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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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30話:現実の理解

教会の中、立ち込める血の匂いと硝煙の残滓は、先ほどまでの「勝利」という言葉がいかに虚飾に満ちたものであったかを冷酷に突きつけていた。


アルト・フェルディスは、リュミエラの背後に立ち、その震える肩をただ無機質に観測していた。

彼の網膜に映るバイタルデータは、残酷なほど正確に時を刻んでいる。

(個体A、心拍停止まで十五秒。個体B、二十二秒。……同時処置不可。魔力伝達速度が追いつかない)


「決めろ」


アルトの声は、祈りを捧げる場所にはあまりに不釣り合いなほど乾いていた。


リュミエラは喘ぐように息を吸った。彼女の指先にある光は、救いたいという願いに反して弱々しく明滅している。

彼女の視界には、二人の男が映っていた。一人は家族の名を呼び、もう一人はただ静かに天を仰いでいる。どちらも数分前までは、村の復興のために槌を振るっていた「生きた人間」だ。


「……嫌。選ぶなんて……そんなこと……」


「今決めないと、どっちも落ちる」


アルトの言葉に慈悲はない。だが、それは逃げ場のない真実だった。

理想とは、常にリソースが無限にある場合にのみ成立する夢想だ。だが、この狭く、汚れ、魔力が枯渇しかけた教会という「現場」において、リソースは有限であり、時間は最大の敵だった。


リュミエラの瞳から、大粒の涙が零れ、血に汚れた床に染みを作った。


「……あ、あぁ……っ」


彼女の手が、吸い寄せられるように一人の男の胸に置かれた。

それは論理的な判断ではなかったかもしれない。あるいは、単なる本能的な指の震えの結果だったかもしれない。だが、その瞬間に「選択」は確定した。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


謝罪の言葉を漏らしながら、リュミエラは魔力を注ぎ込む。

アルトに教わった通り、過剰な放出を抑え、傷口の深部へ、血管の一本一本を編み上げるように。

彼女が救おうとしている男の呼吸が、劇的に整い始める。死の淵から、強引に生の世界へ引き戻される生命の鼓動。


だが、その代償は。


隣にいた男の指先から、力が抜けた。

空気を求めるように動いていた喉が、最後に小さく震え――そして、止まった。


教会の喧騒が、リュミエラの耳の中で一瞬だけ遠のいた。

自分が注ぎ込んだ光が、一人の命を繋いだ。それと同時に、自分が背を向けた時間が、もう一人の命を永遠の闇へ追いやった。


「……っ、う、あぁぁぁ……っ!」


リュミエラは顔を覆い、その場に崩れ落ちそうになった。

救った。

確かに一人の命を救ったのだ。感謝されるべき行いのはずだった。

だが、今の彼女を支配しているのは、人を殺したかのような、耐え難い罪悪感だった。


アルトは、リュミエラの隣に跪くことも、その手を握ることもなかった。

彼はただ、動かなくなった男の頸動脈に指を触れ、一秒の静寂ののちに離した。


(個体B、死亡確認。個体A、生存。……生存数、プラス一。損害、最小限)


「それでいい」


アルトが短く、断定した。

リュミエラが顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃになったその表情には、激しい拒絶の光があった。


「いいわけ……ないじゃないですか! 私は、私はあの人を……!」


「救えた数が増えた」


アルトは、彼女の言葉を真っ向から、論理の壁で遮った。


「お前が迷い続けていれば、今息をしているこの男も、あそこで横たわっている男と同じ場所へ行っていた。……お前の『迷い』は、二人を殺す刃になるところだったんだ」


アルトの瞳は、揺らがない。


「選んだことを後悔するな。選ばなかったことで失われた命を、業として背負え。それが、命を扱う者が支払うべき『コスト』だ」


リュミエラは、震える唇を噛み締めた。

冷たい。

この男の言葉は、氷のように冷たい。

だが、その冷たさがなければ、彼女は今、自分を責めることすらできないほどの絶望に沈んでいただろう。

アルトは、あえて「正解」という重荷を彼女に負わせることで、彼女を絶望の底から引き揚げようとしていた。


「……っ……」


リュミエラは、ゆっくりと立ち上がった。

足元はまだおぼつかない。視界も涙で霞んでいる。

だが、彼女はもう、目を逸らさなかった。


自分が生かした男。

自分が死なせた男。

その両方の事実を、一分子も溢さず、その瞳に焼き付ける。


「……次、お願いします」


掠れた声だった。

だが、そこには昨日までの「無垢な少女」の弱さは消えていた。

手をかざす。

次の負傷者へ。

今度は、迷わない。

迷いが、殺すことを知ったから。


アルトは、その変化を無言で見届けた。


(理解の完了を確認。個体リュミエラ、演算能力の最適化に成功)


彼の脳内では、常に次の工程が回り続けている。

失われた命を悼む時間は、アルト・フェルディスのスケジュールには含まれていない。

だが、彼はリュミエラの術式がわずかに安定したことを、言葉にせず見守っていた。


外では、夕闇が完全に村を飲み込み、深い夜が始まろうとしている。

教会の中に響くのは、生き残った者たちの荒い息と、祈りを知った者の、覚悟の足音。


理解は、呪いにも似た重圧となって、リュミエラの背を支えていた。

戦場の現実は、彼女を壊し、そして、誰よりも強固な「救い」の形へと再構築していく。


第30話、現実の理解。

合理の男が示したのは、地獄の先にある、ただ一つの冷徹な希望だった。

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