44話:選択圧
音が、止まらない。
伝令の足音、叫び声、金属のぶつかる音。指揮所は混沌の坩堝と化していた。地図の上に置かれた駒は、次々に動かされ、外され、叩き落とされる。そのひとつひとつが、部隊であり、人命であり、防衛線だ。
「やあ、みんな! 随分と賑やかだね。活気があるのはいいことだけど、少しだけ僕に声を貸してくれるかな!」
絶望的な報告が飛び交う中、アルト・フェルディスがひょいと手を挙げて現れた。彼はいつものように明るい足取りで、情報の濁流の中へと分け入っていく。
「北東第三集落、敵数三百! 持久限界まで残り十分! 南西監視拠点、上空から襲撃あり! 撤退不能!」
「了解、了解! 伝令君、全力疾走お疲れ様! 肺に空気が足りてないよ、ほら、深呼吸、ハイッ!」
アルトは血相を変えて報告する兵士の肩をポンと叩くと、気さくな、しかし一点の曇りもない笑顔を向けた。その瞳は陽気に輝いているが、網膜の奥では、届いた情報が瞬時に構造化され、冷徹な数式へと変換されていく。
「さて! 楽しい『仕分け』の時間だ。リソースは有限、時間は貴重。一分子の無駄も出さないように、最高にハッピーな配置を決めちゃおうか!」
アルトは地図の上に指を置いた。その動きは軽やかで、まるでチェスの初手を指すかのような気軽さだ。
「北東第三集落。距離二キロ、侵攻速度から逆算……うん、もう内部に侵入されてるね。防壁半壊なら、今の生存率は二割を切るかな」
アルトは駒をひとつ、指先で弾いた。
コロン、と乾いた音を立てて、駒が机の下に落ちる。
「ここは『切り』だ。さようなら!」
「……っ、今、なんて……」
リュミエラが、息を止めてアルトを見つめる。
「ここは捨てる、ってことだよ。今の戦力で助けに行っても、到着する頃には全滅してる。二兎を追う者は一兎をも得ず、だね!」
アルトは朗らかに言い切り、すぐさま次の地点に指を移した。
「南西第四拠点。上空制圧済みで対空兵器なし。撤退不能なら、一〇〇パーセント壊滅確定。……うん、ここも『切り』だね!」
またひとつ、駒が弾き飛ばされる。
リュミエラが、悲鳴のような声を上げて一歩踏み出した。
「待ってください、アルトさん! そんな……そんな風に、簡単に捨てちゃうんですか!? そこで待っている人たちがいるのに!」
「リュミエラちゃん、そんな怖い顔しないで! 簡単に捨ててるわけじゃないよ、最高に効率的な『振り分け』をしてるだけさ!」
アルトはひらひらと手を振って、おどけるように笑った。
「いいかい、みんな。全部を救おうとすると、全部が共倒れになっちゃうんだ。それは『不合理』だよね? 僕の仕事は、救える場所だけを確実に残して、救えない場所は速やかに整理すること。そうすることで、残った命の価値を最大化してあげるんだ!」
「……人を、数で、構造で見てるんですか……?」
リュミエラの声が低く沈む。アルトは初めて視線を彼女に向け、気さくに、だが決定的な重みを込めて頷いた。
「そうだよ、リュミエラちゃん! 構造を見ないで何を見るんだい? 感情で動いても、失われた命は戻ってこない。でも、僕のタクトに合わせて動けば、次の命は確実に繋がる。ほら、どっちがハッピーかな?」
「……そんなの……っ」
リュミエラが言葉を失う横で、エルディアが低く呟いた。
「……正しいな。迷えば全員死ぬ。アルト、采配を続けろ」
アンジェリカは何も言わず、ただ、落ちた駒と残された駒の境界線をじっと見つめていた。公爵令嬢としての矜持が、アルトの無慈悲なまでの合理に、戦慄しながらも屈服し始めている。
「よし、決まりだ! 中央街道は死守するよ。ここは避難民という名の大事なリソースが滞留してるからね。ここを起点に戦線を再構築しちゃうから、みんな準備はいいかい!」
アルトはパンと手を叩き、周囲の兵士たちに明るく指示を飛ばし始めた。
「土属性の君たちは壁の増設! 風属性の君たちは索敵範囲を倍に! 光属性の君たちは夜間視界の確保! ほらほら、足が止まってるぞ。僕の『流れ』に乗って、景気よく動こうじゃないか!」
アルトの指示に、兵士たちが吸い込まれるように動き出す。
何を守り、何を捨てるか。その残酷な決断が「陽気な肯定」として下されたことで、現場から迷いが消え、凍りついていた空気が再び爆発的な熱量を伴って回り始める。
「……ここは捨てる」
最後にもう一度、アルトは地図の空白部分を見つめてそう呟いた。
その声に湿っぽさはない。ただ、次の手順を確認するような、乾いた清潔さがあるだけだ。
リュミエラは、動けないまま立ち尽くしていた。
目の前で、生と死が、まるで工場の検品作業のように仕分けられていく。
アルト・フェルディスという男。
その明るい笑顔の裏側にある、底なしの「合理」。
世界が切り分けられ、命が選別されていく。
それが、彼が提示した唯一の「生存戦略」だった。
第44話、選択圧。
合理の男が笑った瞬間、戦場は救済の場から、冷徹な「計算」の舞台へと変貌を遂げていた。




