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静淵の竜は、世界を視る  作者: しぇくしーふっふー


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第四話 交易都市メルカディア

城門をくぐった瞬間、世界が変わった。


人の波だった。行商人が荷車を引き、旅人が地図を広げ、子供が屋台の間を縫って走っていく。軒を連ねる店々から客を呼ぶ声が飛んでくる。石畳の上を東の王国の軍服を着た男と、西の魔導師らしき長衣の女がすれ違う。どこかで楽器が鳴っていた。


匂いがした。焼けた肉の香り、香辛料の煙、干した果物の甘さ、革と油の匂い。それが混ざり合って、メルカディア独自の空気を作っている。


「ほう……」


隣でラミフィオーレが静かに言った。


「これは大した賑わいだ」


尊大なあの方が素直に感心している。それだけでこの街の規模が伝わった。


リネットも圧倒されていた。父から話は聞いていたが、実際に立ってみると違う。街が生きていた。


屋台の列の向こうから、炭火で何かを炙る香ばしい煙が流れてきた。その瞬間、ラミフィオーレの足がほんの一拍だけ止まった。


赤い瞳が煙の方向へ向く。


「まず、用を済ませるか」


自分に言い聞かせるように呟き、また歩き出した。





冒険者ギルドは大通りから一本入った広場に面していた。石造りの頑丈な建物で、扉の上に剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられている。


中に入ると、広い受付フロアを数人の冒険者が行き来していた。掲示板に依頼書が並び、奥のカウンターには受付の人間が二人いる。


リネットが窓口へ向かうと、眼鏡をかけた女性が顔を上げた。きちんと結い上げた髪に清潔感のある制服。親しみやすい笑顔だったが、目がよく動いていた。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」

「冒険者の新規登録をお願いしたいんですが」

「かしこまりました。こちらの用紙にご記入をお願いします」


差し出された用紙を、リネットはラミフィオーレへ渡した。


ラミフィオーレは用紙を一瞥し、迷いなく記入を始めた。羽ペンが淀みなく走る。


しばらくして用紙がカウンターへ戻された。受付の女性——胸の名札にはキアラとある——が用紙を手に取り、確認し始めた。


数秒後、その手が止まった。


眼鏡の奥の目が、ゆっくりと細くなる。


「あの……」


丁寧な声だったが、わずかに違う色が混じっていた。


「古代文字ではなく、現代の文字でお願いできますか……?」


ラミフィオーレが怪訝そうに眉を上げた。


「なんだ? この文字は使えぬのか」

「現在は……使われていない文字でして」


キアラは用紙を差し出した。リネットが覗き込む。そこに書かれていたのは、確かに見たことのない文字だった。形は整っているのにまったく読めない。


「代わりに書きます」


リネットはラミフィオーレから必要なことを聞き取りながら、新しい用紙に記入した。名前、出身地は不明、職業は魔法使い。


その間、キアラはラミフィオーレが書いた用紙を、視線を外せない様子でじっと見つめていた。


登録が進み、最後に魔道具での照合が行われた。小さな水晶球に手をかざすだけの手順だ。


「犯罪歴の照合です。少々お待ちください」


水晶球が一度光り、消えた。


「問題ございません。登録完了です」


キアラが新しい冒険者証を差し出した。刻まれているのは、銅色のブロンズの印だ。





ギルドを出たところで、ラミフィオーレが掲示板の依頼書を眺めていた。


「リネット。この"ゴールド"とあるのは何だ」

「依頼のランクです。難易度に応じてブロンズから上がっていきます」

「では早速、これを受けるとするか」


ラミフィオーレが指したのは、ゴールドランクの討伐依頼だった。


「……受けられません」

「何故だ」

「ラミフィオーレ様はブロンズ登録なので、ゴールドの依頼は受けられないんです。ランクを上げるには、低いランクの依頼から実績を積まないといけなくて」


ラミフィオーレはしばらく依頼書とリネットを交互に見た。


「……面倒だのぉ」


深い溜め息だった。心底面倒そうだった。


「最初はみんなそうです。簡単なのから一緒にやりましょう」

「最初はみんなそう……か。ところで」


ラミフィオーレがリネットを見た。


「様は付けなくてよい」

「え? でも」

「一応、お主の方がランクが上であろう。それに長い付き合いになる。様付けも面倒だ」


リネットは少し考えた。呼び捨てはさすがに憚られる。


「……では、ラミさん、と」

「好きにしろ」


興味なさそうに言って、ラミフィオーレはギルドの扉を押した。





宿の手配は、ギルドの近くにある冒険者向けの宿で済んだ。冒険者証を見せると割引が利く。荷を部屋に置いて、リネットは一息ついた。


ラミフィオーレは部屋を一瞥して「狭いな」と言った。文句ではなく感想のようだった。


街へ繰り出したのは、昼を少し過ぎた頃だった。


大通りを歩きながら広場の位置、武器屋と道具屋の場所、ギルドまでの近道を確認していく。リネットが「こっちです」と引っ張り、ラミフィオーレが「ふむ」と従う。それが自然なリズムになってきていた。


屋台の列を抜けた角で、炭火の香りが漂ってきた。


ラミフィオーレの足が、今度こそ止まった。





串に刺さった肉が炭火の上で炙られていた。


モー・モウの串焼きだ。この地方で飼われる家畜で、肉付きが良く脂が乗っている。屋台の主人が扇であおぐたびに炭火が赤く熾き、脂が滴って白い煙が上がる。


焼き色が入っている。照りがある。


ラミフィオーレが無言で財布を出した。


「お、お待ちを。あたしが——」

「よい。これくらいは持っている」


銅ルーナを二枚、無造作に置いた。串が二本差し出される。


ラミフィオーレは一本を受け取り、すぐに齧った。


リネットも一本を手に取って口をつけた。


表面は香ばしく、中は柔らかかった。塩が効いている。歩き回って空いた腹に、肉の旨味がじわりと広がる。屋台の料理だ。丁寧な仕事ではないかもしれない。それでも旨かった。


隣でラミフィオーレがもう一口食べた。


咀嚼して、少し間があった。


「塩が勝ちすぎている」


リネットは串を持ったまま振り向いた。


「でも……お顔は悪くないと言ってますよね?」

「うむ、悪くない」

ラミフィオーレはそう答え、もう一口食べた。





その頃、ラミフィオーレは内心で静かに舌を巻いていた。


塩は確かに強い。だが、この力強い旨さは——炭火と脂と獣の本来の味が、単純に重なっている。余分なものがない。素材と火と塩、それだけでここまで出るとは。


屋台ならではよな、とラミフィオーレは思った。豪勢な調理場では出せないこの野趣。悪くない。満更でもない。


ふと、何かがよぎった。


この力強い味の奥に、名状しがたい既視感がある。知っている。どこかで確かに——。


記憶を探る。何も出てこない。


腑に落ちぬ。


だが、ラミフィオーレはそれを深くは追わなかった。串の残りを食べて、煙の上がる屋台を静かに眺めた。





日が傾いてきた頃、二人は宿へ戻った。


夕食は宿の食堂で、旅人向けの煮込みと黒パンだった。街道の宿場のものより少し整っているが、豪勢ではない。リネットが「悪くないですね」と言うと、ラミフィオーレが「まあな」と短く返した。


部屋に戻り、リネットは脚を伸ばした。


「明日、簡単な依頼を受けに行きましょう。ブロンズでも取れる薬草の採取とか、荷の護衛とか」


ラミフィオーレは天井を見上げたまま言った。


「草を摘むのか」

「最初はそんなものです」

「……面倒だのぉ」


同じ台詞だった。リネットは苦笑して目を閉じた。





翌朝ギルドへ向かうと、カウンターにキアラがいた。


二人の姿を見て立ち上がる。いつもの丁寧な笑顔だったが、眼鏡の奥の目が昨日と少し違う光を持っていた。


「ラミフィオーレさん、よろしければ——少しお話をさせていただいてよろしいでしょうか」


ラミフィオーレはキアラを見た。視線だけで問う。


「場所を変えてご説明させてください」


奥の応接室へ案内され——扉が静かに閉まった。

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