たった一つの望み
拉致されてから一週間、ユキは退屈を味わいながらの誘拐生活を過ごしていた。
ネットワークから遮断されたパソコンに何のソフトが入っているか調べ、中に入っていた映画を見て、高級ホテルも真っ青な食事を食べる。
それは外に出れない事を除けば理想的な生活であり、そして恐ろしいほどに退屈な時間だった。
映画を見る事が別に好きではなく、映画が好きなあの人と共に映画を見るのが好きなだけだった。
食事自体さほど好きではなく、美味しそうに食べるあの人と一緒に食べるのが好きなだけだった。
一人になって、ユキは自分の本心をようやく理解した。
あの時から、泣きわめいたあの出会いの瞬間からずっと自分は一途にあの人を想い続けていたのだと……。
だからこそ、ユキは日常を過ごすように平然とした表情のまま、戦う為にあらゆる可能性を模索していた。
もしこの世界にあの人がいないなら全てを壊す為に。
そしてまだこの世界にあの人がいるなら、あの人の元に帰る為に。
ノックの音を聞き、ユキが返事をした後部屋に入って来たのはこの部屋で一番最初に出会った男だった。
一週間ぶりにあった男は全く同じスーツを身に着け、胡散臭い笑みを浮かべながらぺこりとユキに頭を下げる。
「遅くなりもうしわけありません。私何分立場の低い使い走りの身でして。そんなわけですいません。頼まれていた事を調べるのにこんな時間がかかってしまいました。お世話の女中はしっかり仕事をしましたか?」
「そ。悪いわね。義理でも何でも人でも、一応元いた場所のトップだからね。どうしても気になって。ああ。お世話の人は皆良い人だったから助かったわ」
「そうですか。それは何より。そしてDr.テイル様についてですが、これをどうぞ」
そう言って男が渡した写真には、テイルが鬼気迫る表情でファントムと会話をしているものだった。
「……私達の所為ですが、やはり貴女を探しているようで……。愛されているようで羨ましい話です。ああ、この写真はいりますか?」
「――別に良いわ。どうでも。そっちで捨てて頂戴。それで、そろそろ私に何をして欲しいのか教えて欲しいのだけど?」
「ええ。その前に契約のお話を。と言っても尋ねたい事は一つだけですが。仕事の報酬として貴女が何を望むのか教えていただけませんでしょうか?」
「――へぇ。拉致相手にわざわざ報酬は出すんだ」
「逆ですよ。このような手筈となってしまったからこそ、報酬を多く出すのです。でなければ次の仕事が依頼出来ませんから」
「――上手なやり方ね。仕事の報酬を要求する前に、一つ頼みがあるんだけど良い?」
「ええ。外部への連絡手段以外でしたら」
「十人くらいいた中で来た三番目のお手伝いさん。黒髪の長い髪をした子。あの子が気に入ったから専属にしてくれない?」
「……一番貴女と遠い存在かと思うのですが……。正直、その……知性という意味でも能力という意味でも……」
「だから良いのよ。中途半端に賢げで、わざわざおべっか使うのよりもよほど気楽でストレス感じず仕事が出来るわ」
「なるほど。そう言う考え方もあるのですね。そういう事でしたら彼女を貴女専用にしましょう」
「ありがとう。仕事の報酬は……まだ決まってないけどほぼ確実に外国の身分と贅沢に暮らせる海外の拠点辺りにすると思うわ。今度もお仕事を受けやすいようにね」
「――それは重々。では仕事内容についてなのですが……私の口から仕事の事を話すよりも企画書を直に見た方が早いでしょう。すぐパソコンから閲覧出来るようにしておきますので、それを見てお願いします」
そう言って男はぺこりと頭を下げ、部屋を退出していった。
疲れを覚えたユキは盛大に溜息を吐きたい気分だったが、監視下にいる為のみ込み、そのまま表情を変えずベッドに横になって目を閉じ、さきほどの会話を振り返る。
表面上は普通の会話だったが、その内容は全く違い脅迫に近いものだった。
このテイルという男がお前の大切な人なんだろ。俺達は写真を撮るくらいには潜り込める。殺されたくないならわかってるな?
その言葉に対してユキは。
会社の義理で別にそんなのじゃないわ。やりたいならどうぞ。
そう返した。
ただし、ユキの最初の態度の所為でそれは逆効果でありユキの本心ではない事を男は理解した。
その後男は、ムチの後に飴を差し出すように報酬の話をし、ユキは従順となり逆らわない事を示す為、今後も仕事を引き受けるそぶりを見せた。
つまり、テイルというユキにとっての欠点がユキを若干以上に不利な立場となってしまったという事だ。
会話では完全に負けたユキだが、それでもこの会話で二つほど大きな収穫があった。
一つは当然、テイルが生きている事。
ただし、決して無事であったわけではないという事も同時にユキは理解出来ていた。
写真は撮影の角度やらで気づかれないよう巧妙に隠していたが、その場所は病院である。
そして鬼気迫る表情の為気づきにくいが、テイルの顔色が異常なほど悪い。
一週間経ってこれという事は……苦しい思いをしたのだろう。
ユキはまた一つ復讐する理由が増え、自分の中にある怒りが重なったのを感じた。
そしてもう一つ。
ユキが気づいた事……それは仕事が完成すれば確実な破滅が待っているという事だ。
会話の中で男が嘘を付いていると感じた部分は二つ。
『何分立場の低い使い走りの身』と『でなければ次の仕事が依頼出来ませんから』
男は相当以上に高い身分であるという事であり、そして報酬を払う気配が一切ないという事だ。
ついでに言えば男からはそんなビジネスをしたいという気配など一切なく、その男がユキを見る目は巧妙に隠しているが完全に道具に対するものだった。
おそらく男は、使い捨ての手袋と同程度としかユキの事を見ていないだろう。
そして報酬を払う気がないのに報酬の話をするという事……その答えはそう多くはない。
――死んだ方がマシな目に合うのかもね。
女中から数人程度は過去に拉致された人がいる事を知っているユキは、その人達が無事に逃げられた事を願いながらそう思った。
「失礼します! ……あ、ノック忘れた」
唐突に部屋に入って来た女中は、内側からドアをノックした。
「……どうぞ」
「はい失礼します」
そう言った後、女性は苦笑いをするユキににっこりと微笑みかけた。
「というわけで何故か専属のお世話係に任命されたのですが……いえ本当どしてです? 誰かの間違い?」
女性は自分の口元に人差し指を当て、体を傾けながら首を傾げた。
これは嫌味や皮肉などではなく、女性の純粋な疑問だった。
「どうしてって?」
「だって、私他の女中さんみたいに頭良くないし。ぶっちゃけ三桁の足し算で頭痛が痛くなるくらいだし……。かといってお世話の方も選ばれるような……。ベッドメイク苦手だし洗濯も別に上手じゃ……あれ? 私の得意って何だろうな。あはははは」
女性は乾いた笑いを見せた。
「……貴女で良いというか、貴方が良いのよね。だって貴女、嘘が付けないでしょ?」
その言葉に女性はこくんと頷いてみせた。
「でも私、女中さん達と馴染めないぼっちだからつまんないかもだし嫌な気分にさせるかも……」
「良いのよ。というか貴女がぼっちの理由は別にあるわ。ついでに私も人付き合い苦手だから同じようなものよ」
その言葉に女性は酷く驚いたような表情を浮かべた。
「……どうしたの?」
「いや、今度来るのは凄い天才さんって聞いたけど……うん。失礼かもしれませんけど、思った以上に普通な人だなって」
「自分で言うのもアレだけど私は確かに天才よ? 誘拐される事に納得出来る程度にはね。だから普通ってわけじゃ――」
「でも、私と同じように悩んで、私と同じように笑って、そして私とお話が出来ています。だから能力に凄い差があるだけで、普通な人なんだなって」
「……ああ。もう一個貴女を選んで良かったって思った部分があったわ」
「え、何です? もしかして何か凄い才能が」
「何でもないし私は人の才能とかわからないわよ」
「ちぇー。まあ、こんな私ですが、これからよろしくお願いします」
そう言って満面の笑みを見せる女性に、ユキは釣られて小さく微笑んだ。
この女性は嘘を付く事を好まず、その上隠し事がとんでもなく下手くそだった。
そしてそれが原因で、女性は女中達から距離を置かれていた。
彼女以外の女中は皆ユキとかかわる時、何等かの探りを入れて来ていた。
早い話がスパイ行為である。
そしてスパイを行う者達の中に口が軽くて頭の悪い人物がいたら、その人の傍には誰も来ないだろう。
そしてだからこそ、ユキは彼女を専属に選んだ。
この場の事や現状を全く知らず、何を聞いてもユキの得になる情報を何も持っていないだろう。
それでも……彼女はスパイではなく、ただの優しい女性である。
ユキが選ぶには十分な理由だった。
「ところで一つ、良い?」
「はい何でしょうか? ちなみにおゆはんは中華が食べたいです」
「……作りたいのね」
「いえ作るのはどっちでも。ただ……その……エビチリを……」
「食べたいの?」
女性はこくんと頷いた。
「別に私は何でも良いわよ。それよりも良い?」
「はい。なんです?」
「私の名前は立花雪来。ユキって呼んで」
「はいユキさん。……それで何でしょうか?」
ユキは苦笑いを浮かべた。
「貴女の名前は何でしょうか?」
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「ええ。一度も」
どの世話係も自己アピールの為自己紹介をしたのに彼女だけは名乗っていなかった。
それが逆に好感が持てた部分ではあったが。
「私の名前は一望一に望みでひとみと読みます。お母さんが一つの望みを持ち、それを叶えられるような幸せな子になって欲しいって願いで付けられました。まあ願いは叶いそうにないけど」
「一望ね、よろしく。それで貴女の願いって?」
「長生きですねぇ……。あはは」
ユキは顔を顰めた。
「……そうよね。こんな場所にいるって事は、貴方ににも事情があるって事よね」
「はい。ここが何となーく悪い事してるって知ってましたけどそれでも私は他になかったので。そんなわけで色々かなぐり捨ててここに来ましたけど……それでもちょっと無理そうです」
地雷を踏み抜いたユキは、自分のコミュ能力不足を久々に恨んだ。
「……治療とかしたのよね?」
「はい。お金の限りを尽くして。非合法、合法問わず出来る限り優秀な人に見てもらって、それで……あと二年くらいだそうです。長く見積もって」
「……ごめん」
「いえいえ。むしろ聞いてくれてありがとうございます。……私のお世話した人皆に言ってる事なんですが、報酬貰ってここから出た後も、私の事覚えておいてくださいね? 頭の悪い女中がいた程度で良いので」
そう言って微笑む女性の顔は今までと違い辛そうだった。
きっと……きっと一望の世話して来た人はこの世界にいないだろう。
だが、ユキはそれを言う事が出来なかった。
この部屋が監視されているからもあるが、それ以上に今の一望にそんな残酷な事を伝える勇気、ユキにはなかった。
「えとえと……私煩いタイプの人間なんで、その……騒がしくするのもアレなんで私隣の部屋にいますね。何か用があれば壁を叩いて下されば……。寝てなければですけど」
「……忙しくないなら一緒に映画でも見ない?」
一望は目を丸くさせて驚いた。
「え!? ユキさんはこれからお仕事では?」
「天才というのはやる気の出ない時もあるしいきなりやる気がなくなる事もあるのよ。そんな時は誰かと暇を潰すの。付き合ってくれない?」
その言葉に一望は目を輝かせた。
「本当私と一緒なんですね。はい私も何か見たいです。ぶっちゃけいつも良いなー私も一緒に見たいなーって思ってたんで」
清掃に来た時羨ましそうに見ていたのでユキはそれを当然知っていた。
そして、知っているからこそそう声をかえた。
「そっか。それなら一緒に見ましょう」
その言葉に一望は首を思いっきり縦に振り、いそいそとパソコンの傍に移動した。
ありがとうございました。