13話:腐った貴族
辺境の村に差し込む昼の光は、昨日までの血生臭さを乾燥させ、新たな停滞を運んできた。
村の入り口。復興の槌音が響く中、その音を切り裂くように不快な金属音が近づいてくる。
漆塗りの馬車。金糸の装飾。そして、戦場の泥を極端に嫌うように、馬の足取りすら慎重に選ばれた騎士たちの列。
「……計算外のノイズだ」
アルト・フェルディスは、手元の解体記録を閉じ、視線だけをその一団に向けた。
鑑定スキルの視界に映る馬車の主――バルトロ・フォン・ゼーレ。この一帯を形式上管理する、王都から派遣された若き貴族である。
馬車の扉が開き、バルトロが降り立つ。
彼は絹のハンカチで鼻を覆い、露骨に顔をしかめた。
「ふん。腐臭がひどいな。これだから辺境の平民どもは……」
第一声がそれだった。
彼は、村人たちが命がけで積み上げた防護柵や、アルトが最適化した物資の集積所を見ることもしない。ただ、自分の靴に泥がつくことだけを危惧している。
「報告にある『殲滅』の責任者は誰だ。……ああ、お前か」
バルトロの視線がアルトに止まる。
アルトは表情を変えず、一歩だけ前に出た。
「実働部隊の管理と、防衛システムの構築を担当した。アルト・フェルディスだ」
「アルト、だと? 姓はないのか。……なるほど、やはりな」
バルトロは、アルトの無造作な装備と、泥の跳ねた戦装束を見て、侮蔑の色を隠そうともしなかった。
「お前のような現場の『叩き上げ』は、どうしても近視眼的になる。目の前の魔物を一匹斬ることに執着し、全体の構図が見えていない。戦場など、下の者が命を散らして回せばよいものだ」
バルトロは騎士の一人から差し出された椅子に腰を下ろし、優雅に足を組んだ。
「貴族の仕事は指揮だ。現場の細かい損害など、帳簿の数字一つで片付く。大局を見る、とはそういうことだ」
アルトの瞳の奥で、冷徹な演算が走る。
(個体の認識能力、極めて低い。現場リソースの維持コストと、その喪失によるドミノ倒し的崩壊を計算式に入れていない。……無能という名のシステムエラーだ)
「大局、か」
アルトは淡々と、しかし鋭く言葉を返した。
「あなたの言う大局には、基礎となる現場の維持が含まれていない。末端の細胞が死滅した生命体が、どうやって『大局』として生存し続けるつもりだ」
一瞬、静寂が訪れる。
バルトロの背後に控える騎士たちが、一斉に腰の剣に手をかけた。
「……何と言った、貴様」
バルトロの整った顔が、怒りで歪む。
「現場が崩れれば、大局は成立しない。あなたが軽んじている『下の者』が、昨夜どれほどの効率で魔物を削り、今の防衛線を維持しているか。その数値すら把握せずに、大局を語るのは非合理的だ。……現実から目を逸らしている。大局を外しているのは、あなたの方だ」
「貴様ぁッ……!」
バルトロが椅子を蹴って立ち上がる。
「平民風情が、知った風な口を! 私の家系が代々、どれほどの領土を統治してきたと思っている! 指揮官に必要なのは血統と誇りだ。お前のような、泥水を啜って剣を振るうだけの獣とは違うのだよ!」
「血統は能力の担保にならない。誇りも攻撃力には寄与しない。……必要なのは、正確なデータと判断だ」
アルトは、激昂する貴族を冷めた目で見据えたまま、一歩も引かない。
その横で、エルディアが低く、愉しげな笑い声を漏らした。
「……くく、面白いな。アルト。貴様の言う通りだ。この男、戦場に立てば三分と持たずに肉塊になるな。剣の重心すら理解していない」
「誰だ貴様は! 無礼千万な……!」
「……エルディア様?」
その声に、周囲の騎士が一斉に息を呑んだ。
「まさか……あのエルディア・ヴァルグレイ侯爵令嬢が、なぜこのような場所に……」
エルディアは、視線すら向けない。
「関係ない。今の私はただの戦闘個体だ」
エルディアの冷ややかな視線に射抜かれ、バルトロは一瞬気圧される。だが、すぐに顔を赤くして叫んだ。
「いいか。この村の生存は、王国の管理下にある。そして、その管理権限は私にある。お前のような『非正規の指揮官』など、私が一言命じれば反逆者として処刑できるのだぞ!」
アルトは溜息をつくことさえ無駄だと判断した。
「……権限。それもまた一つのシステムか。だが、システムが機能するのは、それを支える『力』がある時だけだ」
アルトは、バルトロの足元の地面を見下ろした。
「この村は現在、俺の演算によって生存を維持している。あなたがそれを『管理』という言葉で上書きしたいのなら勝手にすればいい。ただし――」
アルトの指先が、微かに光を帯びる。
「次に魔物が来た時、その『誇り』と『血統』で、村人を守ってみせるんだな。それができないなら、あなたの言葉には一分子の価値もない」
バルトロは言葉に詰まった。
目の前の青年から発せられる、暴力的なまでの正論と、底知れない実力。
彼は、自分が絶対的な「支配者」として君臨できるはずの辺境で、逆に自分が「不要な不純物」として扱われていることに耐えられなかった。
「……いいだろう。お前のその傲慢さ、いつまで続くか見てやろう。……おい、お前たち! この村に駐留する。私の高潔な指揮の下で、この野蛮な防衛体制を正してやる」
バルトロは吐き捨てるように言い、馬車へと戻っていった。
騎士たちは困惑しながらも、アルトとエルディアを睨みつけ、バルトロに従う。
「……アルト、面倒なことになったな」
エルディアが剣の柄を叩きながら歩み寄る。
「ああ。……無能な指揮系統ほど、システムを壊すものはない。だが――」
アルトは、バルトロの去った馬車の軌跡を見つめた。
「それも、変数の一つだ。不純物が混じったなら、それを利用して出力を上げるだけだ」
アルトの瞳は、すでに「腐った貴族」という障害物を、どう処理すべきかという演算のフェーズに入っていた。
救う者。戦う者。
そして、それらを「数字」としか見ない支配者。
第13話、腐った貴族。
辺境の村に、魔物よりも厄介な「権力」という名の毒が流れ込み始めた。




