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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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32話:論争

教会の石壁に反射する夕日は、血のような茜色から、次第に深い紫へと沈み込もうとしていた。


ワイバーン襲来による惨劇は、物理的な破壊以上に、この場に集う者たちの精神を鋭く削り取っている。救われた命の安堵と、失われた命への慟哭。その濁流の中心で、二つの強い意志が真っ向から衝突していた。


アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイアは、公爵令嬢としての気品を纏いながらも、その瞳には戦場を支配する者の冷徹な光を宿している。

対するリュミエラは、癒やしの光を放ち続けた手で、自らの清廉な理想を必死に繋ぎ止めようとしていた。


「……もう一度言うわ。選ばなければ、全員死ぬのよ」


アンジェリカの言葉は、教会の高い天井に反響し、重い質量となって降り注ぐ。

彼女は一歩、リュミエラとの距離を詰める。絹のドレスが擦れる音さえ、処刑人の足音のように冷たく響いた。


「戦場において、慈悲とは最も高価で、かつ最も無益な嗜好品よ。リソースは有限。時間は非情。その中で最大の結果を残すためには、切り捨てる覚悟が必要なの。救うために切る。それが人の上に立つ者の、そして力を振るう者の“責任”よ」


アンジェリカの瞳は、真っ直ぐにリュミエラを射抜いている。

そこに一点の曇りもない。彼女は、自らが選別し、切り捨ててきた命の重みをすべて理解した上で、その業を誇り高く背負っている。それが「支配者の正しさ」だった。


リュミエラは、震える膝を必死に支えて立ち尽くしていた。

アンジェリカの正論は、先ほど彼女が直面した「現実」そのものだ。一人を救い、一人を死なせた。その事実に、反論の余地はないはずだった。


「……それは、切り捨てる理由にはなりません」


だが、リュミエラの口から漏れたのは、拒絶の言葉だった。

彼女は顔を上げ、アンジェリカの威圧感に抗うように一歩踏み出す。


「目の前にいる人を、見てください。その一人ひとりには、家族がいて、守りたかった明日があるんです。助けられる可能性があるなら、最後まで抗うべきです。全員を救う可能性を、最初から捨てるなんて……それは、冷たすぎます」


「理想ね」


アンジェリカは、鼻で笑うことさえせず、ただ事実を突きつけた。


「その“全員”の中に、現在の術式と魔力量では物理的に救えない者が含まれている。それを理解している? あなたが理想に溺れている一秒の間に、確実に救えたはずの命が、あなたの指の間から零れ落ちていく。その結果を、あなたは直視できるの?」


「……それでも!」


リュミエラの声が、悲鳴のように響く。


「切り捨てるのが当然だなんて、そんなこと、認めたくありません! 私は、最後まで……全員を助けたいんです」


「なら、最後まで背負いなさい。その身勝手な理想が招いた『死』のすべてを」


アンジェリカの声音が一段と低くなる。それは、甘えを許さない断罪の声だった。


「選ぶことを拒否し、全員を救おうとして失敗するのは、ただの無能よ。あなたは選ぶことから逃げることで、救えなかった責任を曖昧にしているだけ。選んで、失って、血を流して。それでもなお、明日を掴むために立ち続ける。それができない者に、この戦場に立つ資格はないわ」


教会の空気が、物理的な圧力を伴って軋む。

アンジェリカの言う「責任」と、リュミエラの言う「救済」。

一方は現実の地獄を見据え、一方は理想の天を見上げる。

どちらも、誰かの命を繋ぎたいという根源的な目的は同じはずなのに、その「手順」は決定的に食い違っていた。


少し離れた壁際。

アルト・フェルディスは腕を組み、その論争を無感情に観測していた。

鑑定スキルの視界には、二人の精神状態が波形となって表示されている。


(アンジェリカの論理は、既存の社会システムを維持するための最適解。リュミエラの主張は、システムの限界を超えようとする不確定な希望。……両者の衝突は、現在のフェーズにおいて避けては通れない摩擦ノイズだ)


アルトは介入しない。

彼にとって、この論争そのものが、彼女たちの性能を引き出すための「調整キャリブレーション」に過ぎなかった。


アンジェリカは、黙り込んだリュミエラを最後に見据え、言い切った。


「誇りを持って選びなさい。それができないなら、あなたは誰も救えないわ」


その言葉を最後に、アンジェリカは踵を返した。

彼女の背中には、一切の迷いがない。


リュミエラは、血と涙に汚れた自らの掌をじっと見つめていた。

アンジェリカに言われた通り、自分はまだ弱い。

一人を救うために一人を諦める覚悟も、全員を救い切るほどの圧倒的な力もない。


「……私は」


小さく、掠れた声がこぼれる。


「それでも、救います」


その呟きは、誰にも届かなかったかもしれない。

だが、その瞳に宿った火は、アンジェリカの冷徹な正論に焼かれて消えるどころか、より深く、静かな熱を持って燃え始めていた。


アルトは目を閉じ、二人から放たれる熱量の余波を感じ取った。


(……アンジェリカは、切り捨てることに慣れすぎている。リュミエラは、拾い上げることに固執しすぎている。……どちらも、まだ不完全だ)


論争に決着はつかなかった。

だが、辺境の村という過酷な実験場において、二つの異なる正しさは、互いを削り合い、磨き合うことで、より巨大な「解」へと辿り着こうとしていた。


第32話、論争。

合理の男が見守る中で、少女たちの魂は、夜の闇を突き抜けるための新しい形を模索し始めていた。

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