いね! 歓迎してあげよう。光属性、僕の合図で……ハイッ、射的の時間だよ!」


アルトの右手が、見えないタクトを振る。

光が走る。

それは拡散することなく、レーザーのように細く、速く、無駄なエネルギーを一分子も垂れ流さずに魔物の翼を正確に貫く。

風が巻く。

墜落していく個体が、後続の飛行軌道を歪める。

バサバサと、巨大な鳥たちがゴミのように地面へ叩きつけられていく。


「……いい流れだね。魔力の循環もバッチリ。みんな、最高にハッピーな仕事ぶりだよ!」


アルトの呼吸は、驚くほど整っている。

彼はただ、そこに「ある」情報を処理し、最適な命令へと「振り分けて」いるだけだ。彼の内側で、戦場は完全に閉じたシステムとして完成していた。


その光景を。

その後方で、リュミエラは立ち尽くして見ていた。


動かない。

動けない。

彼女の視界には、整然と維持される「生」の領域と、その影で完全に切り捨てられた「死」の空白が、同時に焼き付いていた。


「……」


リュミエラは、何かを言おうと口を開く。

だが、言葉が出てこない。

さっきまで、あれほど激しく、あれほど必死にアルトにぶつけていた叫びが、今はどこにも見当たらない。喉の奥が砂漠のように乾き、感情という名のリソースが、空っぽになった水槽のように干からびている。


沈黙。


それは、彼女が「合理」の前に完全に敗北したことを示す音だった。


「……」


目を閉じる。

だが、暗闇の中にこそ、あの声が響いている気がした。

届かないと分かっていながら、通信石を握りしめ、あるいは空を仰いで助けを呼んでいた名もなき人々の、最後の残響。

アルトが「ノイズ」として切り捨てた、あの断絶された戦場。


「……っ」


呼吸が浅くなる。

心臓が不規則に脈打ち、胸の奥が締め付けられる。

だが、それは以前のような「怒り」ではない。

もっと暗く、もっと深い、形容しがたい欠落感。

自分の中の大事な何かが、アルトの引いた「切断線」に沿って、綺麗に切り落とされてしまったような感覚。


「……」


目を開けると、そこには依然として、朗らかに笑いながら世界を支配するアルトの背中があった。

揺れない。

一切。

そこには「迷い」という名の人間の弱さは存在しない。

ただ、勝利という名の結果を、一分子の無駄もなく積み上げ続ける巨大な「正解」だけがそこにある。


「……」


一歩、前へ出ようとする。

だが、足に力が入らない。

身体が、脳からの命令を拒否している。

あんなに人を助けたいと願っていた自分の身体が、今は戦場という巨大な機構の「ノイズ」にならないよう、沈黙を貫くことを選んでいる。


エルディアが、横を風のように通り過ぎ、魔物を一閃する。

無駄のない動き。感情の乗らない刃。

彼女は、アルトの描く「勝利の絵」の一部として、完璧に機能している。


アンジェリカは、少し離れた場所で魔法を放っている。

その瞳は、以前のような傲慢な輝きを失い、かといってリュミエラのような絶望に染まっているわけでもない。

ただ、自分たちの存在そのものが、アルトという男の「合理」によって再定義されてしまったことを、無言のまま受け入れているように見えた。


「……」


リュミエラは、何もできない。

ただ、そこに立っている。

戦場という名の極限状態の中で、彼女だけが役割を持たず、動けず、言葉を失い、ただの「空白」として佇んでいる。


「……ヒール」


ようやく絞り出した声は、風にさらわれて消えるほど微かだった。

震える手を上げる。

指先に淡い光が集まろうとする。

だが――。


「……」


光は集まらない。

止まってしまう。

誰を救えばいい?

誰に魔力を使えばいい?

アルトが決めた「優先順位」の外側にいる人間は、救うに値しないのか?

では、内側にいる人間だけを救うことは、本当に「救済」と呼べるのか?


判断が、できない。


「……」


光が、頼りなくこぼれ落ち、泥の中に溶けて消えた。

何も、できない。

それが自分という存在の現在地であることを、彼女は冷酷に突きつけられていた。


アルトは、振り返らない。

彼女の状態を確認することもしない。

必要がないからだ。

彼にとって、リュミエラは「使える時に使う最高のリソース」であり、それが機能停止している今は、単に計算式から外されているだけに過ぎない。

使えるか、使えないか。

彼の「気さくな選別」には、その二択しかない。


戦場は、なおも喧騒を極めている。

鉄が軋む音。魔物の絶命の叫び。兵士たちの呼吸音。魔法の爆ぜる音。

その情報の大洪水の中で。


リュミエラだけが、静止した時間に閉じ込められていた。

周囲がどれほど激しく動こうとも、彼女の中だけが凍りついたまま。


「……」


大粒の涙が、頬を伝って落ちる。

静かに。

音もなく。

一滴、また一滴。


それはアルトへの怒りでもなく、死にゆく人々への弔いでもない。

ただ、何もできない自分自身への、救いようのない絶望。


彼女の沈黙は、叫びよりも深く、暗い。


拭うことも、声を上げることも忘れたまま。

リュミエラは、ただ泣いていた。

合理の男が陽気にタクトを振る、その完璧な「勝利」の真っ只中で。


第50話、沈黙。

少女の心は、合理という名の冷たい刃に切り裂かれ、言葉のない深淵へと沈んでいった。

戦場は続く。勝利も、敗北も、等しく無機質な結果として積み上がり続けていく。

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