逸らす思考
私は足早に廊下を抜け、生徒の少ない渡り廊下へと逃げ込んだ。
背中のざわつきが、少しずつ遠ざかる。
……切り替えろ。
私は深く息を吐き出し、脳内のスイッチを強制的に操作した。
思考を逸らせ。
小笠原凛月という「エラー要因」について考えるな。
もっと無機質なもの。数値化できるもの。
そう、例えばこの校舎の構造について。
……耐震構造は最新のものだ。窓の配置は採光を考慮しているが、夏場の室温上昇率は……
無理やり思考を「分析」で埋め尽くそうとする。
論理の壁で、感情の侵入を防ぐ。
そうやって、乱れた呼吸を整えようとしていた、その時だった。
「お? しおりじゃねえか」
野太い、けれど不思議と耳に心地よい声が降ってきた。
ビクリと肩が震える。
顔を上げると、自動販売機の横で、パックのいちごオレを手にした巨体が立っていた。
部長だった。
「……部長」
私は努めて冷静な声を出す。
彼は、私が逃げてきたことには気づいていないようだった。
ただ、いつもの大雑把な笑顔で、片手を上げた。
「なんだ、お前も昼飯か? 食堂は混んでるからな、こっちの方が静かでいい」
彼は私の手ぶらな様子には突っ込まず、窓の外に広がる中庭に目をやった。
春の日差しの中、生徒たちが笑い合っている。
キラキラとした、直視できないほどの「青春」の光景。
「どうだ? 五月雨での生活は」
唐突な問いだった。
彼はストローを噛みながら、何気なく聞いてきた。
「ま、お前は卓球さえできりゃどこでもいいんだろうけどよ。……この学校、気に入ったか?」
私は、彼の視線の先にある光景を見つめた。
設備は整っている。
進学実績も高い。
部活動への理解もある。
客観的なデータとして見れば、環境は申し分ない。
「……悪くはありません」
私は正直な評価を口にした。
「設備も合理的ですし、無駄な干渉も少ない。生活するには十分な環境です」
そこまで言って、私は言葉を切った。
窓の外の、眩しすぎる光景が網膜を焼く。
楽しそうな笑い声。悩みなんてなさそうな笑顔。
それは、私が永遠に手に入れられないもの。
「ただ……」
無意識に、本音が漏れた。
「私には、少し華やかすぎます。……目が、痛くなるほどに」
そう。
ここは明るすぎるのだ。
闇の中でしか生きられない深海魚が、いきなり真夏の浅瀬に引きずり出されたような。
その「眩しさ」が、私の影をより一層濃くしてしまう。
私の言葉に、部長は「ん?」とこちらを見た後、
「ぶっ」と吹き出した。
「ははは! 華やかすぎる、か! お前らしい感想だな!」
彼は豪快に笑い飛ばしてくれた。
腫れ物に触るような気遣いも、探るような視線もない。
ただの「面白い意見」として受け流してくれた。
その粗雑さが、今の私には救いだった。
小笠原さんのような「熱」はないけれど、ここには「風通しの良さ」がある。
私は、折れたシャープペンシルのことなど忘れたかのように、小さく息を吐いた。
ここなら、少しだけ息ができるかもしれない。




