第百十三話 記憶と想いを結ぶ風
夕方に差し掛かる前の穏やかな時間。
口のなかに広がるミルクと果実の混じり合った甘い味。
研究室の一角には、優雅とは呼べない景色があった。
「お嬢さん、紅茶よりも君が欲しい」
「もぅ! やめてください。あぁ……くすぐった……」
ふわっとした栗色の短い髪を乱しながら、白い肌を薄い桃色に染める少女に、桜色の頬を摺り寄せる少女が迫っている。
ベリーが可愛いのが分かるけれど、むしろ私も混ぜて欲しいというか。
姉が取られたようで、少し複雑な気持ち。
それでも、美少女がじゃれ合っている姿からは目が離せない。
「おい、そう言いながら、お前もそいつに付き合うなよ」
「私、そのぉ……、イヤじゃないです……」
ニアの言葉に、控えめに反応したベリーが可愛いのなんのって。
その時だった。部屋に『バチッ』と懐かしい音が響いた。
「あた、いたた……」
何かが弾けた音と共に、ニアの表情が歪んだ。
「悪い奴の気配がしての」
白衣姿の幼女が冷徹な眼差しをニアに向け、何かの記録を取っていた。
「おい、ストロー。またやりやがったな。今回のはちょっと……全身痛かったぞ」
「あらぁ、ニアちゃん。肌が黒焦げ。何をしたらそうなるのかしら?」
さっきまでベリーを可愛がっていた? お姉ちゃんは、そう言いながら、今度は博士に近付いて、ぎゅ~っと抱きしめた。
「おぃ、こら。メルトよ、止さんか。やめぇ~」
「やっぱり……、ちっちゃい子はカワイイ!!!」
博士たちとの久し振りの再会に、暴走気味のお姉ちゃん。
底知れぬ冷たさを抱く博士も、お姉ちゃんの前では変な声まで出している。
姉の二人への大好きは、誰にも止められないのかもしれない。
目の前で無邪気にじゃれ合う二人。
その犠牲となった博士とベリーを尻目に、ニアがお姉ちゃんに言葉を返す。
「ぐぬぬ……。肌が黒いのは元からだ。そんなことよりもメルト、暴れすぎだろ」
「えぇ~。せっかく楽しんでたのにぃ……」
普段は静かな科学研究都市の中枢。
高度な最先端理論が日々進化を遂げていく未来を紡ぐ部屋。
ここにも、色んな顔がある。
この賑やかなひと時も、大切な一瞬だと改めて思った。
「ところで、ストロー。さっきから一体何を記録してるんだ?」
電気を体に通されたニア。
彼女は、先ほど博士が取っていた記録にふれた。
「おお。ニアよ、たまには良いところにふれるではないか」
「『たまには』は余計だ」
ニアは、少しだけ不服そうにそっぽを向いた。
「お主の精霊核を流れる魔力の性質や、他の魔力の干渉を受けたときの反応を調べていた」
「それをして、なんになるんだ?」
確かに気になる。
少しだけ優しい顔になった博士を、そっと解き放つお姉ちゃん。
博士はふぅっと息を吐き出して、ニアの方を向いた。
「ようは、リエージュに旅立つ前の穢れの状態や、お主の魔力の状態に変化がないのかを調べるための記録だ」
「ニアが悪い奴だから、記録を取られるのは仕方ない」
「それは否定しない。今回もついでに悪いところを治しといたぞ。少しは感謝して欲しいものだ」
博士の言葉にニアは体のあちこちを動かす。
それから、返事をした。
「そう言われてみたら……。悪いな。ありがとう」
「ラクラスよ、記録には少し時間がかかる。だから、大樹の都での話を聞く前にさせてもらった」
「大丈夫。必要なことをして欲しい」
「お主はどこぞの誰かと違ってできた子だ。どちらにしても一区切りしたし、片付けや次の準備をするから、しばらくくつろいどくといい」
博士の言葉に、その場にいた全員がちらっとニアへ視線を送る。
「お、お前らな……」
そんなニアの声を受け流し、私は博士に返事をする。
「わかった」
私が頷くなり、その姿を見た博士はベリーに紅茶の淹れ直しとお菓子の追加を依頼して、部屋の奥へと足を向けた。
それからしばらく、私たちは大樹の都で起きたことを博士に話した。
紅茶を口に運び、ときどきお菓子をつまみながら、一つずつ慎重に、正確に伝えていく。
すべてを話し終える頃には、テーブルの上の紅茶もすっかり少なくなっていた。
「……そうか」
博士は、短くそう呟いた。
それだけだった。
けれど、その声には何かを確かめるような響きがあった。
博士は手元の記録へ視線を落とし、しばらく何も言わない。
やがて、一枚の紙を指先で軽く叩いた。
「浄化の魔石が……現れたのか」
「うん」
「そして、ニアの穢れは残ったまま、と」
「そうだ」
ニアが答える。
「そうか。ふむ、なるほどな……」
ニアの返事に、博士は頷いた。
その表情からは、驚いているのか、何かを予想していたのか、私には分からなかった。
「……博士?」
私の呼びかけに、彼女は顔を上げる。
「なんだ?」
「どうして……そんなに落ち着いてるの?」
「落ち着いている?」
「浄化の魔石は……、とても凄いものだった。なのに……」
「そうだな……」
博士は微笑んだ。
けれど、その微笑みはどこか遠かった。
「強いて言えば、次に何を調べるべきかを常に考えているからかもしれぬな」
「次に……?」
「そう。今回なら、お主らが持ち帰ったものをどう扱うかというところだ」
そう言って、博士は私たちを順番に見た。
その瞳の奥に何があるのか、やっぱり私には分からない。
だけど、その瞳はまるで、『ソウルレコード』の話を知った日と同じだった。
あの日、博士が言っていた『想いは力になるが、穢れもまた形を持つ』という言葉が示していた未来。
そして、ニアが口にした、『……博士、変だよな。なんか、全部分かっているみたいな言い方だし』という言葉。
私たちが話したことの先にある何かまで見えているようで――。
「……まあ、よい」
博士は椅子から立ち上がる。
「話はよく分かった。まずはニアの状態をもう一度確認するとしよう」
「また……電気か?」
ニアの表情が一瞬引きつったかのように見えた。
でも、体が楽になるなら、快感?
想像すると怖い。
考えるのは止めておこう。
「嫌なら別の方法にするが?」
「……いや、やってくれ」
「素直でよろしい」
博士が小さく笑う。
その笑顔は、いつもの幼女の表情に戻っていた。
なのに私は、さっきの一瞬だけ見えた瞳をなぜか忘れられなかった。
その瞳が――、あの日と同じ、私たちの行く未来を映しているようだったから。




