闇のブローカーとトカゲの尻尾切り ~ナンバーズの冷酷なる精算~
闇のブローカーとトカゲの尻尾切り ~ナンバーズの冷酷なる精算~
空間そのものが『割れた』ような錯覚だった。
怒号と熱気に包まれていたポポロ村の中央広場。その喧騒が、まるで真冬の湖水に突き落とされたように、一瞬にして凍りついた。
火原の背後、何もない虚空がグニャリと歪んだかと思うと、そこに一人の男が立っていた。
豪奢でありながら暗闇に溶け込むような漆黒のコート。年齢は四十代前半ほどだろうか。商人のような整った顔立ちをしているが、その瞳には爬虫類のような冷酷な光が宿っている。
「す、スリー様……ッ!?」
群衆の足元に這いつくばっていた火原が、極度の恐怖に引き攣った声でその名を呼んだ。
犯罪組織『ナンバーズ』の幹部、No.3 スリー。空間転移のユニークスキルを操る、裏社会の顔役にして闇のブローカーである。
「……火原。お前には失望したよ」
スリーの声は、広場のざわめきを切り裂いて、よく通った。怒気は全く含まれていない。ただ事務的な、損切りを決めた商人の声だった。
「ひぃっ! スリー様、こ、これは違うんや! もう少しで大金が手に入るところやってん! そこの小娘が邪魔立てせんかったら……!」
「言い訳は聞きたくない。我々ナンバーズが求めているのは結果だけだ」
スリーはゆっくりと火原を見下ろした。
「お前がドンガン地下炭鉱から脱走できたのは、我々が手引きをしてやったからだ。その対価として、毎月指定の期日までに上納金を納める約束だったな。……だが、今月の上納金はどうだ? 期限は昨日の夜だったはずだが、一円たりとも入金されていない」
「そ、それは……!」
「挙げ句の果てに、こんな田舎の村で粗悪な詐欺を働き、群衆に囲まれて命乞いか。我が組織の末端とはいえ、あまりにも無様すぎる。これ以上の投資は無意味と判断せざるを得ないな」
スリーの言葉に、火原の顔から完全に血の気が引いた。
(……あの男、ただ者じゃありませんわね)
私はジークさんの背中に庇われるように立ちながら、スリーを観察していた。
彼の立ち振る舞いには、一切の隙がない。広場を囲む群衆や、ポポロ村の自警団、そして私やジークさんの存在すらも、路傍の石ころ程度にしか認識していないような、絶対的な強者の余裕があった。
「コトネ、少し下がっていろ。……あの男、厄介なスキルを持っているな」
ジークさんが、パイプ椅子を握る手に微かに力を込めた。
「空間そのものを折り畳んで出現した。あれは速度の問題じゃない。物理的な防壁も距離も無視してくるぞ」
ジークさんの言葉通り、スリーの【テレポート】は、商売においても暗殺においても、最も防ぐのが困難な反則級の能力である。
「ス、スリー様! お願いや、もう一回だけチャンスをくれ! この村の女どもを攫って娼館にでも売り飛ばせば、すぐに金は作れるんや! せやから……!」
火原は這いつくばったまま、スリーの磨き上げられた革靴にすがりつこうとした。
だが、スリーは表情一つ変えずに、その顔面を容赦なく蹴り飛ばした。
「ガハッ……!?」
「気安く触るな、泥棒猫が。お前の手垢がついただけで、この靴の価値が下がる」
スリーは冷酷に言い放つと、懐から小さな魔導リモコンのようなものを取り出した。
「なっ……スリー様、そ、それは……ッ!」
「お前をドンガン炭鉱から連れ出す際、首輪の『魔力妨害コード』を一時的に噛ませて起爆を止めていたが……契約不履行だ。延長サービスはここまでとさせてもらおう」
スリーが、リモコンのボタンを無造作に押した。
その瞬間。
ピッ……ピッ……ピッ……!
火原の首に嵌められていた分厚い金属の首輪が、不気味な赤い光を点滅させ始め、電子音のカウントダウンを刻み始めた。
「ぎゃああああああああっ!!」
火原が首輪を両手で掻きむしり、狂ったように絶叫した。
「あ、あかん! 止めてくれ! 首が吹き飛んでまう! イヤや、死にとうない! 死にとうないぃぃぃっ!!」
「……見苦しい奴だ。ナンバーズの名を騙るなら、死ぬ時くらいもう少し品良く散れ」
冷たく見下ろすスリー。
その冷酷さに、周囲を取り囲んでいた村人たちも恐怖に顔を引きつらせ、後ずさり始めた。
「ジ、ジークさん……! あの首輪の爆発、この広場ごと巻き込む規模じゃありませんの!?」
私は戦慄しながら声を上げた。ドンガン地下帝国の炭鉱で使われている奴隷用の首輪は、逃亡を確実に防ぐため、周囲数メートルを木っ端微塵にするほどの威力が込められていると聞いたことがある。
「あぁ。だが、無理に外そうとすれば即起爆する仕組みだ。俺が殴ってどうにかなるレベルの代物じゃない」
ジークさんが舌打ちをする。
「スリー様ぁぁっ! 助けてぇぇぇっ! なんでもする、ワイのスキルでいくらでも偽札でも偽造カードでも作るからぁぁっ!」
火原は血の涙を流しながら、頭を地面にこすりつけて命乞いを続けた。
だが、スリーは微塵も同情の様子を見せず、ふん、と鼻を鳴らした。
「お前の劣化コピーになど、もう何の価値もない。だが……そうだな。最後に一つだけ、組織のために役に立ってもらおう」
「え……?」
スリーは懐から、手のひらに収まるサイズの、どす黒い魔力を放つ『球体』を取り出した。
それは、高位の魔獣を封じ込めて持ち運ぶための違法な魔導具――『魔獣カプセル』であった。
「我々ナンバーズは、次なるビジネスの舞台として、このポポロ村という立地に少し興味を持っていてね。せっかくの機会だ、この村の戦力がどれほどのものか、お前を使ってテストさせてもらおう」
スリーはそう言うと、その魔獣カプセルを、火原の目の前にポイッと投げ捨てた。
「せいぜい、最後くらい派手に暴れて死ね。……さらばだ、トカゲの尻尾」
「ま、待っ……!」
火原の叫びが届く前に。
スリーの体が、蜃気楼のようにフッと空間に溶け込み、跡形もなく消え去った。
空間転移による完全な撤退。後に残されたのは、首輪のカウントダウンに絶望する火原と、地面に転がる不気味なカプセルだけだ。
ピッ……ピッ……ピッ……!
首輪のタイマーが、非情な音を刻み続ける。
「あ……あああぁぁぁ……っ!!」
半狂乱になった火原は、生への執着からか、それともヤケクソになったのか。
スリーが投げ捨てたその『魔獣カプセル』を両手で掴み取り、地面に力任せに叩きつけた。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!! ワイはまだ死なん! こいつで村の連中を皆殺しにしてでも、生き延びたるんやぁぁぁッ!!」
パァァァァァァァァンッ!!
カプセルが砕け散り、中から膨大な質量の黒い霧が爆発的に噴き出した。
「マズいですわ! 全員、伏せて!!」
私が叫んだ直後。
ズドォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
広場の中央で、竜巻のような強烈な暴風が巻き起こった。
周囲の露店が吹き飛ばされ、逃げ遅れた村人たちが悲鳴を上げて地面に転がる。
「……チッ。厄介な置き土産を残していきやがったな」
ジークさんがパイプ椅子を盾にして風圧に耐えながら、鋭い視線を暴風の中心に向けた。
黒い霧が晴れたそこには、絶望的な姿をした巨大な魔獣が顕現していた。
黄金の羽毛に覆われた鷲の頭部と巨大な翼。
そして、鋼のように引き締まった獅子の下半身。
その鋭い嘴と鉤爪は、魔導戦車の装甲すら紙のように引き裂くという、伝説の空の捕食者。
Aランク指定魔獣――『グリフィン』。
「キシャァァァァァァァァァッ!!!」
グリフィンが天を仰いで鼓膜を破るような咆哮を上げると、周囲の大気が恐怖に震え上がった。
詐欺師の罪悪から始まった騒動は、闇のブローカーの冷酷な干渉によって、ポポロ村全体を巻き込む最悪の『魔獣防衛戦』へと突入してしまったのだった。
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