第百十二話 空と海の巡る午後
高く積み重なった研究塔。
陽光に煌めく海。
塔と塔を繋ぐ高層路の向こうを、魔導列車が静かに走っていく。
昼下がりのティラミスを吹き抜ける風が心地好かった。
少し前まで見慣れていた風景……。
なのに、なぜか懐かしい。
「やっと着いたな!」
隣で、ニアが大きく伸びをした。
「歩いたからね」
「それにしたって長かっただろ。腹も減ったし」
やっぱり、それなんだ。
朝から何度目か分からない言葉に、私は小さく息を吐く。
「ララちゃん。先に研究所へ行く?」
お姉ちゃんが、街の中央に並ぶ研究塔へ視線を向けた。
ストロー博士の研究所。
前に訪れたときも、何度もあの場所へ足を運んだ。
記憶。
魔力。
そして、私たちにはまだ分からないもの。
今回、もう一度ここを訪れた理由も、その先にある。
「……先に、博士のところへ行こう」
「おい、次の休憩で飯にするって……」
すぐ横から、不満そうな声が漏れる。
「ニア、休憩を取ろうなんて……私、言ったかな?」
「ララ、声が怖い。だって腹減ってるんだから仕方ねぇだろ! ララも脳に栄養が足りてないんじゃねぇか?」
私の問いに、ニアは失礼な言葉を返してきた。
私とお姉ちゃんは、顔を見合わせる。
「なら、研究所に行く途中で、何か買えばいいんじゃない?」
「だったら……いいけどさ。でも、ちょっとあたしに冷たくないか?」
「ニ・ア? 何か言った?」
低い声で、問い返す。
「えっと……ララ? なにも……」
私とニアの遣り取りに、お姉ちゃんは笑みを浮かべていた。
なんだかとてもご機嫌そうだった。
ひとり楽しげな姉の姿を隣に、ニアも途端に機嫌を直した。
単純だ。
石畳へ足を踏み入れる。
通りの先では、陽光を受けた宝石が店先で細かな光を散らしていた。
その横を、荷車を押した人たちが行き交う。
焼き菓子の香ばしい匂い。
遠くから、金属の触れ合う音が聞こえてくる。
前に歩いたときと同じ景色。
けれど、あの頃の私たちとは少しだけ違う。
私たちは、ティラミスを離れていた。
そして、もう一度ここへ戻ってきた。
ニアに残された穢れ。
フィリエルが言っていた、リエージュの始まりの鍵――『浄化の魔石』。
その先に続く答えを紐解くために。
眼下に広がる街。
高層路を抜けた先で、視界が一気に開けた。
街中を走る幾筋もの魔力の光。
そして、塔の中腹から伸びた透明な橋を滑る魔導列車。
建物の隙間を縫うように行き交う小さな浮遊機――。
その下では、魔力の流れに合わせるように街も動いていた。
道を横切る荷車が止まると、その横を人々が足早に通り抜けていく。
頭上では、浮遊機が一定の間隔を保ちながらすっと高度を変え、別の機体と交差していった。
透明な橋では列車が速度を落とし、すれ違った別の車両が光の軌跡を残して遠ざかっていく。
ひとつひとつは別々に動いているのに、どこか噛み合っている。
人の営みと魔導技術が、ひとつの大きな流れになっていた。
高層路の下を抜けた瞬間、頭上でいくつもの光が弾けた。
塔の壁面を走っていた光の線が一斉に向きを変え、別の塔へと流れていく。
次の瞬間、遠くの塔でも光が灯った。
ひとつ、またひとつ。
街全体が呼応するように、陽光の中へ新しい光が走っていく。
それに気付いた子どもが、道の端で足を止めて空を見上げていた。
街中に魔力が巡っている。
視線を落とすと、さらに下にも別の道が続いていた。
建物の間を渡る細い通路や、塔の壁面に沿って伸びる階段が、幾重にも重なっている。
人の姿が小さくなりながら行き交い、そのすべてが遠い海へ向かって流れているように見えた。
高い場所に築かれた都市は、空と海の間に浮かんでいるみたいだった。
瞳に飛び込む壮大な景色は何度見ても新鮮で――それだけで、胸が高鳴った。
研究区画の一角では、白衣を着た研究員たちが立ち止まり、宙に浮かべた術式を囲んで何かを話している。
幾重にも重なった魔法陣の中で、小さな金属片が一定の軌道を描いて回っている。
その動きを追うように、研究員たちの指先が術式の上をなぞっていた。
術式の一部が書き換わるたび、金属片の軌道がほんの少しだけ変化する。
その変化を追う研究員たちの目は真剣で、私は思わず足を緩めた。
陣のひとつが淡く明滅する。
それを追うように、研究員のひとりが別の術式を書き換えた。
一瞬の変化を追いかけるように、いくつもの手が動いていく。
「ララちゃん、また見てる」
お姉ちゃんの声に、私は顔を上げた。
「……ちょっと気になっただけ」
「ララ、ほんとそういうの好きだよな」
「そう?」
「うん」
お姉ちゃんが笑う。
その向こうで、ニアが大きく欠伸をした。
「で、『休憩がないまま』博士の研究室に着きそうなんだが……」
ニアの言葉に、私は研究塔の先へ目を向けた。
目的地までは、もうそれほど遠くない。
けれど、ここまで歩いてきたせいか、少しだけ足が重かった。
「……研究所の近くまで来たし、先に何か食べようか」
「やった!」
ニアの声が、通りに響いた。
ちょっと恥ずかしい……。
私は小さく息を吐きながら、そのまま歩き出す。
博士を訪ねるのは、そのあとでいい。
少しだけお腹を満たしておこう。
そのほうが、きっと落ち着いて話せるから。




