第百五話 祈りのかたち
肌を撫でる風、枝葉の騒めき、光の色めき。
世界が呼吸している……。
その中に混じって感じる、この壮厳な気配。
『死』も『生』も『痛み』も『祈り』も溶け合ったようなこの感覚――。
この地に訪れる前に踏み入れたあの森の息吹と同じ。
生と死の境が解かれた楽園の名残り。
かつての人々の意思が未だに巡っている。
以前、フィリエルが語っていた『記録と魂の回廊』――。
その言葉の意味を、私は少しだけ理解し始めていた。
――終わってしまった世界。
あの時……、リアンとアリヴィアから失われた温もり。
静かに降り積もっていた白い粒子。冷たい空間。
世界の始まりが、終わりと同時に訪れる場所。
この場所の意味を理解し始めたそのとき――。
ひとひらの白い彩花が舞った。
白が空間に溶けて……。
やがて、広がる優しい光。
「温かい……」
思わず声が漏れていた。
“――ルーナ。リアたちの祈りが……“
“――リア……。さぁ、還ろう“
どこからか、響いた声。
幸せそうなのに、どこか哀しさを感じずにはいられなかった。
「お、おい……」
ニアがフィリエルの方を指で差して固まっている。
指の先には、二体の……。
ニアとは違い、私は冷静だった。
周囲の状況を整理し始める。
「貴方たちは?」
いつもの光の妖精……ではなかった。
人に似た容姿をした幼さを残す二人の少女。
どこか現実感が薄い。
確かにそこにいるはず。
なのに――。
淡い光に溶けてしまいそうな不思議な存在だった。
「記録と魂の回廊を彷徨っていた祈りのかたち」
「私たちは、この楔のなかで長い眠りについていたの」
穏やかな声だった。
まるで懐かしい夢を語るような響き。
楔――。
かつて見た記憶の中で、種族たちの別れと未来への願いを刻んだ大樹。
この子たちは、その記憶の中にいた存在なのだろうか。
「ずっと……ここにいたの?」
気付けば、そんな言葉が零れていた。
少女たちは、小さく頷く。
「約束があったから」
「大切なものを忘れないために」
もし、それが真実だったのなら……。
永遠のように出口のない眠り。
この子たちは、それをどんな想いで受け入れたのだろう。
楽園の日常は、それほどまでに尊いものだったに違いない。
「そう。あの懐かしくて温かな時間の欠片を胸に抱きながら」
「かつての日々を夢みながら――」
「今の私たちと同じ。貴方たちが愛したかけがえのない日々があったから――」
二人の想いに胸が詰まって言葉が続かなかった。
「――だからね、その祈りを抱きながら、私たちは今を生きているんだよ。この世界の礎を築いてくれてありがとう」
お姉ちゃんが、代わりに私の想いを言葉にしてくれた。
(ララちゃんが言いたかったことって、こういうことだよね?)
(うん――。ありがとう)
少女たちは、少し驚いたように目を見開いた。
けれど次の瞬間、どこか嬉しそうに微笑む。
「私は、セレス」
「私、ティア」
月明かりのように穏やかな雰囲気を纏うセレス。
彼女の淡い橙色の髪の周囲では、赤と蒼の光の粒子が静かに明滅していた。
対するティアは、白金の髪の周囲に黒い光の粒子を漂わせている。
太陽のような明るさを感じさせる少女だった。
正反対の印象を受けるセレスとティア……。
なのに、少しの違和感もない。
二人が並ぶ姿は、とても馴染んでいた。
少女たちは、私たちに歩み寄ってくれた。
「よろしくね」
「うん。よろしく」
この静かで冷たい場所に、ほんの少しだけ温もりが生まれた気がした。
不思議……。
なぜだろう?
初めて出会ったはずなのに、どこか懐かしい。
そう――。
ずっと昔に別れた誰かに再会したような感じ。
それはきっと、この場所に満ちる祈りのせいだけじゃない。
セレスとティア自身が、かつての楽園を今も抱き続けているから――。
そんな気がした。
「ねぇ」
最初に口を開いたのはティアだった。
「今の世界は、どんな世界なの?」
どんな世界……か。
失われたものはたくさんある。
悲しい出来事もある。
理不尽だって少なくない。
それでも――。
「優しい人たちがいる世界だよ」
自然とそんな言葉が出ていた。
ティアは目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「そっか! ちゃんと続いていたんだね」
『続いていた』。
その言葉が胸に残る。
あの森で感じた息吹も。
記憶の回廊で見た楽園も。
目の前の二人が抱き続けてきた願いも。
全部、途切れていなかった。
セレスも小さく微笑んだ。
どこか安心したような表情に見えた。
「よかった……」
とても静かな一言。
長い長い時間を越えてきた、重みを感じる短い言葉。
そして――。
私たちは、失われた楽園の記憶を繋ぐ少女たちと向き合った。




