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2.死線を越えて

 眼下を見下ろす。ジタバタと痙攣(けいれん)する醜悪の今際(いまわ)だ。

 肺に血が入ったのだろう、ゴボゴボと音を立てて苦しそう。


 しばらくながめていると、あ、静かになった。


「いやいやいや」


 死んだ。殺した。僕がゴブリンを殺したのだ。


「ありえんでしょ」


 現実感なんててんで湧かない。目の前の光景が白昼夢(はくちゅうむ)(たぐい)ではないのかと今も疑っている。手のひらに残る嫌な感触だけが実在だ。


 殺意なんてなかった。一切合切彼に恨みなんてなかった。

 

 本当の本当に、心の底から殺すつもりなんてなかった。


 裁判では殺意の有無が焦点になるのでしょう。

 僕は無実だ!!


 とはいえ自身が一番わかっている。

 僕という男は、つい、ゴブリンの悪意を(くじ)きたくなってしまう生態なのだと。


 彼は僕を襲おうとした。

 脳がそれを認識すると、意思とは無関係に()()()を働く。


 誰から言われた言葉だったか。


『お前は『間』抜けで、人『間』味がない。抜けているんだ、人として大切な何かが』


 そんなことよりゴブリンだ。


「これ、どーしよ」


 ゲームのように粒子となってキラキラ消えていってくれたのなら、どれほどよかっただろう。醜い死体はいぜん白日の元に晒されている。


 弛緩(しかん)した舌が、夏日に焼かれたアスファルトの上にだらけて、『暑そう』なんて呑気な感想を抱く。


 赤黒い血がぷくぷく切り傷からあふれだし、じわりと広がって。いやな臭いが立ちこめ始めたのを境に、自分がしでかしたことの重大さを知る。


 可哀想、罪悪感、そんなものよりも先に湧いたのは、愚かな保身だ。


『死体、このままだとまずいのでは?』


 人目を避けるため移動させるべきか。いやまて、人間を殺したわけじゃないし、別に隠す必要はないだろう。

 襲われたのはこっちの方だし。正当防衛だし。

 どこかに連絡を入れたほうがよいのだろうか? 警察? 消防? 市役所?


 ていうか、そもそもなんでゴブリンがいるんだよ!!


 ここ日本だよね!? 僕トラックに跳ねられていないよね!?

 

 あたりまえで今更の驚きが、心臓を通って指先に伝播していく。慌てふためく。あわあわ。あわあわ。


 そんなときのことだった。

 

「君、頭がおかしいね」


 唐突に声をかけられた。


 ふりむけばそこに、一人の可憐な少女が立っていた。

 ゴブリンの次は謎の美少女ときた。


 僕はやっとこさ観念したのです。

 お手上げってやつ。


「日常が死んだ」


 今日は素敵な街へお出かけです。

 それくらいにキマった、フリフリでおしゃれなワンピースを着ている。

 雑誌に掲載されたコーデを、そのまま真似したようないでたちだ。


 イタズラっぽいジト目に、綺麗にえがかれた麻呂眉毛が特徴的だ。独特のセンス。瑠璃(るり)色の瞳はカラーコンタクトだろうか?


「すこぶる頭がおかしいね」


 目筋は鋭利な太刀のように切れ長で、鼻だちもクキリと深く凛としている。

 白磁(はくじ)の青肌が炎天下に痛々しく、折れてしまいそうなほどに痩身。けれど一重のおりなす目力は凄まじく。


 覗き込まないで。見惚れてしまいそうだ。


「怪物を前に臆さず、なんと反撃さえしてみせた。きみは異世界に住む狩人たちよりも豪胆な精神を持っているのかもしれないね」


 何を言っているのかよくわからないが、その口ぶり……。


「あなたは、異世界の人なのですか?」


 ゴブリンがいたのだ。何が起きてもおかしくはない。


「その死にくれ、どうするつもり?」


 僕の質問をなかったかのように、高い目線が尋ねてくる。

 一生に一度会えるかどうかの美人に見つめられて、どうしようもなく心が萎縮する。


「どうもこうも、なんですかこれ」

「見ての通りゴブリンじゃん」


「だから、なんでそんなのがいるのかって聞いているんですよ。あなたは何を知っているんですか」


「ボクの名前は青染アオ」

「あ、あお?」


「……ボクのことはいい。それよりも死体だよ。ゴブリンはボクの獲物だった。けれど先に殺したのは君で、つまり死体の所有権はキミにあるわけ。見たところただの子供、ゴブリンを持て余しているように映る。なら、その死体譲ってはくれないかな」


 ひと息にまくし立てられ、軽く眩暈(めまい)がした。

 誠意のある返答から、アオさんに敵意がないことだけは伝わってくる。

 

「す、好きにしてもらってかまいません」

「感謝する〜」


 アオさんは懐から小さな巾着袋を取り出して、ゴブリンを収納した。手のひらサイズの大きさなのに、袋口を死体へむけると、丸呑みにするみたく一瞬で取り込んでしまったのだ。まさに魔法の所業である。


「どひゃー」


「今日あったことは忘れるように努めてね。愉快な夢でも見たのだと思い込むんだ。──ここより先は死線だから。んじゃ、失礼する〜」


 所用をすませたアオさんは、そそくさと退場しようと──。


 おい待て。

 そんなことが許されるのか?


 これほどの疑問を置き去りに、僕の好奇心を見殺しにして──。


「あの!!」


 瞬間、アオさんは巾着袋からペットボトル飲料水を取り出し、地面に線を描いた。


「君は怪物と遭遇し、ひいては単独で討伐してみせた。知る資格ははっきり言ってある。だが、ひとたび真相を聞けば、君の生涯に今後平穏などあり得ないと知れ。父母はおろか、友にすら二度と会うことは叶わないだろうよ」


 氷のようにひややかな表情のアオさんはけれど、この日初めての笑顔を見せた。試すような、挑発的な笑みだった。


「なにせ、命懸けで魔に挑むことになるのだからね」


 お父さん、お母さん、大好きです。妹だって愛している。祖父母から受けた愛情は計り知れないし、友達だってたぁくさん。


 未来には展望と希望しかなく、今に不安なんてことさらなく。


 はっきりいって、線を越えるメリットはない。

 ゴブリンとの邂逅(かいこう)からも分かる通り、本当に命がけのことなのだろう。

 覚悟なんてあるはずがないし、こちとらただの小学生、今だってビビり散らかしている。


 でも、でもね。


 目の前には全くの未知があって。

 人生で初めて、胸が高鳴るほどの美しい女性にでくわして。

 こんな僕に実力があるとも言ってくれた。


 ──だからどうした、不十分だ。


 舐めるな。


 普通の人間ならそれでも超えない。

 僕の理性は規格通りだ。


 行くな、ダメだ、踏み出すな。


 頭では分かっていても、どうしようもない。

 コイツは、ドを越した間抜け者だから。


『どうせ来ないのだろう?』


 心底舐めきった彼女の『悪意』を、飛び越えたくなってしまう性分なのだ──。


「よいしょー!」


「ハッ! やっぱり君、頭がおかしいね!!」


 かくして平穏無事な僕の人生が流転する。


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