話をしてくれない彼女
新しく追加された同居人との生活は、とにかくぎくしゃくしたものとなっていた。
怪人達の場合はテイルが親である上に一定の常識と技術を持って製造される為共に暮らしたとしても何ら困る事はない。
ユキの場合最初に多少のぎくしゃくさはあったものの、概ね問題なく暮らしていけている。
それはユキが天才であるが故何でも手伝える万能性と、そのわかりやすいとも言える性格故である。
だが、新しく追加されたエイレーンの場合はそうではない。
お互いが気を使っているからコミュニケーションがただでさえうまく取れないのに、日本語がたどたどしい。
それに加えて掃除洗濯料理全てが駄目という同居人として考えるに最低な能力となっていた。
とは言え、クアンや十和子、テイルと言った他人の世話が苦ではない人が多く在籍している為出来ずとも物理的な意味では何の問題もない。
そして、好んでお節介を焼く人間が多い為手伝いをしなくとも誰も気にもしない。
問題になるのは、何も出来ずにいるエイレーンの心境だけである。
皆が出来ている事、当たり前のようにやっている事を自分だけが出来ない。
それはエイレーンの想像以上に辛い事態だった。
カシャーン!
小気味良い音と綺麗な真っ白い皿は破片となり周囲に散らばる。
クアンは皿が割れ散った瞬間に水の力で破片を一つ残らずさっと纏め、ふわふわと宙に浮かべそのままゴミ箱に破片だけを投げ込んだ。
手際の良い行動だが、それはクアンの能力が高くなったわけではない。
エイレーンが皿を洗いだして三十分経っており、そして皿を落として割ったのはさっきで五度目だった。
それはクアンが割れた音を聞いた瞬間に水操作で破片を集めゴミ箱に放り込む動作が行えるようになるのに十分な回数だった。
「……ご、ごめんなさい」
おろおろとした様子のまま小さな声で呟くエイレーンにクアンは微笑む。
「いえいえ。良いんですよ」
ただただ優しく、穏やかに本当に気にもしていないクアン。
そんな優しいクアンだからこそ、今エイレーンを最も苦しめていた。
『どうして自分は何も出来ないのだろう』
気にしなくても良いと良いながらクアンは片手間で皿洗いをこなしていく。
それは、自分がただ邪魔しかしていなかったのだとエイレーンが理解するに十分な光景だった。
いてもたってもいられなくなったエイレーンはエプロンを脱ぎ、クアンに深く頭を下げる。
「ごめんなさい。邪魔しか出来くて……ごめんなさい」
そしてそのまま、どこかに走り去ってしまった。
「気にしなくても良いですのに……」
「そりゃ無理でしょ」
クアンの呟きに、どこからともなくユキが現れてそう言葉を返した。
「あら。ユキさんどうしました?」
「いえ。ちょっとお茶でも持ってってあげようかなと思ってさ……」
「んー? ……ああ。ハカセの休憩時間ですね。わかりました。私が――」
「――いや、私が用意するから良いわ」
ユキは食い気味にそう声を発した。
「そうですか? じゃ、お任せしますね。それで……さっきの無理ってどういう事です?」
「こっちの評価を上げたいけれど何も出来ない事と、皆が出来る事が自分だけ出来ない。そんな劣等感と焦燥感。それを気にするなってのは無理って話」
「……そうですか? 今は出来なくとも努力すればいつかは出来るしゆっくりで良いですのに……」
「それは自分が出来るからこそ出来る考え方よ」
今すぐ出来なかった家事が出来るようになりたい。
それは確かに甘い考えだが、それでも皆が出来て自分が出来ないという状況ではそう考えても仕方いがないだろう。
「……難しいですね」
「難しいに決まってるでしょ。知らない人と一緒に暮らすんだもの」
エイレーンはただの同居人であり、しかもお互いの関係を育んだ故の同居ではない。
むしろ、お互いに相手の事を全くわからず誤解している部分も大いに残されている。
未だエイレーンはテイルの事を何か勘違いしてに己が身を捧げる気でいるらしく、ユキも気が気ではなかった。
「それでも、私は気長にあの人と接していきたいです。……私には、あの人が助けを求めているようにしか見えませんので」
「そ。クアンがそう言うならきっとそうなのでしょうね」
クアンに救われたユキは微笑みながら頷き、トレーに二人分のお茶と茶菓子を乗せて両手で抱えた。
「あ、ハカセに夕飯の事聞いておいてもらえます? 忙しいなら私が作りますって」
「ん。わかったわ」
そう言ってユキはヒラヒラと手を振り、再度両手でトレーを持って移動を始める。
それを見送った後、クアンは鼻歌を歌いながら皿洗いの続きを開始した。
エイレーンは自分の部屋に戻り、お気に入りのベッドに倒れ込み枕に顔を埋める。
「はぁ……」
そして小さく溜息を吐き、己が失敗を振り返った。
ここに暮らし始めて今日で三日が経過した。
部屋に軟禁される事も覚悟していたがそんな事はなく、発信機付きの腕輪を付けていたら基地内どこでも自由に歩いて良いとさえ言われた。
その上で、必要な物があれば誰かに言えば用意してくれるとさえも。
至れり尽くせりで何でも出てきて、そしていつもご飯は美味しくて。
きっと幸せとはこのようなものなのだろう。
エイレーンはふかふかなベッドを楽しみながら、ふとそう思った。
こんなにふかふかなベッドで寝た事など今までなかったからだ。
許されるなら、ずっとここにいたいと考えるくらいである。
そう思える程度には、ARバレットは魅力的な場所だと感じていた。
美味しい食事に心地よい寝床。
優しい人しかおらず誰からも食事を奪われない。
好きな時に寝る事が出来て、誰からも暴力を振るわれない。
それはエイレーンが経験した事のない世界だった。
だけど、こんなに幸せになれてもエイレーンの心は全く安らかになっておらず、幸せであればあるほど焦燥感が高まり怒りが内から無限に湧き上がってくる。
理由はわかっている。
どれだけ幸せでも、どれだけ美味しくて楽しくても、今――ここにいるのは自分独りだけだった。
独りであるが故に、エイレーンはここが自分の居場所ではないと否が応でも自覚させられていた。
それがどれだけ幸せで、そして優しい世界であっても――。
だからこそ、エイレーンは己が目的を優先させる為に思考を張り巡らせる。
幸せな空間に入り浸るのではなく、目的達成の最短ルートの為にテイルを篭絡する。
それこそが、今のエイレーンのすべき事だった。
罪悪感がないわけではない。
悪い事をしている自覚も沢山持っている。
だとしても……いかなる犠牲を払ってでもエイレーンにはなさねばならぬ使命があった。
ユキはトレーを器用に頭に乗せて衣服の乱れをチェックし、小さく咳払いをした後トレーを片手に持ち、ノックの回数に少し悩んだ後――三回ノックをした。
「どうぞ」
テイルの返事を聞いて、ユキはそっと扉を開けた。
そこにはデスクに座ってPCとにらめっこをしているテイルの姿があった。
「お疲れ。でもちょっと休憩しなさいよ。ほら、飲み物持ってきてあげたから……紅茶で良かった?」
「ああ。すまんね。そうさせてもらおう」
テイルは席を立ち、ソファの方に移動して柔らかい感触に体を預けた。
その横にユキはそっと座り、テイルに紅茶とチョコーレトを挟んだクッキーを置き、テイルは即座にそのクッキーを掴み口に頬張った。
「あー。糖分が染みるわー」
しみじみと呟きながら、テイルは失われた口内の水分を紅茶で補充しながらクッキーを貪った。
「ほんと疲れてるわねぇ。……んで、どんな感じ?」
「……んー。大した事ない感じなんだが……その場合一つ疑問が残るんだ」
テイルは自分が調べた事を簡略化して、ユキに伝え始めた――クッキーを貪りながら。
ユキはテイルの口元を見て嬉しそうにしながら、テイルの話を聞き始めた。
テイルが調べていたのはエイレーンの事である。
名と性がわかり、西洋チックな外見で言葉が多少たどたどしい。
この情報をキーとして検索をかけ、情報を集めた結果――見事にヒットした。
エイレーン・ノースという人物は、不法侵入ならびに不法滞在容疑で半年前に指名手配されていた。
一年近く前に貨物船に乗りこんでこの国に侵入したと見られ、現在警察も協力して探しているそうだ。
サイトには顔写真こそ載ってないものの、記述された特徴は一致している為人違いの可能性は限りなく低いだろう。
「というわけで難民的な存在であるとわかったのだが……どうしようか」
テイルは困った顔をユキに向けた。
この国は正義と悪の組織というふざけ切った存在がいる。
存在や目的もふざけているが、一番ふざけているのはその強さである。
それゆえにその取扱いは危険物と同等に扱われており、外国からの拉致やスパイには非常に気を使っている。
つまり……外国からの不法滞在者に非常に厳しいのだ。
それは……匿ったテイルですら罪となるかもしれないほどに――。
「いや、本気で困ってるなら色々と何とかしても良いが……今彼女が何に困ってるかもわからないからなぁ」
まだ三日しか経っていないが、逆に言えばもう三日である。
その間エイレーンは一切自分の事を語ってくれず、何に困っているのか、どう困っているのか……そもそも困っているのかすらわかっていない。
そしてエイレーンの主観を省き、今調べた客観的な事実だけを考慮すると……ただの不法侵入した難民という事になってしまう。
そうなるとテイルに出来る事は何もなかった。
「ただ……そうなると一つ大きな矛盾というか不可解な点が見つかるがな」
「テイルは何が変だと思ったの?」
「体が怪人化しているだろう。ただの難民がどうして怪人化しているのかというのは大きな疑問点だな」
「んー……。テイル、いつくらいに改造されたかわかる?」
「わからん。ただ、二年以内では決してないな。それより前という事しかわからん」
「……外国でそういう怪人化の技術ってあるの?」
「俺の知る限りはない。怪人化なんて技術は国内オンリーの限定技術だ。まあ大人の事情とか複雑な事情があるとまたわからんがね」
「じゃあ、『外国でこっそり怪人化の人体実験している組織』がいるって事?」
ユキの言葉にテイルは首を傾げた。
「どうだろうなぁ。可能性が零とは言わないが、それならもう一つの方が可能性高いな」
「もう一つと言うと……」
「『エイレーンは数年前に国内にいて人体実験の材料にされた』っていう方がまだ可能性高い。ただ……その場合は去年に来て半年前に指名手配になったって方がおかしくなるな」
「テイル。私も一つ矛盾に気づいたわ」
「ほぅ。何だ?」
「エイレーンはたどたどしいけどしっかり言葉を理解して話せているわ。難民が一年で学べるとはとても思えない量をね。自国で学んだ可能性もあるけど……自国内で外国語を学べるような立場の人が難民になるとは思えないからその可能性は限りなく低いわ」
ユキがそう呟いた後に二人は『とてつもなく嫌な可能性』に気が付き、顔を向き合わせた後怪訝な表情を浮かべた。
「……テイル。その指名手配のサイト出してる?」
ユキとテイルは同時にソファを立ち上がりパソコンの前に移動して、テイルは椅子をユキに譲り立ったままマウスを操作してそのページをユキに見せた。
「ここ。警察のホームページにある難民情報コーナーの三十ページ」
「どれどれ……」
そのページを見た後ユキはカタカタと音を立てながらキーボードを叩きモニターに写る光景を目まぐるしく操作した後、ぴたっとその手を止めた。
「あちゃー。これまっずいわねぇ」
「……ユキ。何を見つけたのかな?」
ユキが見ているページは貨物船の積載リストらしいのだが、テイルにはそれが何かさっぱりわからなかった。
「えっとね。エイレーンがこの貨物船に忍び込んで密入国したってのが警察並びに入国管理局のデータに残ってるのよ」
「うん」
「でもね、見る限りどこにも人が乗っていた形跡がないのよね」
「うん……うん?」
「……あともう一個気づいたんだけどさ……これ見て?」
ユキはテイルに『警察のホームページにある難民情報コーナーの三十ページ』を再度見せた。
ただし、それは一週間前の『警察のホームページにある難民情報コーナーの三十ページ』であり、所謂魚拓と呼ばれるものだった。
そして……そこにはエイレーンの名前は載っていなかった。
「うわ……。あー……まーじかー」
「まーじよー」
ユキはテイルの口真似してそう答えながらもその顔は一切笑っておらず冷や汗を掻いていた。
エイレーン一人が悪者であるなら良かった。
だが調べる限りでは、そのその可能性は限りなく低いだろう。
少なくとも、二人はそう思っていた。
当たり前の話だが、泥棒であるエイレーンが正しい人であるなんて微塵も思っていないのだが、それでもエイレーン以外に誰か悪者がいる可能性が高いだろう。
そしてそうであると仮説するならば……その悪者は警察か管理局、またはそれらに影響を与えられるほどの組織だという事になってしまう。
もしかしてと思った『とてつもなく嫌な可能性』が現実味を帯びてきて、テイルとユキは苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。




