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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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29話:戦場の現実

教会の内部は、空を舞っていた静寂とは対照的な、血と悲鳴の泥沼と化していた。


ワイバーンという「空の捕食者」がもたらした被害は、地上を這う魔物のそれとは質が違っていた。上空からの急降下による衝撃波。鋼よりも硬い爪。そして、家屋を粉砕した際の飛散物による二次被害。


「……あ、あぁ……。熱い、脚が、脚が……!」

「リュミエラ様、こっちだ! 腹を裂かれてる!」


運び込まれてくる村人たちは、誰もが死の縁を歩いていた。


リュミエラは、蒼白な顔でその濁流の中に立っていた。

彼女の手からは、癒やしの光が絶え間なく溢れている。一人、また一人と、必死に手をかざす。だが、救い上げる端から、さらに多くの者が沈んでいく。


(……足りない。私の手も、時間も、魔力も……!)


彼女の視界に、二人の男が飛び込んできた。

一人は、倒壊した家屋に押し潰され、胸部が不自然に凹んでいる老人。

もう一人は、飛来した木片が喉を貫き、呼吸が止まりかけている若者。


「……っ」


リュミエラの手が、空中で凍りついた。

老人を救えば、若者が窒息して死ぬ。

若者の喉を塞げば、老人の内臓が潰れて死ぬ。

どちらも、今この瞬間に、彼女の「光」を必要としている。


(……どっちを? どっちを先に救えばいいの?)


選べない。

選ぶということは、選ばなかった方を「殺す」ことだと、彼女の心が叫んでいた。

教会の喧騒が遠のき、ただ二人の苦しげな呼吸の音だけが、彼女の脳内に反響する。


「……優先順位をつけろ」


背後から届いたのは、鉄を打つような冷徹な声だった。

アルト・フェルディス。

彼はワイバーンの解体と並行し、教会のリソース状況をスキャンしに来たのだ。その瞳には、リュミエラの葛藤に対する同情も、命の灯火への感傷もなかった。


「アルト、さん……。どちらも、今なら間に合うんです。でも、一人じゃ……!」


「今なら、だ。……だが、お前が迷っている間に、若者の気道は完全に閉塞し、老人の肺は血で満たされる。迷いは『ゼロの救済』を招く。……選べ」


「選べない……! そんなの、そんなの無理です!」


リュミエラは泣き叫ぶように言った。

彼女がアルトから学んだ「手順」や「効率」。それは頭では理解していたつもりだった。だが、いざ剥き出しの命を天秤にかけられた時、彼女の「祈り」が重石となって、天秤を動かすことを拒んでいた。


「……見捨てるのですか。どちらかを、殺せというのですか」


「救うために、切るんだ」


アルトは一歩、リュミエラの隣に並んだ。

彼は一切の迷いなく、老人の胸を指差した。


「老人は胸部陥没。心停止まであと六十秒。……若者は喉の裂傷、気道確保がなされれば蘇生の余地がある。……だが、今の魔力残量と術式展開速度を計算すれば、老人の内臓を再構築する間に、若者の脳死は確定する」


アルトは、リュミエラの瞳を覗き込んだ。


「二分の一ではなく、一分の一を確実に取れ。……それが、この場における唯一の『最適解』だ」


「……っ……」


リュミエラの視界が、涙で歪む。

アルトの言っていることは正しい。非情なほどに、残酷なほどに。

彼女が「全員」を救おうと右往左往すれば、結果として二つの亡骸が横たわるだけ。

救えるはずの命を、自分の迷いで殺すのか。それとも、片方を切り捨てる業を背負って、一人の命を繋ぎ止めるのか。


時間は、無情に流れる。

老人の顔が、どす黒く変色し始めた。

若者の指先が、痙攣を止めてだらりと垂れ下がった。


(……助けたい。でも……)


リュミエラの手が、ゆっくりと、震えながら伸びた。

彼女が選んだのは――。


アルトは、その指先がどちらに向かうかを、ただ観測していた。

彼は強制もしない。手伝いもしない。

ここでリュミエラが自分自身で「線」を引かなければ、彼女は一生、真の救済者にはなれないことを知っていたからだ。


「……ぅ、あぁぁぁ……っ!」


リュミエラは悲鳴のような呻きを上げながら、一人の負傷者へ光を叩き込んだ。

その瞬間、視界の端で、もう一人の命の気配が「プツン」と途切れるのを感じた。


指先から漏れる光が、選ばれた命を繋ぎ止めていく。

だが、その光の冷たさに、リュミエラは初めて絶望した。

自分が救った命の背後に、自分が救わなかった――救うことを諦めた――命が重なっている。


アルトは、息を切らすリュミエラの肩に手を置いた。


「……作業を続けろ。次はあっちだ」


「……ひどい。あなたは……本当に、ひどい人です……」


「そうだ。俺はひどい男だ。……だが、お前が選んだ一人は、今生きている。……それが、戦場の現実だ」


アルトは振り返らずに、次の負傷者の元へと向かった。

教会の中に響く、一人の蘇生した男の荒い呼吸と、一人の亡くなった男の周囲に流れる静寂。


リュミエラは、震える手で血を拭った。

救った。

そして、殺した。

その両方の重みを同時に背負った彼女の瞳には、昨日までの「無垢な祈り」はもう存在しなかった。


理解したくなかった。

知りたくなかった。

「選ばなければ、全員死ぬ」という、世界の残酷な構造を。


第29話、戦場の現実。

夕闇が教会を飲み込む中、リュミエラは血に汚れた手を見つめ、初めてアルトの背負っている「冷徹」の正体を知った。


それは、憎まれることを前提に、最善の結果を拾い上げ続けるための、あまりに孤独な「誠実さ」だった。

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