10.覚悟の味
ランツさんの戦いぶりがあまりにも苛烈で、気が動転してしまった僕をみかねたのか、アオさんは熱々のコーヒーを淹れてくれた。
「あ、僕コーヒー苦手で……」
「ふーん、子供だね」
案内されたのはおんぼろなオフィスの、ビリビリに破けたソファー。指で裂け目をなぞり、ざらめの感触をひそかに楽しむ。
この建物はランツさんの持ちビルであり、つまりは『チリメン・モンスターズ』の本社だ。五階建て。全体を通してなかなか年季が入っている。
「せっかく淹れてあげたのに。ムカつくなぁ。このこと、言うつもりなかったのだけれど。いいや、教えてあげちゃう」
アオさんはときおり、意地悪な微笑みを見せる。決まってろくでもないことが起こる予兆だ。
「ボクね、ひなた君がいたからランツを呼んだの」
「僕がいるとオーガに勝てないから?」
ボクが足手纏いだから。
「んや、全然死ねる死ねる。大人しくご臨終」
死ぬだなんて強い言葉だ。
つい耳を閉ざし目を背けたくなる。
アオさんは逃避を許さない。
顎先をくいと持ち上げられた。
「186、これがなんの数字かわかる?」
尋ねてきたくせに返答は求めていないのだ。
言葉は、僕の神経を乱雑に引っ掻く。
「ランツがボクたちを助けるために使った15分。その間に死んでしまった神戸市民の数」
「え?」
返事が。息が。
できなかった。
納得だけがあった。
そりゃあね、あんだけ強いのだから。
「ランツはね、良くも悪くも特別すぎる。どれほどだろう。一人で世界を救えるほどだろう」
ランツさんは悍ましい魔物たちを、単独で打ち倒して見せた。まさに最強と名乗るにふさわしい怪物だ。
——でも、最強はたった一人だ。
15分間、魔物たちは野放しにされていた。
ランツさんが僕たちを助けたと言うことは、『ほかの誰かを助けられなかった』ということ。
世界ではなく、たった二人を救わせてしまった。
次のページをめくるまでもなく結論に至る。
「僕の、せいで……?」
僕がいたばっかりに。
前頭前野に冷や水を浴びた。脳が速やかに萎縮し始めた。カタカタと、罪悪感になる手前の雪が降る。
「うん。否定しない。ボクたちのせいで大勢が死んだ」
それは違う。
アオさんは一人だけなら助けを呼ばなかった。一人できっちり逝っていた。
僕がいたからだ。
己の生死ではなく、『所有物』のために他者を犠牲にできてしまえる人が彼だもの。
僕が悪い?
本当に?
アオさんの勝手な趣味嗜好のせいじゃないのか。
でも僕はあのとき、確かに生きたいと願った。
思考テストを何度繰り返しても、たどり着く結言は同じだ。
──お前が悪い。
考えなしにアオさんと契約して、お前の浅慮が招いた死じゃないか。
言い逃れはできない。
今朝までランドセルを背負っていた僕にとって、この十字架は重すぎる。膝から崩れ落ちて、喉元を手で押さえる。
言うな。言うな。言うな。壊れる。
なにが、『神戸の人が生きていてよかった』だ。
お前が殺した。お前のせいで。
「僕のせいで!」
デコピン。
「あいた!」
んー?
なぜ!?
「感じすぎ。いい子すぎ。可愛いなぁ」
美しい一重が睨んでくる。
「ひなた君に伝えたかったことは、そんな甘っちょろい絶望じゃないよ」
「え……?」
「君はこの瞬間、186人分の命を頂いたのさ」
コーヒーの中に砂糖とミルクをたくさん注いでいく、かき混ぜる。
「飲み干して。その苦みを感じて。一生忘れないで」
飲めないよ。僕にはまだ早いから。
「とても尊く、素敵な味だ。ひなた君に狩人としての『自覚』を教えてくれるもの」
アオさんはコーヒーを啜って、ぐっと僕の顔を引き寄せた。
口移しで温もりが流れ込んでくる。
驚きで目を見張る。
彼はしたり顔で、口びるを拭って。
「君はもう、簡単には死ねない。186人分の苦味を抱えて生きていけ、使い切れ。それがボクたち狩人に課せられた生き様ってもんだ」
頭を雑に撫でつけられる。
「クヨクヨしてんな。男の子だろ?」
だとも言葉は泣けるくらいにほろ苦く、舌が爛れるほどに熱く。二度と忘れることのない、僕の大切な火傷になった。
「覚悟が決まったようだね。素直な子は大好きさ」
君は間抜け者だけれど、真に大切なものは備えているんだね。ボクとは違って。
彼の言葉は、やけに自罰的に聞こえた。
「新人研修の初日はこんなもんかな〜。ねぇひなた君。何度でもいうよ、死ぬ気で働け。死ぬまで動け。君は馬鹿なんだから。頭空っぽにして、百万人救えばいいよ。したらボクがヨシヨシだ」
「うん」
コーヒーを飲み干す。




