23話:見下し
夕闇が迫る村の外縁、第二ライン。
そこには、アルト・フェルディスが数日をかけて練り上げた「生存の幾何学」が展開されていた。木柵の高さ、障害物の設置角度、村人たちが踏みしめる土の硬さに至るまで、すべては魔物の機動力を削ぎ、人間の生存率を最大化するための関数として機能している。
「配置固定。呼吸を合わせろ。……来るぞ」
アルトの冷徹な声が空気を打つ。
森の深淵から躍り出たゴブリンとフォレスト・ウルフの混成部隊。彼らは本能のままに突き進むが、アルトの引いた「見えない線」を越えた瞬間、一斉にその勢いを削がれた。
「弓兵、3番から5番。仰角を10度下げろ。面で叩く必要はない。……一射、放て」
アルトの指示は、弦を引く指の震えすらも計算に入れた精密なものだ。放たれた矢は無駄なく獲物の急所を捉え、先頭集団を物理的な障害物へと変え、後続の進路を塞ぐ。
アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイアは、その数歩後ろで静かに立っていた。
彼女の視線は、倒れゆく魔物の断末魔には向かない。彼女が見ているのは、アルトという個体が紡ぎ出す「戦術の構造」そのものだ。
(……基本に忠実。リソースの分配も合理的。……そして、何より無駄がない)
公爵家の英才教育を受けた彼女の瞳には、村人一人ひとりが「歯車」として完璧に噛み合っている様子が映し出されていた。
だが、その評価が「絶賛」に変わることはない。彼女のような支配階級にとって、機能することは前提であり、その先にある「完成度」こそが価値の基準だった。
「今だ。近接、三歩前。斬って戻れ。……深追いするな」
アルトの命令に従い、村人たちが槍を突き出す。
魔物が一匹、その間隙を縫って跳躍した。アルトが設計した「配置の網」を、野生の直感で突破したイレギュラー。
「――物理干渉。加速」
アルトが自ら踏み込み、空中の一体を一閃した。
着地。血振い。鞘に収める動作までが一つの呼吸で完遂される。
「……粗いわね」
アンジェリカの冷たい声が、戦場の喧騒を切り裂いた。
アルトは振り返らない。
「どこがだ」
「詰めが甘いのよ。今の抜けは、3番の槍兵と5番の弓兵の連携深度が浅いことが原因。配置の数式は合っているけれど、変数の管理に甘えがあるわ」
彼女は一歩、アルトの隣に並び立つようにして前に出た。
「あなたは個の能力でそれを補填した。身体強化による無理な介入。それは一時的な回避にはなっても、組織の安定性には寄与しない。……上に立つ者の仕事は、自分が動くことではなく、自分が動かなくて済むシステムを完成させることよ」
アンジェリカの言葉には、明白な「階級」の差が滲んでいた。
現場で泥を啜り、剣を振るうアルト。
高所から全体を俯瞰し、一分子の綻びも許さないアンジェリカ。
「理屈は通っている。けれど、あなたの構築は個人の力量に依存した『現場の知恵』に過ぎない。王国が求める軍略とは、誰が座っても同じ結果が出る、もっと強固で冷徹なものよ」
彼女の瞳は、アルトを「自分と同等の指揮官」とは認めていなかった。
あくまで、優秀な現場監督。
使える駒ではあるが、大局を預ける器ではない。
「詰めを潰しなさい、アルト。今のままでは、あなたは一生現場で剣を振り続けることになるわ」
それは、見下しだった。
公爵令嬢としての自負と、数多の戦史を学び、天才と謳われた彼女ゆえの、絶対的な優越感。
アルトは少しだけ、視線を横に流した。
「……再現性の向上、および安定性の欠如。指摘の論点は妥当だ。……検討しておこう」
「……」
アンジェリカは、アルトの反応にわずかな不快感を覚えた。
反論も、屈辱の色もない。彼はただ、彼女の辛辣な評価を「有用なデータ」として無機質に処理しただけだった。
(プライドすらないのかしら。それとも、私の言葉すら演算の一部だと言うの?)
戦闘は終息に向かっていた。
魔物の残骸を前に、村人たちが安堵の息をつく。
だが、この場に漂う緊張感は、魔物との戦い以上に鋭利だった。
アンジェリカは、汚れ一つないドレスの裾を翻し、踵を返した。
「……未完成ね。今はまだ、その程度」
彼女の中で、アルト・フェルディスという存在は「現場止まりの男」として、一時の興味の対象から固定された評価へと格下げされた。
この時点での彼女にとって、アルトはまだ、自分という高みを見上げるべき存在に過ぎなかった。
アルトは、彼女の背中に視線を送ることもしない。
「次、2番エリアの罠を再装填。……物資の再分配を行う。リュミエラ、洗浄を急げ」
淡々と続く指示。
評価がどうあれ、彼の世界は変わらない。
ただ、生存という結果を積み上げるだけ。
アンジェリカの「見下し」と、アルトの「無視」。
二つの異なる理性が、夕闇の中で不気味に、しかし確実に反発し合っていた。
第23話、見下し。
まだ、本当の「合理」の恐ろしさを、彼女は知らない。




