4話:戦闘開始
夜の帳が下りた辺境の村は、死の静寂に支配されていた。
アルト・フェルディスは、村の境界線に引いた防衛第一ラインに立ち、闇の深淵を見据えていた。彼の網膜には、鑑定スキルが弾き出した膨大な数値がオーバーレイされている。
風向、秒速2メートル。視界、前方15メートルまで有効。敵個体識別、オーク、ゴブリン、及び低位魔獣の混成。総数、推定40以上。
(リソース配分、再計算。村人の持久力は残り120分。弾薬――即ち魔力保有量は、俺のバックアップを含めても予断を許さない)
「アルト様、敵が……来ます!」
傍らに立つ村人の一人が、声を震わせた。
「黙れ。呼吸を乱せばそれだけで酸素消費量が増え、筋肉の反応速度が落ちる。指示があるまで心拍数を一定に保て」
アルトの声は、氷のように冷たく、そして絶対的な静止を求めた。
森の奥から、獣の咆哮が地を這うように響いてきた。まず現れたのは、斥候代わりのゴブリンの一団だ。
「弓兵、3番から5番。仰角15度。放て」
アルトの合図と共に、見張り台から数本の矢が放たれた。無秩序な乱れ打ちではない。アルトが事前に指定した「キルゾーン」へと誘導するための精密な制圧射撃だ。
魔物たちが悲鳴を上げ、足をもつれさせる。
「罠発動。2層目だ」
地面が陥没し、鋭い杭が魔物の肉を貫く。だが、アルトはそれを見ても眉一つ動かさない。
「戦果に酔うな。今のダメージは全体の5パーセントに過ぎない。本隊が来る。近接班、盾を重ねろ。衝撃を点で受けるな、面で分散させろ」
一方、後方の教会前では、リュミエラが限界に近い戦いを強いられていた。
運ばれてくる負傷者は、アルトの指示に従って「最低限の被弾」に抑えられている者ばかりだったが、それでも数は多い。リュミエラの額からは、滝のような汗が流れ落ちていた。
「次の方……早く!」
彼女の手から放たれる癒やしの光は、昨日に比べれば格段に密度が増していた。アルトに叩き込まれた「効率」を、彼女は無意識に実践し始めていた。
(無駄を削る。傷口の、中心だけを……。広げない。魔力を、弾丸のように……!)
だが、リュミエラの視界は刻一刻と狭まっていく。
「リュミエラ様、もうお止めください! あなたまで倒れてしまう!」
手伝いの女性が叫ぶが、リュミエラは首を振った。
「私が止めれば、前線が崩れます。あの方が……アルトさんが守ってくれている場所を、私が失わせるわけにはいかない……!」
その時、戦場の空気が一変した。
森の奥から、これまでの雑兵とは比較にならない質量の圧力が押し寄せてきた。
「……上位種か」
アルトが呟く。
現れたのは、三体の大鴉と、それらに跨る武装したオークの精鋭。
「後続、20以上追加。……ふむ、群れ全体の『意志』を感じるな。統率個体がいる」
アルトは右手を天に掲げた。
「全ユニット、第二ラインまで後退。これより、俺が直接介入する」
「アルト様!? 一人でやるおつもりですか!」
「計算上、今の君たちがこれと当たれば生存率は12パーセントまで低下する。効率が悪い」
アルトは歩き出す。魔物の群れに向かって、たった一人で。
彼の体内で、魔力循環が臨界点まで加速した。
「術式展開。バレット・マニピュレータ、起動」
アルトの背後に、数十、数百という極小の魔法陣が展開される。それはまるで、機械仕掛けの翼のように夜闇に浮かび上がった。
「ヒールバレット、待機。ピュリフィケーションバレット、充填。ホーリーバレット、並列装填」
彼はリュミエラの「浄化」と「癒やし」の力を、攻撃へと転換する。
「不浄なるものへの、物理的干渉。――掃射」
指先から放たれたのは、光の奔流だった。
だがそれは、無秩序なレーザーではない。一発一発が敵の眉間、心臓、関節を正確に狙い撃つ「死の演算結果」だ。
空を飛ぶ大鴉が、ホーリーバレットによって翼を焼き切られ、地上へと墜落する。
突進するオークの心臓を、ピュリフィケーションバレットが貫き、その内側から魔力を霧散させていく。
「な、なんだ……あの威力は……」
後退した村人たちは、ただ呆然と立ち尽くした。
一人の男が、戦場を「掃掃」している。
そこにあるのは戦いではなく、ただの整理作業だった。
だが、アルトの表情は険しい。
(魔力消費率、上昇。敵の補充速度が、こちらの殲滅速度に追いつきつつある。……統率個体の位置を特定せねば、ジリ貧だな)
アルトは戦場の真っ只中で、静かに目を閉じた。
周囲を舞うバレットたちが、レーダーのように魔力の波形を拾い集める。
「……見つけた。座標、110-45。森の影か」
彼は一気に地を蹴った。
魔力の反動を利用した高速移動。
「リュミエラ、聞こえるか」
通信魔法など使っていない。ただの肉声だが、魔力を乗せたその声は、教会のリュミエラの耳に届いた。
「あと三分で、敵の本隊を叩く。それまで、残存リソースをすべて維持に回せ。一人も死なせるな。……できるな?」
リュミエラは、震える足で立ち上がった。
「……ええ。お任せください、合理の男!」
彼女の瞳に、不屈の輝きが戻る。
アルト・フェルディスは、闇の奥に潜む「敵の核」へと、最強の弾丸となって突っ込んでいった。
第4話、戦闘開始。
夜は、まだ始まったばかりだ。




