第百六話 始まりの色
足元で白い彩花が揺れていた。
風が吹くたびに花弁が舞い、優しい光が空間を漂う。
静かだった。
でも、不思議と寂しくない。
終わってしまった世界。
その記憶が眠った場所。
それなのに、今感じているのは――温もりだった。
セレスとティアは顔を見合わせ、小さく笑う。
その仕草はどこにでもいる少女たちの姿と変わらない。
長い眠りについていたなんて、少しも思えなかった。
「ねぇねぇ」
最初に声を上げたのはティアだった。
「今の世界って、空を飛ぶ乗り物はあるの?」
「あるよ」
「本当に!?」
ぱっと表情が明るくなる。
その反応に思わず笑ってしまった。
「ティアは昔からそうだったの」
セレスが少しだけ困ったように微笑む。
「気になるものを見つけると、すぐ飛び出していくから」
「だって気になるじゃん!」
「それで何度も怒られていた」
「うっ……」
言い返せなくなったティアが頬を膨らませる。
そんなやり取りを見ていると、本当に昔の友達同士みたいだった。
みたい? 違う――きっとそうだったに違いない。
楽園がまだ楽園だった頃。
笑って。
喧嘩して。
誰かと一緒に未来を語るような日々。
この子たちにも、当たり前の日常があった。
私たちが大切にしているいつもの風景。
そんな日々が、確かにそこにあった気がした。
「ふふっ」
ティアが急に笑い出した。
「なんだか懐かしいなぁ」
その声に、セレスも静かに頷く。
「うん」
遠くを見るような目だった。
楽園がまだ続いていた頃を思い出しているのかもしれない。
そして――。
「きっとルシアも、今の話を聞いたら喜んでいたと思う」
「ルシア……?」
私が聞き返すと、ティアが少しだけ目を瞬かせた。
「あ……」
ティアから何気なく零れた名前。
その瞬間、彼女ははっとしたように口元を押さえた。
セレスはその隣で静かに微笑んでいるだけだった。
「ごめんなさい」
そう言って、小さく首を振る。
「私たちにとって、とても大切な友達だったの」
友達。
その言葉に、迷いはなかった。
だけど――。
少しだけ、寂しくなった。
セレスとティアの表情から、その子が今ここにいないことだけは分かった。
「すっごく明るい子だったんだよ!」
ティアが懐かしそうに笑う。
「いつも騒がしくて、よく怒られてた!」
「ティアにだけは言われたくないと思う」
「なんで!?」
すかさず返したセレスに、ティアが抗議の声を上げる。
そのやり取りがあまりにも自然で。
まるで今も、その輪の中にルシアという少女がいるように思えた。
「よく三人で森を走り回ったの」
セレスが静かに続ける。
「危ない場所には行かないって約束していたのに」
「ルシアが見つけちゃうんだよね」
「それでティアが付いていく」
「だって放っておけないじゃん!」
「結果はいつも同じ」
「うぅ……」
また言葉に詰まるティア。
思わず笑ってしまう。
きっと――。
本当に楽しかったのだろう。
話しているだけで伝わってくる。
失われた楽園なんて大層なものじゃない。
もっと身近な――。
誰かと笑い合う、当たり前の日々。
その記憶だった。
撫でるようなくすぐったい風が肌を掠めた。
ティアの長い髪も優しく揺れていた。
風が止んだあと、彼女は少しだけ俯いて、ぽつりと呟いた。
「でもね。ルシアはすごかったんだよ」
「凄かった?」
「うん!」
顔を上げた瞬間、ティアの瞳がぱっと輝く。
「気付くといなくなってるの!」
「え?」
「それで変なもの見付けて帰ってくるの!」
「それは褒めているの?」
セレスが静かに首を傾げる。
「褒めてるよ!」
「大体、その後に誰かが困っていた気がする」
「気のせいだよ!」
即座に返すティア。
その様子に、お姉ちゃんも小さく笑った。
「ふふっ。本当に仲が良かったんだね」
ほんの一瞬だけ、二人は顔を見合わせる。
それはまるで、言葉にならない何かを確かめるようだった。
「うん」
セレスが頷く。
「大好きだったから」
胸に響く静かな言葉だった。
二人の想いが心の底に優しく沈んでいく。
――大好きだった。
長い時間を越えてなお消えなかった想いが、その中に込められている気がした。
しばらくの間、誰も言葉を続けなかった。
ティアは、少しだけ視線を落とす。
さっきまで楽しそうに笑っていた顔。
そこに、懐かしさとは違う色が混じった気がした。
「ルシアはね……放っておけない子だったの」
ティアがぽつりと呟く。
「放っておけない?」
私が聞き返すと、ティアは小さく頷いた。
「困っている人を見つけると、すぐ駆け寄るの」
「それで自分まで困る」
セレスがそっと付け加える。
「うっ……それは確かに」
ティアも否定しなかった。
「誰かが泣いていたら、一緒に泣いて」
「誰かが笑っていたら、自分のことみたいに喜んでいた」
「だから、みんなルシアのことが大好きだったんだよ」
なぜだろう……?
会ったこともないのに、ルシアが笑っている姿が目に浮かんでくる。
「優しい子だったんだね」
お姉ちゃんが柔らかく言う。
「うん」
ティアは小さく頷いた。
でも、その顔は少しだけ寂しそうだった。
「でもね――」
ティアはそこで言葉を止める。
隣にいたセレスも、ゆっくりと目を伏せた。
「優しすぎたの」
その一言だけで、胸が少し苦しくなった。
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