第百七話 背負った理由
優しい。
それは誰かに寄り添うための言葉。
誰かのために泣いて。
誰かのために笑う。
――それなのに。
ティアとセレスの表情は、まるで違っていた。
「……どういうこと?」
気付けば、そう聞いていた。
ティアは、少しだけ困ったように笑う。
けれど、その笑顔はどこか弱々しかった。
「難しいんだよね」
その声は、どこか沈んでいた。
「私たちも、ずっと答えを探していたから」
セレスも静かに視線を落とした。
大切な友がこの場所にいない。
そう思うと、何を言えばいいのか分からなかった。
答えを探していた。
それではまるで、今も終わっていないみたいだ。
隣でセレスが静かに目を閉じる。
「ルシアはね」
小さな声だった。
「誰かが傷付くことを、とても嫌う子だったの」
ティアが頷く。
「自分が傷付く方がいいって、本気で思ってた」
「そんなの当たり前じゃない?」
思わず言葉が出た。
困っている人がいたら助けたい。
傷付いている人がいたら手を伸ばしたい。
そのためなら、自分が傷付くことだってあるかもしれない。
それは間違ったことじゃない。
私にはそう思えた。
ティアは、ゆっくり首を振る。
「ううん」
その声は、とても冷たかった。
「ルシアはね――」
ティアは少しだけ目を伏せて続ける。
「自分がどうなるかなんて、きっと考えてなかった」
風が髪を揺らした。
「誰かが苦しそうにしてたら、その人の方が大事だった」
「誰かが傷付いてたら、自分のことみたいに胸を痛めてた」
ティアが懐かしむように小さく笑う。
でも、なぜかその姿が少しだけ痛そうにも見えていた。
「だからね――」
その言葉は、どこか遠かった。
「ルシアは、いつも抱え込んじゃうの」
「抱え込む?」
「……うん」
今度はセレスが静かに頷いた。
「助けを求められたら断れない。困っている人を見つけたら放っておけない」
「悲しんでいる人がいたら、一緒に悲しんじゃうの」
そこまで聞いても、やっぱり私は間違っているとは思えなかった。
ルシアの話を聞けば聞くほど、優しい人だと思った。
だけど――どうして二人は、そんな顔をするのだろう。
私が何も言えずにいると、ティアはゆっくりと空を見上げた。
彼女は、空の彼方を見つめながら呟いた。
「罪を負った人もいた。でも……それだけじゃなかったの」
胸が強く脈打つ。
その言葉に、大樹の記憶で見た光景が重なる。
争い。
別れ。
互いを隔てるために築かれた楔。
罪を負った魔族。
そして――。
犠牲の上に成り立つ平和。
「誰かが悪かったわけじゃない」
今度はセレスが口を開く。
「みんな守りたいものがあっただけ」
その声は静かだった。
「家族もいた」
ティアが続ける。
「友達もいた。帰りたい場所もあった」
当たり前の話だった。
だからこそ苦しかった。
犠牲になりたくなかったんじゃない。
残していけなかったのだ。
「ルシアは、それを知ってた」
懐かしむように、ティアが小さく笑う。
でも、少しだけ苦しそうにも見えた。
「だから誰も責めなかった」
ティアは小さく目を伏せる。
「罪を負った人も。そうじゃない人も……みんな苦しんでいたから」
私は、息を呑んだ。
ニアの言葉が脳裏をよぎる。
――穢れって、すべてが “ 悪 ” じゃない。
もともとは、この世界の循環の一部。
ただ、流れを止められた時に、痛みになるだけ。
あの言葉が、今になって少しだけ違って聞こえた。
もし、罪を負った者だけではなく、罪もない誰かまで、その痛みを背負っていたのだとしたら――。
「だからね」
ティアが呟く。
「ルシアは、自分が背負えばいいって言い出したの」
胸が締め付けられる。
ルシアはきっと、それを特別なことだとは思っていなかったのだろう。
「今でも分からないんだ」
ティアが俯く。
「私たち、どうすればよかったのかなって」
声が震えていた。
「止めるべきだったのか」
少しだけ間が空く。
「支えるべきだったのか」
セレスも目を閉じる。
「あの選択は、本当に正しかったのか」
二人の表情を見ているだけで伝わってくる。
これは昔話なんかじゃない。
今も終わっていない痛みなんだ。
「でもね」
長い沈黙のあと――。
ティアはもう一度、空を見上げた。
月が遠くに見える空。
彼女は、その先に何かを探すように見つめていた。
「ひとつだけ分かることがあるの」
「……何?」
ティアは、泣きそうな顔で少しだけ笑っていた。
「ルシアはね……」
その声はどこまでも優しかった。
「私たちに泣いてほしくなかったんだと思う」
胸が苦しくなる。
「セレスにも。私にも。ずっと笑っていてほしかったの」
ティアは小さく息を吐く。
隣でセレスが静かに目を閉じた。
否定しなかった。
きっと、それが二人にとっての答えに一番近かったから。
そして私は、ようやく少しだけ分かった気がした。
ルシアが守りたかったものは、世界だけじゃなかった。
きっと――。
目の前にいる二人の笑顔だったのだと。




