第五話 願いを描く人
私たちは互いに挨拶を済ませたあと、素敵な出会いを楽しんでいた。
それにしても、不思議だ。
初めて会ったはずなのに、ミントと話していると、どこか懐かしい。
ずっと昔に出会った誰かと、もう一度巡り会えたような気持ちになる。
……違う。
出会っていたのは、この人ではない。
この人が描いた景色だ。
そう思った瞬間――自然と、壁に飾られた一枚の絵へ視線が向いていた。
「その絵が、気になりますか?」
ミントもまた、その絵へ目を向ける。
「やっぱり素敵だよね!」
お姉ちゃんが目を輝かせる。
「ずっと見てても飽きないよな」
ニアが感心したように絵を眺める。
「私も、初めて見た時は同じでした」
アミサが懐かしそうに笑う。
気付けば、ずいぶん長い間見入っていたという。
「……絵って不思議だな」
ニアが腕を組む。
「誰も描いてないのに、人がいるように見える」
その言葉に、ミントは小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。私は、景色だけを描いているわけではないんです」
「……時間を描いてるの?」
思わず口にしていた。
ミントは少しだけ目を丸くした。
けれどすぐに、その表情は穏やかな微笑みへ戻る。
「はい」
街を描いた絵に視線を向けて、小さく頷いた。
「その場所で笑い合った日々も。涙を流した時間も。何気なく過ぎていった毎日も」
今度は森を描いた絵に視線を向けて優しく目を細める。
そして、言葉を続ける。
「景色は、人が生きた時間を静かに覚えています」
少しだけ言葉を選ぶように間を置く。
それから再び、言葉が零れる。
「だから私は、その場所そのものではなく――そこに残った想いを描きたいと思っているんです」
部屋の中に落ちる静かな沈黙。
誰も言葉を挟めない。
それなのに、何も足りないとは思わなかった。
「……だからか。誰も描かれてないのに、誰かがいるように見えたのは」
ニアが小さく呟く。
ミントは嬉しそうに頷いた。
「そう感じていただけたなら、とても嬉しいです」
本を開いた時に感じるものと、今この絵から伝わってくるもの。
形は違っても、どちらも誰かの時間に触れている気がした。
それはきっと、大切なものを未来へ繋ぐためにあるのだと思う。
しばらく誰も口を開かなかった。
部屋には穏やかな時間だけが、ゆっくりと流れていく。
やがて、お姉ちゃんが遠慮がちに微笑んだ。
「ミントは、どうして旅をしてるの?」
その問いに、ミントは少しだけ目を伏せる。
迷っているようには見えない。
遠い日の景色を静かに辿っているような沈黙だった。
「……私には、残しておきたい景色があるんです」
そう言って、一枚の絵へ視線を向ける。
夕焼けに染まる小さな村。
誰の姿も描かれていない。
けれど窓から零れる灯りだけが、そこに確かな暮らしを映していた。
「長い年月を旅してきた中で、本当にたくさんの景色と出会いました」
穏やかな声が、部屋へ溶けていく。
「美しい場所も。賑やかな街も。誰にも知られない、小さな村も」
一度だけ言葉が止まって、ミントが窓の外へ目を向けた。
「でも、どんな景色も、そのままでは少しずつ変わってしまいます」
柔らかな陽射しを受けた街並みを眺めながら、静かに言葉を紡ぐ。
「人が旅立ち、街が変わり、思い出だけが少しずつ遠くなっていく」
その横顔に寂しさはなかった。
長い時間の中で変わっていくものを、静かに受け入れてきた。
そんな人だけが見せられる、穏やかな表情だった。
「だから私は、失われる前に描いておきたいんです」
今度は夕焼けの村を描いた一枚へ視線を移す。
「景色だけではなく――」
少しだけ言葉を選ぶように間を置く。
それから再び、言葉が零れる。
「そこで確かに生きていた、人たちの想いまで」
お姉ちゃんが静かに息をついた。
「……だから、あんなに温かい絵になるんだね」
ミントは少し照れたように笑った。
「昔の私は、違ったんです」
その一言に、自然と全員の視線が集まる。
「もっと上手に描きたくて。もっと綺麗に描きたくて。そんなことばかり考えていました」
少しだけ遠くを見るような目線でミントが周囲の絵を懐かしそうに見つめた。
「誰かに認めてもらいたくて、必死だった頃もあります」
哀愁を帯びた笑みを浮かべる。
「でも、ある時気付いたんです」
ミントは言葉を止めた。
遠い日の出来事を思い返すように、一枚の絵へ目を向けた。
「ある方が、一枚の絵を見て、『温かい気持ちになりました』と言ってくださったんです」
その言葉を胸の中で大切に抱くように、小さく微笑む。
「その時、初めて分かりました。絵は、誰かに勝つために描くものではありませんでした」
静かな眼差しが、部屋に並ぶ絵をゆっくりと見渡す。
それから、静かに息を吐くように想いを声へ乗せた。
「誰かの心へ、想いを届けるためのものだったんです」
ミントが残そうとしているもの。
その意味に、少しだけ触れられた気がした。
その絵が見てきた時間を、もっと知りたいと思った。




