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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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47話:切断

夜の終わりが近づいている。しかし、立ち込める戦火の煙と押し寄せる魔物の軍勢が、空から一切の光を奪い去っていた。


指揮所の中央、広げられた地図を囲む空気は、もはや緊張を通り越し、不気味なほどに凪いでいた。全員が、アルト・フェルディスという男の指先に視線を注いでいる。その指先ひとつで、何千という命の「行き先」が振り分けられていくからだ。


その時だった。


「――助けて」


かすかな、しかしあまりにも純度の高い絶望を含んだ声が、指揮所の外から、あるいは遠くの風に乗って届いた。通信石が拾い上げたノイズの混じった救援要請か、それとも極限状態の誰かが放った精神感応テレパスか。


「……っ」


リュミエラの肩が、激しく跳ねた。彼女の耳には、その声が雷鳴よりも大きく響いていた。


「……聞こえませんか……?」


リュミエラが、這いずるような声で問いかける。その視線は、地図の上で軽やかにペンを走らせるアルトの横顔に向けられていた。


アルトは、顔を上げない。


彼はいつものように、どこか楽しげですらある足取りで地図の周りを歩き、中央街道の防衛線をなぞっていた。避難民の誘導速度、地形を利用した伏兵の配置、魔力砲の冷却時間。その全てを、彼は最高にハッピーな「勝利のパズル」として組み立てている最中だった。


「あはは、聞こえてるよ、リュミエラちゃん! バッチリ、ステレオ放送みたいにね!」


アルトは朗らかに笑った。その声には一分子の曇りもない。まるで親しい友人の冗談に応じるかのような、気さくな響き。


「なら――!」


リュミエラが、希望を見出したように一歩踏み出す。


「――だから、無視する」


アルトの言葉が、その希望を根元から叩き折った。


空気が、一瞬で凍りつく。


「……え? 今、なんて……」


「救援要請は、全部受けない。あはは、ごめんね! でも、これが僕の決めたルールなんだ」


アルトは屈託のない笑顔を向けた。だが、その瞳の奥にある演算回路は、情念を一切通さない絶対的な防壁を築いている。


「通信も、伝令も、この瞬間を以て全部遮断する。名付けて『情報切断インフォメーション・カット』! 届いても意味がない情報は、ただのノイズだからね。僕の綺麗な計算式を汚しちゃうんだ」


「そんな……!」


リュミエラの顔から血の気が引いていく。


「まだ、そこに生きてる人がいるんです! 助けを呼んでる人が……!」


「いるだろうな。いや、間違いなくいるよ!」


アルトは即答した。それも、最高に明るい肯定として。


「だから無視するんだ。いいかい、リュミエラちゃん。君の優しさは最高だけど、今はそれが一番の毒なんだよ。届かない声を拾おうとして耳を澄ませば、目の前で救えるはずの人の声が聞こえなくなっちゃう。それは『不合理』だよね?」


アルトは机の上の通信石を、ポイッとゴミ箱に放り投げた。


「切断する。これはね、みんなを救うための『集中』なんだ」


その時、再び声が届いた気がした。


「……誰か……助けて……」


幻聴かもしれない。だが、リュミエラにとっては、それがこの世の何よりも重い真実だった。目を閉じれば、血に濡れた手で空を仰ぎ、ただ一縷の望みを抱いて消えていく誰かの姿が、鮮明に浮かんでしまう。


「……やめて……」


小さく、呻く。


「……やめてください……聞こえてるのに、知ってるのに……そんなの……」


リュミエラの膝が、ガクガクと震え始める。自分の心が、その重圧に耐えきれず、ミシミシと音を立てて軋んでいく。


「……やめて……!」


今度は、はっきりと。絶叫に近い声が、指揮所に響き渡った。


「やめてください……! 無視なんて……見殺しにするなんて……そんなこと、私には……」


涙が、あふれて止まらない。


「できません……私には、無理です……!」


アルトは、ようやく顔を上げた。


彼はリュミエラの前に、いつものように気さくな足取りで歩み寄る。そして、彼女の瞳を真っ直ぐに、陽気に覗き込んだ。


「できなくても、やるんだよ。リュミエラちゃん」


静かに。しかし、逆らえない重力を伴った声。


「やらないと、ここにいる全員が死んじゃう。僕のタクトに合わせて、みんなでハッピーに生き残る。そのために、君は『聞こえないフリ』をする役割なんだ。ほら、簡単だろ?」


「簡単じゃない……! ひとつも、簡単じゃないです……!」


リュミエラは言葉を失い、崩れ落ちるようにその場に蹲った。


アンジェリカが、横で小さく、痛ましげに息を吐いた。彼女は誇り高き貴族だ。弱者を見捨てる屈辱は、誰よりも理解している。だが、彼女はアルトの隣に立つことを選んだ。この男の冷徹な合理が、唯一の「生」への道だと理解してしまったからだ。


エルディアは、腕を組んだまま動かない。彼女は、戦場がそういう場所であることを、最初から知っていた。


アルトは、再び地図へと戻った。


「主戦場は中央街道! ここに全リソースを一点投下するよ! さあ、みんな、景気よく動こうじゃないか!」


アルトは駒を動かし、他の地点の駒を無慈悲に、そして明るく払い落とした。


「全部は救わない。勝つために切る。これが僕の『振り分け』だ!」


その瞬間、遠くの声が、ふっと途切れた。


リュミエラは、震える自分の手を見つめる。その手は、届くはずのない誰かの手を、永久に放してしまったのだ。


「……あ……」


声が出ない。ただ、涙だけが地面に落ち、小さな染みを作っていく。


アルトは、もう彼女を見ていない。

すでに次の手、次の配置、次の勝利へと向かって、陽気に歌うように指示を飛ばしている。


戦線は、完全に切断された。

助けを求める声は、彼の築いた「合理の壁」に跳ね返され、虚空へと消えていく。


それが、アルト・フェルディスが選んだ「生存の形」。

それが、一分子の無駄も許さない、最強の構造。


リュミエラの中で、何かが、修復不可能な音を立てて崩れ去った。

それでも、アルトのタクトは止まらない。


「さあ! 夜明けまでに完璧な布陣を完成させるよ! みんな、僕の合図で動いてくれ!」


合理の支配者が笑う。

地獄のような静寂の中、勝利という名の冷酷な手順だけが、狂ったように加速していた。


第47話、切断。

切り捨てられた命の数だけ、中央街道の鉄壁は、より冷たく、より強固に、その全貌を現そうとしていた。

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